今回の参考資料・引用元は
山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行
P95(5行目)~P96(10行目)「ローマ=カトリック教会の成長」
https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history
冒頭文で時代を特定する
と、この単元のまとめが書かれています。
このように、冒頭にまとめや結論を書く場合もあります。
裁判所の判決文は、最初に「主文 被告人を○○刑に処する」などと言いますね。
(事件によっては、長々と理由を述べてから最後に結論を言う判決もあります)
歴史教科書の単元は、通常は冒頭文には前の時代とのつながりが記されます。
「フランク王国と協同して」とあるので、フランク王国と同じ時代のようにも見えます。
これだけではよく分かりませんが、次の文を見るとそれがはっきりします。
ローマ帝政末期、五本山のなかでローマ教会とコンスタンティノープル教会が最有力であったが、西ローマ帝国の滅亡後
313年、キリスト教はローマ帝国の公認になり、帝国内に5つの教会管区が作られました。
管区といってもそれぞれが広大な地域をまとめていたので、五本山と呼ばれます。
395年に東西に分裂したローマ帝国の西半分が、476年に滅びます。
以上がこの単元の前の時代、です。
前の単元のフランク王国は、481年にクローヴィス王が国内を統一し、732年にトゥール・ポワティエ間の戦いとなります。
よってこの単元は、フランク王国の統一時代と同じ時代だと確定しました。
時代の特定と言って何やら細かくしつこくやっていますが、歴史学習ではこの時代の特定が非常に重要です。
その単元がどの時代に属するかを理解することは基本中の基本で、その理解をおろそかにしては歴史学習そのものが崩壊してしまいます。
リアルの学校の授業ではごく簡単に(多くは口頭で)触れられる程度でされることが多いのが、残念に思います。
内容の要旨を把握する
3段落あります。それぞれの繰り返し出てくる言葉をチェックします。
(ローマ) 教会 (ビザンツ) 皇帝 (コンスタンティノープル) 教皇 (ゲルマン人) 布教 西 (ヨーロッパ)
(キリスト) 教 聖 像 崇拝 禁止 (イスラーム) 令
いろいろな内容がたくさん書いてあっても、要旨はたったこれだけです。
第一段落
地名が2つあり、その2つが教会名です。
その2大教会が、それぞれ事情が異なっています。
ローマ教会の長は、教皇と呼ばれています。
「教皇」
すごい名称ですね。皇帝の「皇」を使っています。法王ともいいます。
日本語ではそうですが、ラテン語では「父」という意味です。
宗教の世界で「父」は、神に近い存在(神の言葉を伝える)です。
ローマ教皇が主導して、西ヨーロッパのゲルマン人にキリスト教の正統派(カトリック)を布教しています。
コンスタンティノープル教会は?
教会長は教皇と呼ばれていません。
どうやらビザンツ(東ローマ帝国)皇帝が、何やらちょっかいをかけているようです。
布教はしているのかどうか、定かでありません。
世俗権力が宗教に干渉してくるのは、歴史上ごく普通のことです。
宗教の力を利用すると、統治がし易いからです。
西のほうの世俗権力は?
前の時代の特定で、西ローマ帝国が滅んだとありますね。
そう、西のほうには皇帝がいません。
しかし有力になりつつある国家は、ありますね。フランク王国です。
第二段落
キリスト教の本来の教義は、聖像崇拝禁止です。
それをわざわざ「令」にしたというのは、どういう意味だと思いますか?
令というのは、政治上の命令のことですね。
宗教の教義にまで立ち入って命令を出すような存在は、誰でしょうか?
第一段落を見れば、ビザンツ皇帝か、フランク王でしょう。
しかしフランク王はまだ有力ではなく、おそらくビザンツ皇帝で決まりですね。
命令を出すというのはどういう時かというと、その命令の内容が守られていない、緩んでいるときです。
つまり聖像崇拝がヨーロッパ各地で普及していたというわけです。
聖像崇拝、具体的にはキリストが磔(はりつけ)にされた十字架や、聖母マリアが赤ちゃんのキリストを抱っこしている像に向かって祈りをささげることです。
キリスト信徒でない立場から見ると、キリスト教の教義内容がとても分かりやすいシーンです。
キリスト教の基本教義は、キリストが十字架に磔にされたことにより全人類の罪(エデンの楽園で禁断の実を食べた罪)が救われたというものです。
布教するには、とても便利なものです。
西のほうの教皇は、東のビザンツ皇帝の命令に反発します。
しかし相手は世俗最高権力者の皇帝。実力ではかないません。
さて、どうしたらいいものやら…
第三段落
結んだその手段は、寄進。土地のプレゼントです。
フランク王ピピンが、教皇に広大な土地をプレゼントしました。
教皇は大喜びし、「よっしゃ、よっしゃ」と…。
賄賂をもらって喜ぶ政治家みたいですね。買収されているような気が…。
フランク王としても宗教教団が統治に協力してくれるので、メリットこの上ないです。
ローマ教皇としても、強力な王国が味方になったのでビザンツ皇帝に対抗できます。
まあ、生きていく上ではこういった妥協が必要なんですよ。
歴史的思考・歴史探究
最後に、応用です。
趣味で歴史を学習する人は、前の段階までで足ります。
大学入試対策や人間の精神の幅を広げたい人は、この思考や探究をしてください。
皇帝 教皇 布教 西 崇拝 禁止 令 結ぶ
今回は、動詞が多いです。
動詞といえば、誰が、誰に対し、何に対し、何々をしたかを確定することが大事です。
実は、今回はほとんど本文の内容のところで歴史的思考もやってしまっています。
*「禁止」「令」
東のビザンツ皇帝が、西も含めたヨーロッパ全体のキリスト教徒と教会に対し、命令しています。
ここでは、世俗権力が宗教に干渉していることと、東の人が西の地域に干渉していること、禁止令を出すような状況とは?ということを指摘しています。
世俗権力が宗教に干渉するその代表例が、弾圧です。
日本史でも世界史でも宗教に対する弾圧が、有名な事件になることが多々あります。
第二次世界大戦時のナチによるユダヤ人大量虐殺は、現代の国際情勢に大きな影を落としています。
逆に宗教が、世俗に手を出す事例も多くあります。
宗教教団が政界に進出したり、テロ事件を起こし社会を揺るがしたり。
宗教と政治の関係はよくいわれる事柄で、現代日本では政教分離が基本ですが、アメリカでは大統領の就任式に聖書が登場します。
*「結ぶ」
確かに宗教の協力が得られれば統治がし易くなるわけですが、のちにはその逆に宗教から分離する(新しい独立の宗教分派を作る)という例も出てきます。
宗教改革という出来事が、それです。
その多くは、地域の国家が超国家的な教皇の支配から離れ独立するというもので、ドイツの宗教改革はドイツ諸侯の独立意識から生じ、イギリスの宗教改革は王室の私的な事柄への干渉を排除する目的で為されました。
*「皇帝」VS「教皇」
この単元の時期では、両者はうまく住み分けができています。
皇帝は東にしか存在せず、教皇は西にしか存在しません。
東には教皇がおらず、西には皇帝がいません。
しかし間もなく、西にも皇帝が現れます。
本来のローマ皇帝ではないのですが、それに近い存在です。
東のビザンツ皇帝に対抗するには、フランク王ではやはり地位に不足があります。
このフランク王を西の皇帝に押し上げていきます。
しかし、西の、この皇帝と教皇がやがて真っ向から対立します。
どちらもそれぞれ、政治の世界、宗教の世界に収まっていれば対立は起きません。
しかし、皇帝が宗教に干渉し、宗教が政治に干渉するというのは、普通です。
教皇の権威は16世紀に弱まりますが、皇帝の権威は19世紀初めまで続きます。
広告(キリスト教の儀式では、パンを食べワインを飲むことになっています。このパンのことを聖体と呼びます。東のギリシア正教会ではパンの形ですが、西のカトリック教会ではウェハースのような薄い形です。その由来についての書籍)
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