前回までの3回は
ブログ主の私が提案する学習法を知ってもらうために、その手順をかなり詳しく書きました。
そのため分量がかなり多くなってしまいました。
今回からは
①まず冒頭文で前の時代を特定し
②次に繰り返し出てくる言葉をチェックしてメインテーマを抽出し
③その中から歴史的思考が可能な言葉をさらに抜き出す
という3段階をささっと書きたいと思います。
重点は、歴史的思考力に直結する(つまり大学入試対策や深みのある歴史学習に役に立つ)③に置きます。
参考資料・引用元は
山川出版社発行の教科書『歴史総合 近代から現代へ』最新版
P25の25行目以降「東南アジア」
https://new-textbook.yamakawa.co.jp/history/
歴史に興味のある大人の方々、または歴史に興味がないが学び直したいと思っている大人の方々へ
学校を卒業し社会人となっているみなさん、歴史をもう一度学び直しませんか?
歴史を体系立って学び直す最も優れたツールが、学校の歴史教科書です。
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教科書を手に取り、私がこのブログで提案している方法で読めば、容易に体系的な歴史の知識が手に入ります。
①冒頭文
前の時代は・・・書かれていません。しょうがないですね。
東南アジアには16世紀以降、ポルトガルやスペイン・オランダ・イギリスなどヨーロッパ勢力が進出し
とあるので、無理に
「東南アジアには15世紀以前、・・・などヨーロッパ勢力が進出していなかった」
とこじつけて前の時代を特定するほかありません。
15世紀以前、ヨーロッパ勢力はなぜ東南アジアに進出していなかったかというと、ポルトガル・スペインは国自体が存在しなかったこと(地方勢力としては存在)、オランダは地方勢力でさえなく影も形も無かったこと、イギリスは貴族同士の対立抗争が酷く国王の権力が弱かったことなどの原因があります。
16世紀になると、ポルトガル・スペイン・オランダが国家として確立し、イギリス(正確にはイングランド)にはヘンリー8世やエリザベス1世女王ら有名な絶対君主が現れました。
商人が遠い地域に海を渡っていくには、大洋を乗り切る大型船と多数の人員と食料が必要です。
商人個人では難しく、国家的規模での後援が必要だったのです。
②繰り返し出てくる言葉
P25の25~34行目までを(固有名詞や歴史用語を抜いて)チェックすると
東 南 域 内 貿易 国際 利益 財政 基盤 港市 国家
これが、この単元のメインテーマです。この言葉たちを使って作文すると
「東と南をつなぐ域内の国際的な貿易で獲得した利益を財政の基盤とする港市メインの国家が各地に現れた」
という感じです。
「東」とか「西」とか、歴史的思考をやりたい気持ちがうずうずするような言葉がありますが、ちょっと我慢(笑)して。
ここに「東」と「西」とあるのに、なぜ「域」「内」なのか?という疑問が湧きます。
東といえば、中国。西といえば?
世界全体を見ると西といえばヨーロッパですが、ここではインドを指します。
域内というのは、アジア地域の内でという意味なのです。中国とインドはかなり距離があると思いますが、ヨーロッパとの距離よりは近いです。
それでは、ヨーロッパは?スペインとオランダがこの東南アジアに来ているから、ヨーロッパと貿易しているのでは?
という疑問が起きます。
しかし、やはり「域内」なのです。
この東南アジアの諸国には数多くの外国商人が出入りしますが、スペイン商人やオランダ商人はそのなかの2種類でしかなく、本国やアメリカ大陸ともちろん行き来しますがメインはここに拠点を置きこの地域の貿易(東と西をつなぐ)に従事していたのです。
③パートナーのある言葉を抽出
さて、歴史的思考を広げていきましょう。
定期テスト対策や大学共通試験対策なら、①②だけで十分です。
論述・記述式問題対策や、歴史の深いところを知りたいのであれば、ここを思考してください。
ここに書いたものはあくまで参考程度にし、自力で(基礎的な知識が前提ですが)やるといっそう力がつきます。
東 南 内 国際 港市
*「東」とくれば、西。「南」とくれば、北。
方角言葉が、思考を最も容易に広げてくれます。
東南アジアは、東(中国・日本・アメリカ)西(インド・西アジア・アフリカ・ヨーロッパ)南(オーストラリア)北(中国があるが、山地に阻まれる)全ての方角を連想できるというまさに国際交流・貿易の重要地域です。それは、現在も同様です。
現代の中国がこの地域を支配しようと意図しているのも、そういう理由です。
日本にとっては、西アジアやアフリカから原油や鉱産物を運んでくる船の通り道です。
ここをもし一国が支配し公海をなくすか狭めようものなら、日本経済は大きく損なわれてしまうことでしょう。
*「内」
域内貿易と域外貿易(ヨーロッパとの)の比重が、前者に傾いているのがこの16世紀の情勢です。
これがやがて、後者が増えてきます。
そして後者がメインになるのが、18世紀以降になります。東南アジアの列強諸国による植民地化が進みます。
*「国際」
とくれば、東南アジアの諸国の「国内」はどうなっているのでしょうか?
これは、前のイスラーム3帝国と同様で、外国人が行き交い貿易・商業活動が盛んなのはあくまで首都と港市周辺に限られます。
それらから一歩中に入ると、そこは当時のヨーロッパ諸国と同様、人は一生村やその近隣から出ることのない状態の、農村でした。
しかも、海外に輸出する産物を強制的に作らされているという状態でした。
国家が繁栄しているといっても、国家の中の誰が利益を享受しているのかよくよく見極めなければいけません。
*「港市」
これも前の「国際」と同様で、外国からくる商人や国家使節にアピールするため見栄えばかり(つまり中身がない)を強調することになります。
戦国時代の日本の港市・堺が有名ですが、その堺にある建物は現代にいたるまで海岸線と平行になるように作られています。
堺付近の海岸線は北東方向から南西方向に伸びているのですが、堺の町割り道路はすべてこの海岸線に平行に作られ、建物もそれに倣いました。
結果として、海外から船で堺を訪れた商人や使節は整然ときれいに並んだ建物群に感激し、財布のひもが緩くなりました(笑)。
ちなみに大仙古墳(仁徳天皇陵)も、海岸線に沿って造られています。
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