中世前半のヨーロッパの話は、今回がラストとなります。
中世後半のヨーロッパの話(十字軍など)は、また機会がありましたら書きます。
今回から、写真も入れています。
引用元は、商用利用可能な著作権フリー素材サイト(写真AC)です。
今回の参考資料・引用元は
山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行
P100~P101「封建社会の成立」
https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history
冒頭文を見よう
民族大移動後の
この後の内容は、この時代の特色の説明です。
だから、この部分がこの時代の前の時代になります。
ゲルマン人の大移動は、6世紀に一応の終わりとなります。
よってその後の7世紀が、中世の始まりです。
この7世紀は、イスラーム勢力が東や南からヨーロッパを脅かし、東からはスラヴ人やマジャール人が攻めてきて、さらに北からはノルマン人が迫ってくるという時期です。
この大混乱の時期に生活防衛の対策として次第に始まり11世紀に定着したのが、封建的主従関係というものです。
繰り返し出てくる言葉をチェックし、本文の要旨を把握しよう
この単元は、世界史の分野と思えないほどカタカナ語が少なく、漢字で満ちあふれています。
そのため難しく感じ、ここの部分が苦手だという人も少なくありません。
しかし私が提案しているこの手法を使えば、逆にこういった漢字だらけの単元こそ要旨の把握が容易です。
第一段落
西(ヨーロッパ)都市 社会 農 外部勢力 侵入 守る 保護を求める 中世 世界 特有 仕組み 封建的主従関係 荘園 成り立つ 封建社会
ここは、最初にこの時代の特色を大まかに説明しているので、文章のほぼ全部が要旨となります。
第二段落
国王 諸侯 大 貴族 小 有力者たち 結びつき 主君 家臣 封 領地 忠誠を誓う 義務 契約 従
日本の鎌倉時代や江戸時代の武士同士の封建関係と、言葉はよく似ていますが。
「国王や大貴族(諸侯)・小貴族(騎士)ら有力者たちは、結びつきを強めた。主君が家臣に封(領地)を与え、家臣が主君に忠誠を誓う。それは契約関係であり、双方に従う義務があった」
これを見ると、日本の武士同士の関係よりも、平安時代の貴族と地域有力者との関係(土地を寄進し、便宜を図ってもらう)のほうが似ています。
目的も、平安時代のそれ(治安が悪い、重税逃れ目的で強者の保護を求めた)と同様だからです。
最大の特色である対等関係も、武士同士の完全主従関係ではなく、平安時代の利害一致の持ちつ持たれつ関係に似ています。
第三段落
(恩貸地)制度 (従士)制 地域 支配
「この関係は、古代ローマ時代やゲルマン人の地域支配の仕組みである恩貸地制度と従士制が原型になっている」
地域、という気になる言葉が出てきましたね。歴史的思考がふつふつと湧いてきます。
第四段落
「封建関係を結んだ者は、土地を所有し農民を支配する領主である。土地は、領主直営地・農民保有地・共同牧草地などに区分された。農民は自由がない農奴で、パン焼きなど日常生活に対しても課税された。経済は農村限定。その領地には国王の役人さえも入れなかった」
説明がほとんど要らないくらい、まとまっています。
細かいところを言えば、農民の保有地は短冊状にされてあちらこちらに分散され、農民が力を持たないようにされています。
日常生活の規制ですが、パンを焼いたら課税の他、結婚したら課税、死亡したら課税、とめちゃくちゃです。領主からの理不尽なおぞましい要求もありました。
海賊から保護してやってるんだから言うことを聞けと、言わんばかりです。
上記の言葉の中から歴史的思考可能な言葉を抜き出そう
西 都市 農 外部勢力 侵入 守る 保護を求める 中世 特有 主 従 国王 諸侯 大 貴族 小 結ぶ 主君 家臣 忠誠を誓う 義務 契約 従 制度 地域 農民 領主 直営地 保有地 牧草地 共同 奴 自由 入る
こちらは、非常に多いです。
こういう抽象的な漢字だらけの単元は、歴史的思考の宝庫になるのです。
この後、分量が非常に多くなります。興味のある言葉だけを読んでもいいです。
*「西」
中世の西ヨーロッパには封建社会が成立した、すると東ヨーロッパは?
しかしその前に。西ヨーロッパといっても全域が封建社会になったわけではありません。
北海やバルト海沿岸の地域や、地中海沿岸地域は、比較的農民が自由でした。
前者はノルマン人の原住地であること、後者は海賊の被害が比較的少なかったことが影響しています。
さらに考えられることは、これらの地域は海沿いです。
生活手段の中に海を利用するもの、つまり船で移動することが含まれます。
人が移動可能ということは、土地に縛り付けられない、比較的行動が自由ということです。
この人の移動の自由というのは、実は現在日本の憲法の中に条文が定められています。それが、基本的人権の一つであることがよく分かります。
*「都市」
都市が衰え、農村メインの時代に。
古代は都市メインの時代であり、近代そして現代も都市メインの時代です。
都市とは何かというと、商業(「市」)が盛んで人が集まる(「都」)ことを意味します。
商業は、人の移動を伴います。交易・貿易が盛んで、地域同士の国際交流が盛んです。
商業の便宜のため、貨幣が用いられます。
経済活動が活発なため、運不運に由来して貧富の差が生じます。
中世の農村社会は、この都市メイン社会の真逆なことが特色になります。
商業が衰退し、貨幣がなくなり物々交換になり、村で栽培した作物をそのまま村で消費し、人が集まらず各地方・各地域に分散します。
ただ、貧富の差が少なくなります。
*「農」
農業といえば、商業。
この2つは真逆の産業のように見えて、実はとても密接で互いになくてはならない関係にあります。
商業が発達すると、農業も発達します。
農業が衰退すると、商業も衰退します。
商業で売り買いされる商品の半分は、農業によって生産される物やその加工品だからです。
その代表例が、食品。
食品の原料は、穀類・豆類・野菜など田や畑で栽培されたものです。
農業は、牧畜業・林業・水産業とともに第一次産業です。
第一次産業が発展していないと、第二次産業である工業は発展せず、結果として第三次産業の商業は発展しません。
第一次産業を軽視する国は、早晩、経済が衰退していきます。
中世西ヨーロッパの封建農村は、農牧業を主要産業としていながらそれらも沈滞した状態だったのです。
*「外部勢力」「侵入」
人というのは怠惰なもので、自発的に動こうとせず、外部から促されてようやく動き出すというところがあります。
古今東西の歴史上も、そういう事例が多数あります。
いわゆる外圧というものです。
現代の国際交流が盛んな時代では、外圧は普通の現象になっています。(あまり褒められたものではないのですが)
日本史上最も大きな外圧は江戸時代末のペリー来航・開国の圧力で、これがきっかけとなって江戸幕府は崩壊し明治維新が起こりました。
第二次世界大戦で敗れた日本は、占領したアメリカ軍からの圧力により明治憲法を廃止し、日本国憲法を制定しました。
国内からの突き上げや反乱が歴史を動かした例は、欧米ではよく見られます。
絶対的な支配をしていた国王・貴族を市民が打倒した市民革命が、その例です。
日本史ではゆるやかに進んだ国内突き上げ例として、平安貴族に対する、武士の台頭、武家政権の成立というものがあります。
*「侵入」「守る」「保護を求める」「結ぶ」「忠誠を誓う」「契約」「入る」
動詞言葉ですね。
動詞とくれば、誰と誰の関係なのかを確定する必要があります。
大半は、本文要旨の把握のところで書きました。
特色のあるものは、「結ぶ」「契約」です。
中世の西ヨーロッパの封建的主従関係はいちおう「従」となっていますが、それはあくまで契約上「誰々が、誰々に従う」という約束した内容であり、完全服従というものではありません。
それが「結ぶ」という対等の関係を表す言葉になって、表れています。
もちろん対等というのは建前で、実質的には領地の広狭や国王との親密度の大小に応じて事実上の完全服従的な主従関係があったわけです。
それは近現代の経済取引上の契約でも同じことで、法律上契約関係は対等となっていますが、実質的には例えば企業と消費者の契約関係だと前者が圧倒的に優位の状況になっています。
(近年はインターネットの普及により、消費者の発信がかなりの力を持ってきている)
「入る」という言葉は一見普通の言葉に見えますが、じつは人の平穏な日常生活を脅かす恐れのある言葉です。
住居侵入罪という犯罪が、現代日本にあります。
これは、住居の中で自立した生活を送ることが、人が安心して社会生活を送るうえで不可欠なことだということを示しています。
だから、他人が住居の中に入ってくることを許す場面は、住んでいる人によほどの犯罪的事情がある場合や、行政による強力な指導がある場合、そして住人が許した場合だけです。
その行政による強力な指導の代表例が、土地課税や都市開発です。
現代日本でも市町村の担当者が個人の住宅内に立ち入って測量し、それをもとに固定資産税を課税します。
開発の対象になると国や自治体の職員が住居内に立ち入り調査し、場合によっては強制的な立ち退き命令が下ります。住人の中には抵抗して座り込み、機動隊に排除されるという光景もあります。
領主が荘園への国王官吏の立ち入りを拒んだとありますが、もちろんその領主が国王に匹敵するか脅かすような実力を持つ場合だけでしょう。
*「中世」
といえば、古代と近代の間。
それがとてもあいまいな時代区分だということは、前に書きました。
なお、時代区分には古代・中世・近代のほかに、中世と近代の中間的な時代を近世と呼ぶというのがあります。
日本史でいうと信長秀吉時代以降、幕末まで。
世界史でいうと、ルネサンスの後から大航海時代を経て産業革命まで。
「歴史総合」も、近世から始めるか、近代から始めるかという教科書によって対応が違うというのがあります。
*「特有」
封建社会は、中世特有のものという表現です。
特有というのは、かなり大げさな書き方です。
同様の制度が、古代中国や、日本の鎌倉・室町・江戸時代にあったことを思えば、この言葉は誤っているといえます。
ただ主従が対等関係というなら、確かに西ヨーロッパ中世特有の制度といえます。
*「主」「従」
言葉の上からは、対等関係というのは導き出せません。
前にも書いたとおり、主従はリアルの実力差に由来し保護し保護され関係になっているものです。
ただ、契約する双方に権利があり義務がある関係だったという特色が、あります。
日本の鎌倉時代や江戸時代の封建制度は、幕府が強大な権力を持ち従う者を圧倒していたので、御家人や大名の側に与えられる権利は大きくなかったわけです。
同じ主従関係でも、このように中身に差があります。
*「主君」「家臣」
これも、前の主従関係と同じことがいえます。
家臣というと、主君の家つまり主君とその子供や孫にも仕えているという印象です。
しかしこの時期の西ヨーロッパの封建制度では、家臣は主君個人との契約関係に過ぎず、主君が亡くなると契約終了というパターンでした。
ただ主君の後継者の人柄を見極め、改めて契約を結ぶということが多かったようです。
これは実は、日本の江戸時代の封建関係の形式上の儀式になっています。
大名に相続が起こると幕府にあいさつに行き、将軍と改めて主従関係を結ぶ(領地の安堵)という儀式を行います。
将軍に代替わりがあると、大名たちは江戸城に赴き「将軍があなたに領地を安堵する」という内容の朱印状をもらいました。
*「国王」「貴族」「農民」「諸侯」「領主」「騎士」「主君」「家臣」
騎士も入れました。
いろいろに使われるので、これらの関係や意味するところの理解が混乱しそうです。
身分としては、国王・貴族・農民です。
いずれも先祖代々、子々孫々、生まれと血統により受け継がれていく立場です。
農民が貴族になることはできませんが、戦争で手柄を立てると騎士見習いや騎士に採用され貴族になれるチャンスは非常に少ないですがありました。
土地支配関係では、領主・農民です。
領主の領地や勢力の大小により、国王・諸侯・騎士と区分されます。
国によっては、諸侯の中から国王に選ばれる場合もあります。
封建的主従関係では、主君・家臣です。
この中身は、国王・諸侯・騎士といろいろです。
少し複雑ですが、国王の中には他国の王を主君としている家臣もいました。
例:中世のイングランド王は、フランス王の家臣。
このことが原因で、両国の間に百年戦争が起こります。
*「地域」
という言葉は、地方と言い換えてもいいです。
中央政府に対する地方です。
この中世西ヨーロッパでは、領主が国王から課税されない入られないという独立の領地を有していたため、中央政府の力が地方に及びませんでした。
つまり、権力が各地域で各個に分立・分散していたのです。
このため支配される農民は、生まれた地域(領主の領地)で一生を過ごす生活を余儀なくされます。
地域同士の交流も、ほとんどありませんでした。
村々を渡り歩く人たちは、行商人や吟遊詩人が主でした。
*「直営地」「保有地」「(共同)牧草地」「自由」「奴」
動詞が入った言葉です。
それぞれ、領主が直接経営している土地、農民が保有している土地、農民たちが共同で使用している土地となります。
基本的に領地の100%が、領主の所有地です。
「所有」と「保有」、言葉が違うことに気づいてください。
保有というのは、領主から「この土地を自由に使うことを許可される」という意味です。
自由といっても、使用方法は限られます。何せ畑を耕す犂(すき)の幅だけ(つまり一畝(うね))の短冊状の土地ですから。
そして領主直営地も、もちろん畑です。
働かされる人は、領地内に住む農民です。その土地で収穫された作物は、全て領主のものです。つまり農民のタダ働きです。
自分が保有する土地での耕作は、その合間にしかできません。
農民が食べていくには保有地の収穫物だけでは足らないので、領主からおこぼれをもらうしかありません。
領主から散々奴隷的にこき使われ、やっとおこぼれにありつけます。
こんな感じです。農奴と呼ばれる理由が分かります。
「共同牧草地」も同様で、領主が所有する牛馬や羊が大半を占領します。
農民が保有地で効率よく(人力だと効率が悪い)耕作するには、その牛馬や羊を領主から借りることになります。
もちろん領主は、タダでは貸してくれません。
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