rekisitekishikouryoku’s blog

歴史的思考力を一過性でなく継続的に身につける方法

世界史要旨把握4中世ヨーロッパ史(4)フランク王国

今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行

P94(8行目)~P95(4行目)「フランク王国の発展」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history

この教科書を持っていない方にも分かりやすいように、固有名詞や歴史用語も含めて書いています。

 

冒頭文

ゲルマン諸国家の大半が短命だったのに対し、その後

前の時代というより、ゲルマン人の他の部族との比較になります。
数あるゲルマン部族の中で、フランク王国だけが大発展を遂げます。

フランク王国に注目が行きがちですが、なぜゲルマン諸国家は短命だったと思いますか。

ゲルマン人は、先住民のローマ人にとっては侵入者であり征服者です。
土地や財産を略奪されたり、人を拉致殺害されたりと、非道なことをされました。
さらに政治的に支配つまり課税してきたり、徴兵されたりします。
文化(言語・宗教)の違いもあり、先住民には反発・不満が常にありました。
抵抗されたり反乱されたりして、ゲルマン支配は揺らぎ続け滅んでいきました。

フランク部族も、同じようなことをしたはずです。
なのに、なぜ存続し、発展したのでしょうか。

 

本文

繰り返し出てくる言葉は、次の通りです。
ここは段落が4つあります。
第一段落は、冒頭文の続き。第四段落は、まとめの内容です。

西 (ヨーロッパ) 世界 役割 果たす (フランク) 王 国

(クローヴィス) (メロヴィング) 朝 全 統一 (ガリア) 支配 派 (キリスト) 教 改宗 (宮)(宰)

イスラーム) 勢力 (カール=マルテル) (トゥール・ポワティエ間の戦い) 

この語群を使って作文をすると
「西ヨーロッパでは、フランク王国が大きな役割を果たした」
メロヴィング朝を立てたクローヴィス王は国内の分裂を統一し、キリスト教の正統派に改宗した。やがて宮宰が台頭する」
イスラーム勢力が侵入したが、宮宰カール=マルテルが軍を率いて撃退した」

ここには、2つの行動が記されています。
1つは、キリスト教の正統派に改宗したこと。
もう1つは、侵入したイスラーム勢力を撃退したこと。

そう、ここのメインテーマはフランク王国キリスト教との結びつきが強まったということです。
フランク王国は、キリスト教徒であり、キリスト教の保護者であるということを示しました。
これが、キリスト教ローマ・カトリック)を主要要素とする西ヨーロッパ世界の基礎を作る大きな役割を果たしたという意味です。

たったこれだけで王国が存続し、発展した?
宗教信仰があまり身近ではない一般日本人にとっては実感がわかないと思いますが、当時のローマ人にとっては(現代の世界じゅうの多数の人たちもそうです)宗教信仰イコール自分の存在意義でした。
ゆえにフランク王がキリスト教正統派に改宗したニュースを聞いたローマ先住民は、「ゲルマン人が私たちの同胞になった。フランク王が私たちのリーダーになった」と感じたのです。

もちろん支配されることへのわだかまりや反発はあります。
しかし軍事的に圧倒された、敗れたというリアルを受け入れなければ生きていけません。
そういう苦渋の心理を少しでも和らげ統治を容易にするという意味で、統治者のカトリックへの改宗は非常に重要なことだったのです。

そしてフランク王国が、他宗教軍団の侵略を阻止しました。
「私たちの同胞である、ゲルマン人のフランク王が私たちを守ってくれた。絶大に支持する」
というのが、先住ローマ人たちの感想でした。
当時のフランク王が弱くなり宮宰が軍を指揮したことで、この宮宰への支持が急速に集まります。

 

*ここで脱線話

日本人の多くが無宗教なのですが、これは国際的には通用しません。
もし自己紹介や他国への入国の際に「あなたの宗教は?」と尋ねられ「無宗教」と答えようなものなら、信用されない人間と思われるだけでなく、国によっては入国拒否・強制送還になります。

世界中の多数の人々にとっては、宗教は人のアイデンティティーそのものだからです。

それでは、何と答えればよいでしょうか。
仏教が連想できますが、多くの人は葬式や法事でしか仏教に触れないと思います。
これでは、もし宗教の話題を振られた時、困るでしょう。
ただ歴史学習をしていれば、仏教の簡単な内容は答えられるかもしれません。

私が、良い答えを教えましょう。
キリスト教」「神道(しんとう)」「道教(どうきょう)」「仏教」の4宗教
です。
一神教の信徒にとっては違和感があるでしょうが、多神教だといえば理解されます。

この4つは、日本の伝統的な慣習や年中行事と一致しています。

例えば、祭り。
神輿やだんじりが、必ず宮入りしたり寺に参じたりするでしょう。
神社や寺院の境内には、店がたくさん出るでしょう。
花火には、死者の霊を慰めるという仏教的道教的な意味合いがあります。

正月・バレンタインデー・ひな祭り・端午の節句・七夕・お盆・月見・クリスマス。
これらは、全て宗教行事に由来します。

桃太郎の鬼退治。桃は邪気を払う、という道教信仰に由来します。

そう、実は日本人は、宗教信仰が日常なのです。日常過ぎて宗教であることを忘れているのです。

 

歴史的思考

さて、歴史的思考です。

西(ヨーロッパ) 全 統一 派 (キリスト)(イスラーム 

*「西(ヨーロッパ)」

といえば、そのころ東ヨーロッパはどうだったか?
なんですが、東に目を向けるのはまだ早いです。

西ヨーロッパのキリスト教の状況を詳細に見る必要があります。
さらにフランク王国のその後の政治変化も見ないといけないし、その後の北からの海賊襲来も必要、さらにその海賊対策で始まった社会制度の学習も必要です。

前にも書きましたが、ビザンツ帝国の単元を西ヨーロッパの前に位置させたこの教科書編集者の判断は、少し疑問を感じますね。

*「全」「統一」

フランク王国は、クローヴィス王の全土統一以前は分裂状態でした。
この時期の状況については、関心のある人は調べてください。

*「派」

キリスト教の正統派に改宗したと上に書いたとおり、キリスト教の中は考えの違いからいろいろな派閥に分かれていました。

派閥といえば、政党内のものが有名です。
考えの違いが理由ならいいのですが、なかには「派閥の親分に世話になったからその派閥」「あの領袖は頼りになるから」のような理由の派閥も少なくありません。

当時のローマ帝国キリスト教で「異端」とされ追放された派閥に、アリウス派というのがありました。
正統派のアタナシウス派は「キリストは神であり聖霊である」としたのに対し、アリウス派は「キリストは人間である」という考えでした。
ローマ人はアタナシウス派ゲルマン人キリスト教徒の多くはアリウス派でした。

*「キリスト教」「イスラーム教」

世界史的に見て、この2つは必ず常に対比する必要があります。
キリスト教の単元を学ぶときは、そのころイスラーム教はどうだったかという視点を持っておかなければなりません。
逆も、同様です。

 

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