今回の参考資料・引用元は
山川出版社発行の教科書『日本史探究 詳説日本史』2022年検定済23年発行
P238(8行目)~P239(5行目)「四民平等」
https://new-textbook.yamakawa.co.jp/j-history
冒頭文で時代を特定
この単元には、そういう意味での冒頭文があります。
国内統一と並行して、・・・
国内統一というのは、前の単元の廃藩置県のことです。
つまりこの単元は、前の単元と同じ時期です。
年号でいうと、終わりが1876年と前の単元の終わり(1874年)より少し後ろにずれています。
このように、その単元がどの時期に位置するかを正確に把握しておくことが重要になります。
第一・第二段落の本文の要旨把握と、歴史的思考
この2つの段落は、一つのまとまりのある内容です。
繰り返し出てくる言葉をチェックすると
戸籍
「藩を廃止し政治的に統一するのと並行して、身分も制度としては(社会的な差別は残った)統一され結婚が自由になり、戸籍が整備された。ただ新たな義務が生じ、生活は逆に苦しくなった」
平等になったぞバンザイ!というわけではなく、その悪影響もあったということです。
物事は、だいたい功罪併せ持つのが普通ですね。
*「統一」「身分」「差別」「華族」「士族」「平民」「平等」
政府の目的は、藩の廃止による武士身分の廃止にあったのですが、いきなりやると元武士からの反発や抵抗が考えられます。
彼らは腰に刀という名の武器をぶら下げ容易に抜刀できるので、怖い。
「士族」という名称を編み出し、一見「特別待遇だぞ」と思わせました。
もちろん中身も伴っていて、今まで幕府や藩主から受け取っていた禄(ろく。米やそれを換金した貨幣で受け取る)をそっくりそのまま政府が支給しました。
いきなり改革するのではなく徐々に改めていくという方法は、日本だけでなく世界共通のことです。
これは人間関係でも同じことで、いきなり通告や命令を下すのではなく、その前にワンクッション・ツークッションを置いてやんわりと進めるというやり方がコミュニケーションを損なうことを防ぎます。
歴史から学べとよくいわれますが、このような学び方もあります。
「身分」という語には、「分」つまり分けるという字が入っています。
「統一」の「一」と比較すると、その対照的なことがよく分かります。
また動詞に着目するとどちらも「分ける」「総(す)べる」というもので、自然に分かれた統一したのではなくて、誰かが意図的に行動する言葉だと分かります。
誰かとは、政治権力(幕府や政府)です。
「分」には分かれるという言い方もありますが、身分の場合は多くは、より勢力のあるほうの人たちがマウントをとった結果であることが多いです。
「差別」という語はそれ自体は動詞ではありませんが、差をつける、別にするという動詞形態で使うことが多いです。
これにも、主語が存在します。
身分と同じく、政治権力の国民分断政策や、有力な集団のマウント目的で行うのが、差別です。
「平等」も、平らにする、等しくするという動詞になります。
皆同じ人間なのですが、身体の違い、体力の違い、性格の違い、親から受け継いだ財産の多少など環境の違いによって、平等ではないのが残念ながら一般的です。
したがって平等を保つには、強力な指導や政策が必要なのです。
*「四民平等」
四民といっていますが、真の目的は二民平等です。
元武士を民身分に吸収させる。
*「義務」
そして平等政策・統一政策の最大の目的は、これにありました。
明治政府は、人々に「自分たちは日本国の一つの国民である」という意識を持たせるその手段として、国民の義務を定めました。
具体的には、兵役の義務と、納税の義務です。
実はどちらも、合理的な根拠がありません。
「戦闘で怖い目に遭いたくない死にたくない」「人を撃ちたくない殺したくない」という思いが、人には皆あります。
「汗水働いて稼いだお金の何%かをなぜ国に奪われなくてはいけないのか?」と、みな疑問に思っているでしょう。
古代や中世など昔は、政治権力は、有無を言わさず理不尽にという態度でした。
しかし近代になると、義務に権利を抱き合わせることによりその合理性を国民に説明しています。
「欧米列強に侵略されたら奴隷にされますよ?戦いましょう」
「国が警察力で防犯したり福祉政策をしているのだから、みんなでその財源を負担しましょう」
安心安全に生活する権利を守ろう!このように説得されると、まあしかたないなと思うでしょう?
ただ当時の日本国民(大多数がもと非武士)が兵役の義務にかなり反発抵抗したのは、前に書いたとおりです。
実際軍隊に入ってからの日々はパワハラ・セクハラ・イジメだらけ生き地獄のような環境だったので、国民の反発抵抗はある意味正しかったと言わざるを得ません。
第三・第四段落の本文要旨の把握と、歴史的思考
(家禄)支給(賞典禄)(秩禄)(1873年)額 公債 証書
商 事業
「士族への禄の支給は、1873年に公債証書に改められた。士族は、それをもとに商業や事業を始めたが・・・」
ここは、学習者の多く(特に高校生)がよく分からないという箇所だと思います。
公債証書という、十代の年代にはあまり見る機会のないものが登場するからです。
投資とは無縁な社会人の多くも、見る機会が少ないかもしれません。
禄(ろく)というのは、封建的主従関係を結んだ従者が主君から受け取る報酬です。
全国諸藩の藩士が江戸時代これを受け取っていたのですが、明治政府は藩を廃止した後も諸大名に代わって支給し続けていました。
「元武士は大事にするよ」というアピールでした。
しかしもちろん、政府の財政(その40%を占めていました)を圧迫します。「何とか削りたい、廃止したい」
*「債」
これは、現代では民法という法律に出てくる経済用語です。
民法は、家族関係を定めるほかに、民間の経済取引のルールも定めています。
債は、分かりやすく言えば、借金を取り立てる(カネ返せ!)権利のことです。
誰が、誰から借金をしているのでしょうか?
「公債」という言葉がここに出ています。
この場合、借金をしているのは明治政府です。
カネを貸しているのは、廃止された全国諸藩の元藩士たち(士族)です。
借金をするときは、ふつう借金契約をします。法律上は、貸金契約と呼びます。
契約をすると、その証明書(契約書)を作ります。
「誰が、誰に、何円、貸した。返済期限は、何年何月何日」
明治政府は元藩士たちにいつ金を貸したのでしょうか?そんな契約をしたのですか?
リアルは、金を貸していないし、契約もしていません。
しかし、政府が元藩士たちに金を貸したという風な形を作り、証書を元藩士たちに渡しました。
これが、秩禄処分です。
さて、ここで注目するべきは、その証書の文面です。
「何円、貸した」
この何円(額面といいます)の記載がないと、証書として有効になりません。
当たり前ですね。証書を持ってこられても何円か書いていないと、支払いようがありません。
そう、これが明治政府の狙いでした。
今も残っているその証書には、「百円」「拾(じゅう)円」と印字されています。
(百円あると、明治初期では豪邸を買えました)
秩禄処分前には政府は元藩士の一生分を払い続ける必要がありましたが、渡された分は最大15年分でした。(一般士族平均で、500円)
一応カネを貸している体裁なので、元藩士の士族は政府から利子を取れます。
利子というのは、カネを貸している人を不安にしないために一年単位で一定割合(この時は最大10%)のカネを、借金している人が支払う仕組みです。
そうやって毎年利子を受け取って生活するのもありですが、いっぺんに全額を返してもらうという方法もありました。
証書を他人に売る方法です。
ちなみに法律上、カネを貸している権利(カネを返してもらう権利。ここでは公債証書)は他人に売ることが可能です。債権譲渡といいます。
現代でもよく見られるのが、借金した人が貸金業者ではない他人から取り立てに来られるというシーンです。貸金業者がその他人に権利を売ったのです。
多くの士族がこのようにいっぺんにカネを受け取りました。
渋沢栄一のようにその資金で事業を始め、成功した人もいました。
政府としては「処理が早く終わったわい、やれやれ」ですね。
秩禄処分の理解には、こういうふうに民間の経済取引(特に借金)の知識が必要です。
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