おわび
私はここで3月からブログを書いていましたが、参照教科書の著作権への配慮をおろそかにしていたことに気が付きとりあえず全記事を削除し、改めて著作権に配慮しながら書いています。
削除した記事は閲覧できません。あしからずご了承ください。
参考資料・引用元は
山川出版社発行の教科書『歴史総合 近代から現代へ』最新版
P26~27(10行目まで)「明の朝貢体制と東アジア」および「16~17世紀の東アジア」
https://new-textbook.yamakawa.co.jp/history/
①冒頭文
この単元では、P26の1~3行目に、前の時代の説明が丁寧に記されています。それによると
東アジアの国際関係の特徴は、古くから中国の王朝を中心とする朝貢関係が結ばれてきたことである。
とあります。
これは、中国の歴代王朝(秦・漢・隋・唐・宋・元)が存在した時代は、中国は周辺諸国に対し圧倒的な国力を有していて東アジア全域を軍事的に制圧可能な(リアルに征服しようとすると国力が疲弊するのでほとんどやらない)状況にありました。
中国王朝はその威を示すため、周辺諸国に対し平和的な外交や貿易においても尊大な態度をとりました。
朝貢とは、周辺諸国が中国王朝にプレゼントを贈り、その見返りに中国の皇帝から「何々王(倭王・日本国王など)」に任じられるという外交形式です。
王は、皇帝の家来という建前です。中国王朝の風下に立つという態度の表明です。
いびつな国際関係といえるでしょう。
この明王朝の時代はどうでしょうか。
②繰り返し出てくる言葉でメインテーマを把握する
[14~15世紀]
14世紀 朝貢 関係 王朝 貿易 利益 中心国 周辺国 貢物 返礼品 与える 交易
例によって、固有名詞を省いています。
ざっと見ればわかるとおり、明王朝の時代も周辺諸国との朝貢関係を維持し続けています。
中華意識が身に沁みついてしまっています。
[16~17世紀]
16世紀 東 商人 貿易 利益 政権 北 17世紀
16世紀の明後半になると、少し様相が違うような言葉たちです。
しかし教科書を読むと相変わらず朝貢関係は続いていて、中国も含め諸国の商人たちはやむなく密貿易に手を染めたり海賊をしたりしています。
周辺諸国の中には、この貿易(東つまり西との貿易)の利益を得て急成長する政権も現れました。
鉄砲を輸入し軍事力を高めた日本の戦国大名、特に織田信長・豊臣秀吉のことです。
17世紀になると、北の遊牧民族が国家を形成し南の明を脅かします。
③思考を広げるような言葉をピックアップし歴史的思考をする
中心国 周辺国 貢物 返礼品 与える 東 北
本文のメインテーマの中で、ほとんど説明してしまいました。
*「中心国」⇔「周辺国」
中世ヨーロッパでも、神聖ローマ皇帝の座を巡り諸侯(選帝侯)間でし烈な争いが繰り広げられました。
皇帝になると、名目上は諸侯やヨーロッパ諸王国の上位に立つからです。
*「貢物」⇔「返礼品」を「与える」
これは、分かりやすいですね。
バレンタインデーでチョコをもらったら、ホワイトデーでお返しをする。
「これで貸し借り無しだ」という声が聞こえてくるようです。
そうです。明王朝など中国歴代王朝と周辺諸国との関係は、表面上は朝貢関係でしたが、内実は対等の貿易・外交関係でした。
貢物は周辺諸国が中国に輸出する(売る)品々、返礼品は周辺諸国の使節一行が中国から輸入する(買う)品々です。
ただ貿易できる機会は、周辺国が中国に使節を送ったその段階だけです。自由貿易ではありません。
建前をやめて自由貿易にすればいいのにと思いますが、そこは中国の中華意識というメンツが許さないというそういう状態です。
*「東」
とくれば西を思え、という思考は、このブログを第1回から読めばそろそろ身につく頃でしょう。
ここでいう西は、ヨーロッパ諸国のことです。
16世紀は、ヨーロッパ人の大航海時代に当たります。
ヨーロッパ人がもたらす珍しい品々(ヨーロッパ産の鉄砲や、東南アジア産の香辛料など)に、中国の商人たちはぜひ取引したいと思ったことでしょう。
明王朝への不満が、中国人の間に日に日に高まります。
*「北」
とくれば、南を・・・。
ここでは、北方民族が再び中国本土に南下しようという勢いを見せ始めます。
ただその北方民族は、モンゴル人ではないようです。
中国の歴史学習に欠かせないのは、「東西南北」思考です。
中国王朝に、東から、西から、南から、北からどのような勢力が近づいているか存在しているかを理解する必要があります。
これは、中国の地域名からも導き出すことができます。
「中国」の「中」とくれば、その反対語は「外」ですからね。
中国人の伝統意識の中には、常に周辺諸国が強く印象付けられて存在しています。
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