今回の参照資料・引用元
山川出版社発行の教科書『歴史総合 近代から現代へ』最新版
P27(11~31行目)「清(しん)の政治と経済」
https://new-textbook.yamakawa.co.jp/history/
①冒頭文で、前の時代を見る
この単元では、説明の一文があります。
中国本土についての説明ではありませんが、この清王朝の特色を表す一文になっています。
かつてのモンゴル帝国および元王朝の政策はモンゴル人第一主義で、漢人を差別し政権から排除していました。
その他の北方民族による征服王朝も、このモンゴルと同様でした。
しかしこの清王朝は、漢人を政権に参加させました。
なぜか態度が違います。
もちろん後述するように満洲文化を強制したりしています。
この違いの理由は、清代、支配者である満洲人の人口がとても少なく(200万人)、漢人の人口が圧倒的多数だった(5000万人のち4億人)ことがあります。
漢人が支配に抵抗しなかったのも、謎ですね。
②繰り返し出てくる言葉でメインテーマを把握する
本土 皇帝 を重んじる 王朝 人口 官僚 経済 貿易 政治 増 開 墾 新 山 乱
最初の言葉で思考をくすぐられるのを我慢(笑)して見てみると、政治も経済も社会も充実していることがわかります。
この清王朝の時代が、中国歴代王朝の中で最も栄えた時代といわれます。
政治面では官僚体制が整い、経済面では貿易が活発で国内の開発も進展し、人口が急激に増加(17世紀5000万人⇒19世紀4億人)しました。
「を重んじる」というのは、清王朝の支配下にある多数の民族(主に5民族=満洲・漢・モンゴル・チベット・ウイグル)に対する態度で、それぞれの文化を重んじるという意味です。
しかし諸民族に完全な自由を許したわけではなく、満洲人の皇帝が各文化を取り入れその頂点に立つという形をとりました。
支配下の男子全員に満洲人の髪型を強制するなど、征服王朝ならではの政策もありました。
③思考をくすぐられる言葉を抜き出し思考する
思考をくすぐられるというのは、その言葉からいろいろな連想が可能という意味です。
この点で、固有名詞や歴史用語は比較的連想が難しいのです。
国名・地域名のなかには連想可能なものもあります。例:中国、日本。
*脱線話=日本の国名から連想可能なこと
これは今回の話から脱線してしまうのでどうしようかと迷ったのですが、一度思考をしてしまうと止まらない(笑)ので、少し触れておきます。
日本とは、どういう意味の言葉でしょうか?
日出づる所、という意味です。(こういう説がある)
つまり、東という意味です。
「東」とくれば、西を連想しますね。日本の西には、何がありますか?
まず中国、次いでインド、次いで西アジア、次いでヨーロッパ、次いでアメリカ。
つまり、海外諸国があります。
ということは日本とは、海外諸国(世界)から見た東の端(極東)にある国という意味になります。
歴史総合の科目理念は、「世界から見た日本」です。この日本という国名はまさにそれですね。
私個人的には、日本という国名はいわゆる自己チューでないのであまり面白くないと思っています。
他人を思いやる気持ちが強い日本人の国民性に沿っていて、謙虚で控えめな表現なので良いと思う人もいますが。
もっと自分を押し出すような国名であればいいのにと思ったりします。
昔の日本の別名は、「大和」「敷島」「扶桑」「瑞穂(みづほ)」「葦原の中つ国」「秋津洲」「大八島」などです。
前4つは、戦艦名や銀行名に採用されてしまっています。
いっそのこと「蓬莱(ほうらい)」にしてもいいですが、ラノベやアニメに架空の国名・地名として出ていたような記憶があります。
脱線話はこれくらいにして、この単元から思考をそそられる言葉を抜き出しましょう。
本土 皇帝 を重んじる 増 開 墾 新 山 乱
後半6語は、容易に連想可能な分かりやすい言葉たちです。
*「本土」
本土の別名は内地。第二次世界大戦中の日本は、本土四島を内地と呼び、沖縄や植民地を外地と呼んでいました。
これは、外地に対する差別政策の現れです。(現在もその名残がみられる・・・)
この単元では、本土は中国本土のことです。本拠地という意味でしょう。
ただ清王朝の満洲人は、じつは中国を本拠地にしていません。
あくまで満洲(中国東北部)が本拠地でした。
5民族の上に等しく立つという理念で、広大な領土(P27の右上の地図)を支配しました。
その意味で、清は世界帝国でした。
モンゴル帝国は、元王朝になってからは中国を本拠地にしました。
そのため支配する各地域が、やがて離反していきます。
最強の軍事力を背景にしたモンゴル人以外の民族への差別政策も、理由にあったでしょう。
*「皇帝」
皇帝というと一般的には諸国の王や諸民族の上に立つ王様という意味ですが、ヨーロッパ史だと古代ローマでは全ての最高権力を一身に集める人という意味であり、中世ではキリスト教を保護する世俗権力の最高者(全てのキリスト教国の上に立つ)という意味で使われています。
中には「皇帝になりたい」という願望を込めて自称する例もあります。
フランス革命後にナポレオンが即位した皇帝は、王様ではなく、一応民主主義の体裁をとった軍事政権の最高権力者という意味です。
19世紀のドイツ皇帝と20世紀のナチス・ドイツ総統は、どちらも中世の皇帝を意識していました。
どの意味にとろうとも、皇帝という語には多数の人々を支配する者という意味があるとわかります。
*「を重んじる」
為政者はいろいろな政策を行うのですが、全て満遍なくというわけにはいきません。
財源には限りがあるからです。
そこである政策は重んじるが、ある政策は軽んじることになります。
もちろん軽んじられた政策を頼みにしていた国民にとっては、大迷惑な話です。
現代でもこの軽んじられている政策について、国会で閣僚が激しく追及されているのをよく見ます。
清の歴代皇帝は、教科書の記述にある通り片や満洲人(武)を重んじ、片や漢人(文)を重んじという政策でした。
これは生半可なことではありません。
文武両道を修めよとよくいわれますが、リアルには難しいです。どちらもできる人は、万能とか天才とかいわれるほど少数です。
これを少なくとも二百年は維持したのですから、驚きです。
*「増」「開」「墾」「新」
とても前向きな言葉が並んでいますね。
歴史的(時系列的)に見るとそれぞれ、少なかったのが増えた、閉じていたのが開かれた、荒れ地だったのが田畑にされた、古かったのが新しくなった、ということになります。
前向きな言葉が出てくると、後ろ向きな言葉を連想できます。
増えたというのは中国の人口が増えたという意味で、清建国時には5000万人だったのが19世紀には4億人になっています。
「開」「墾」「新」は、元は山地や荒れ地だった所が新しく開発され田畑にされたという意味です。
*「山」
この清代には中国の山地が開墾され、多くの山が消えました。
さて、山の対照語は平地ですね。
この、山と平地は自然界的にはワンセットとなっています。
山がある地域は雨が多いことが多く、山に降った雨が流れ下り河川となって平地を流れ平地を潤します。
また雨が多いと植物が成長し、山には樹林が多く生え雨を吸収し溜め込みます。
この結果、山に雨が降っても一気に流れ下ることがなく、洪水が起きにくくなります。
近くに山がない平地は、河川も枯れてしまい乾燥しやがて砂漠化します。
大量の雨が降ると、土壌が乾燥しているため染み込まず表面を流れ大洪水になります。
*「乱」
平穏が乱されることを意味します。
平穏とは、人々の日々の生業の平穏のことです。
上記の様々な前向きの言葉は、前向きな人にとってはもろ手を挙げて大歓迎ですが、後ろ向きな人や現状維持思考の人にとっては迷惑千万です。
清王朝の政策により農地を新しく開発されて喜んだのは人口が増えすぎて田畑が不足し持てなかった人たちで、迷惑に思ったのは開発された山地(の産物。木材や木の実)を生業としていた人たちです。
このように一見素晴らしいと思えるような政策あるいは態度であっても、人の利益や立場によっては困ってしまうということが分かります。
「前向きは善で、後ろ向きは悪だ」とは一概に言えないのです。
このように物事には多面性(多くは二面性)があるということを、歴史学習だけでなく人生の教訓としても知っておくべきでしょう。
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