はじめに
前回ブログは、まさか版籍奉還だけで1回分行くとは思っていませんでした。
日本史歴史思考、おそるべし(笑)。
できれば簡略化したいのですが、歴史的思考のきっかけになる言葉がこうも満載では致し方ありませんね。
入試勉強ではこのような歴史的思考をしていては、時間がいくらあっても足りません。
ただ歴史的思考はムダではなく、ちょっとした言葉からこうも思考が広がるのだということを知るだけでも意義があると思います。
歴史を愛好する社会人の方々にとっても、歴史の広がりの大きさ深さを再認識することと思います。
今回の参考資料・引用元は
山川出版社発行の教科書『日本史探究 詳説日本史』2022年検定済23年発行
P236~P238(7行目)「廃藩置県」
https://new-textbook.yamakawa.co.jp/j-history
第四段落の要旨と歴史的思考
繰り返し出てくる言葉を抜き出すと、次のようになります。
なお、繰り返し出てくる言葉を抜き出すときは、初出のものだけとし、出てきたのが2回目以降の場合は書き出さないというやり方をとっています。
前出の内容との重なりを防ぐ意味のほかに、文章は無意識な構造的に前出のものの繰り返しになることが多くそれが要旨把握を妨げるので排除するという意味もあります。
これらの語群で作文すると
「1871年政府は、旧体制を廃そうと御親兵の力で廃藩置県を断行した。中央である東京に全てを集め、国内の地方行政は中央政府が行うことになった」
というふうになるでしょうか。
作文の内容は参考例であり、いろいろな文を作れると思います。
さて、歴史的思考のキーワードが、またもやいくつか見えています。
日本語というのは、こうも深みのある言葉だったのですね。
*「廃」
ここでは藩を廃止したのですが、廃止は、不要になったから捨てるという意味です。
これは動詞ですね。
動詞ということは、主語があります。誰が藩を捨てたのでしょうか?
明治新政府が藩を捨てたんですね。
あれ?藩といえば諸大名の持ち物だったはず・・・、あ。
そう、2年前の版籍奉還により朝廷が藩を諸大名から取り上げました。
だから廃藩は、政府が持ち物をごみ箱に捨てただけです。簡単です。
しかし当時の諸大名は、江戸時代と同じ儀式(いったん将軍に領地を返し、改めて封じられる)をしたと思い込んでいます。
廃藩の知らせを聞いて諸大名(知藩事)や藩士は、さぞや驚いたことでしょう。
文句を言おうと見たら、新政府のもとに3藩の兵が集結しています。戊辰戦争の主力となった兵たちです。抵抗は無意味だと悟ったでしょう。
廃藩が、新政府による諸大名に対するクーデターだといわれるゆえんです。
版籍奉還は、将来の廃藩を見越した計画的なものでした。
*「断行した」
新政府は、廃藩置県を行ったのではなく、断行したのです。
断行といういい方は、かなり大げさな形容詞が付いたいい方です。
その意味は、普通に行おうとしてもできない場合に、無理に行うという意味です。
版籍奉還をしたといっても、もちろんそれは江戸時代の儀式と同様に中身を伴わない形だけのものでした。
他人から取り上げておいて返さないとか、さらにごみ箱に捨てるとか、完全にドロボーですね。普通ではありえないし、できません。
それを明治新政府が、無理にやったというわけです。
大きな確率で諸大名との戦争になるだろうと、政府首脳は覚悟していました。
前時代のものを持ち続ける日本史としては、かなり珍しい部類の出来事です。
当時の政府首脳の人たちに、大きな危機感(日本が、欧米列強の植民地にされるかもしれない。早く統一して防衛軍を整備しよう)があったことの現れです。
まさに急務でした。
*「東京」「中央」「地方」
権力を中央に集め、地方を中央が統治する、中央集権体制の確立です。
地方に自治を大幅に認める時代というのは、だいたい外国からの脅威がない平和な時代です。
当時は、お隣りの中国が欧米列強の侵略の魔の手に取りつかれていました。
その欧米列強の矛先がいつ日本に向かうかもしれないという、緊急事態的な時期でした。
実際、既に不平等条約を結ばされ、日本経済は欧米列強に従属しつつありました。
このようなときにある藩がフランスと結んで、別の藩がイギリスと結んで、などと自主的にやっていたら、あっという間に列強に侵略されてしまいます。
戊辰戦争時には、旧幕府軍にフランスが参加していました。
第五段落の要旨と歴史的思考
この辺りから内容がごちゃごちゃしてきます。要旨を見極める必要があります。
固有名詞を除くと
「朝廷組織の制度を改革し、各省を政府首脳の下に置くことを決めた」
となります。
初期(政体書)はアメリカ的な三権分立をめざすと言っていたのが、アメリカには君主がいないことから日本本来の制度に戻し、ただ各省を政府首脳(形式上は天皇)の下に置くという中央集権組織を作ったのです。
*「太政官」
実は、朝廷の伝統組織は「太政官」と「神祇官」の2官体制でした。
しかしこれでは権力が2つに分裂してしまうので、神祇官を格下げして太政官の下に置きました。
*「各省」
これは現在の各省のもとになったもので、当時は、神祇官から格下げの神祇省、現在の財務省に当たる大蔵省、現在の防衛省に当たる兵部省(のち、陸軍省・海軍省)、外務省などがありました。
第六・第七・第八・第九段落の要旨と歴史的思考
兵部省 1872年
近代的な 軍隊 創設 告諭 国民皆兵 男
警察 内務省
「1871~73年、政府首脳が使節団として欧米へ。その留守を預かった西郷隆盛政府は、学校・軍隊・警察の諸制度を整えた。軍隊は、国民(男子)皆兵に基づく近代的なものにした。警察は、内務省の下に置かれた」
使節団の目的はいろいろありましたが、結果としては挨拶・視察にとどまりました。
政府首脳たちはこれがかなりショックだった模様で、帰国後、日本を強国にするため急ピッチで国内改革を行おうと決意します。
*「徴兵」「近代的な軍隊」「国民皆兵」
現代の平和に慣れた日本人の感覚からすると、「国民皆兵がなぜ近代的な軍隊なのだ?」という疑問がわくと思います。
この国民皆兵の理念というのは、とくにアメリカが植民地支配から独立するときや、フランスが国王や貴族による支配を打倒する市民革命を起こしたときに、唱えられたものに由来します。
それは、民主主義の象徴なのです。
「軍事が、民主主義の象徴」ときくと、多くの日本人は非常に驚くと思います。
しかし欧米には、民主主義は座して待って手に入るものではなくて、非民主的な支配者を打倒して初めて手に入るものという考えがあります。
その支配を打倒する手段が、国民皆兵です。
これは、実は古代ギリシアのポリスの民主主義にも共通する特色です。
ポリスの構成である市民の資格は、重装歩兵として対外戦争に参加することでした。
だから国民皆兵政策をとることは、すなわち民主主義を成立させることにつながるのです。
明治初期のここでは、従来武士が独占していた軍事を一般国民に門戸を開くという理念がありました。
ただ当時の日本国民は、これに大反発し抵抗しました。
日本の伝統的な思考「政治や軍事はサムライに任せておけばよい」というのが大きかったのです。
日本人が、第二次世界大戦後のいわゆる平和憲法(戦争放棄、軍隊を持たない)をすんなり受け入れたのは、こういう日本人の政治軍事無関心思考が素地にあったからだと私は思います。
*「男子」
国民皆兵というなら、男子だけでなく、女子も軍に参加するべきでしょう。
実はこの問題は世界的に見ても非常に根深いものがあり、この21世紀においても女子に男子と対等の軍人資格を認めた国はわずか3か国しかなく、しかもそれは21世紀になってからという有様です。
人権思想の先進国であるアメリカでさえ「軍隊組織を主導するのは男子であり、女子はそれに従うべきだ」という思考が、普通です。
また「戦争という厳しい仕事に女子は向いていない」とか「女子は子供を産み育てる存在だから戦争に関わらせてはいけない」などという、明らかに論理が破綻している思考がごく一般的にあります。
きほん戦争はなるべくならしないほうがいいもので、それは人類共通といえます。
戦争を避けるための軍備(抑止力)が今は一般的という点では、女子にも軍隊に参加する権利があると思います。
実際の戦闘も、希望すれば、性別に関係なくやればいいと思います。
広告
日本史問題集完全版 (大学受験東進パーフェクトマスターシリーズ) [ 金谷俊一郎 ] 価格:1320円 |