今回の参考資料・引用元は
山川出版社発行の教科書『日本史探究 詳説日本史』2022年検定済23年発行
P240(5行目)~P241「殖産興業」
https://new-textbook.yamakawa.co.jp/j-history
冒頭文を読むと
政府は富国強兵を目指して殖産興業に力を注いだ。
うーん・・・これは、時代を特定する内容ではありませんね。
この単元の内容と、その時の政府の目的のさらっとした紹介文です。
本文に出てくる年号を書き出すと、
1869年 1870年 1871年 1872年
1873年 1874年 1876年
とあるので、前の3単元と同時期になります。
本文要旨の把握と歴史的思考
ここは、様々な内容が8段落にわたって記されています。いろいろありすぎて、ごちゃごちゃになっています。
こういう時こそ、繰り返し出てくる言葉のチェックが威力を発揮するはずなのですが、果たしてどうなのでしょうか?
第一段落
制度 撤廃 外国人 近代 政府 経営
「政府は旧制度を撤廃し、外国人を雇って産業の近代化を自らの経営のもと進めた」
短い文の中に、さらっと重要な内容が含まれています。
*「撤廃」
「廃止」とどう違うか?というのはよく聞かれることですが、廃止が一般的にやめることを指すのに対し、撤廃は長く続いてきて放置すると今後も続いていくというものをやめることという意味です。
ここでは江戸時代以来ずーっと続いてきたため、もはや皆があるのが当然という制度を廃止したことを意味します。
教科書に載っているものの1つに、「関所」があります。
箱根の関が有名で、人が旅行するときはここで身分や旅行の目的、所持品などを調べられます。
特に「出女、入鉄砲」が警戒されました。
江戸城に人質に取った大名の妻女が江戸を脱出するのではないか?(大名が反乱を起こす前触れ?)鉄砲を江戸に運ぶのではないか?(江戸城攻撃計画?)
室町時代以前の関所は、通行料をとる目的のものでした。
いずれにしても、交通を大いに阻害していました。
*「外国人」
近代化を手っ取り早く行うには、近代文明をよく知っている外国人を連れてきて教えてもらえばいいんだという、まあ短絡的な手段です。
鎖国時代は、長崎から細々と入ってくる西洋の書物を皆で苦労して独学したのに。
私なんかそうですが、他人から教えてもらうのはいまいちよく覚えられず、自分で独習したほうがよく理解できるということがあります。
私は世界史が専門ですが、実は独学で習得しました。学校時代は世界史が苦手でちんぷんかんぷんでしたが、いつか克服してやるぞと思い独学してみると意外にすんなり理解できました。世界史が日本史に比べ、論理的な内容だったことも理由でしょう。
それはさておき、明治政府が近代化を急いだ理由は、欧米列強からの脅威がさらに増していたというものです。
この1870年代は、世界ではイギリスがヴィクトリア時代に入りいよいよ本格的にアジア・アフリカを植民地化しようとしている頃です。
中国も太平天国と第二次アヘン戦争の頃で、欧米列強にいよいよ国内に勢力を植え付けられています。
うかうかしていたら日本も、欧米の植民地にされてしまいかねない情勢でした。
早く近代化して欧米諸国に「自分たちと同じ近代国家だから滅ぼす対象でない」と思わせたかったのです。
*「近代」
だから、ここでいう近代とは、当時の欧米諸国と同じ内容の政治と経済と文化ということになります。
政治面では、議会政治。
経済面では、機械工業による資本主義。
文化面では、自由主義や個人主義。
明治初期の日本には、どれもまったく100%存在しません。どうしたらいいんだ?
とにかく早く早く早く早く(笑)こういう日本にしよう!という行動になります。
これらは欧米では、長い歴史のなか自然に国民の間に生まれてきたものです。
しかし日本では、国民に任せていてはいつになるか分かりません。
そこで「政府」が、自らこれらを無理に導入しようとします。
経済面では、工場を政府自ら作りお手本を見せて皆この通りにしろと言いました。豪商を保護し、支援し産業を作らせました。上からの資本主義というものです。
「殖産興業」は、政府が産業を養殖し、政府が産業を興すという意味です。
第二段落
省(横浜)間(大阪)旧幕府 造船所 官営 事業 近代化 工場(東京)
一番最初に「省」、そして「官営」。まさに政府主導の経済活動です。
「工部省が、東京と横浜の間や大阪に鉄道を敷いた。政府は、旧幕府の造船所を受け継ぎ官営したり、工場を作った」
*「省」
当時の政府の各省には、工部省のほかに、神祇省(のち教部省)、兵部省(のち陸軍省・海軍省)、外務省、内務省、文部省、司法省、宮内省がありました。
現在だと細かい事務区分がされていますが、当時は区分がいいかげんで、内務省が博覧会を開いたりとかいろいろでした。
今は司法権の独立とかいいますが、当時は裁判所は政府の下に置かれていました。
*「間」
鉄道や道路の整備は、都市間や地域間を結ぶ交通の活性化につながります。それはもちろん産業の成長(商品の売買をスムーズに)に欠かせないわけです。
ただこういう「間」の事業は、一般的に目につきにくく気づきにくいのです。
そういうところに着目しいち早く近代的なものを導入したという、当時の政府首脳の優秀さがよく分かります。
あるいは、政府首脳の中に商業をよく理解している人物が居たことも見えてきます。渋沢栄一、井上馨(かおる)ら。
*造「船」所
古代以来そして現代も、国際交通の最大手段は船です。
船が無いと、世界経済は崩壊します。
船は、浮力を利用して大量の物品を運ぶことができます。
航空機では、それはできません。
船の動力は、古来、手漕ぎ、風を帆に受けるが一般的でしたが、この時期は蒸気機関が最先端として登場しています。
したがって造船所で作られる船は、当然、大型の汽船です。
こんな大きな船を運用するには、政府の力だけでは足りません、会社組織が必要です。
*「官営」
政府が経営するという意味です。反対語は、民営です。
わざわざ官営と書いてあるということは、ふつうは民間経営のもの(造船所・炭鉱)を特別に政府が経営していることを示しています。
その目的は、前述のとおりです。
*「近代化」「工場」
この2語は関連付けられて記されているので、この工場は近代的な工場を指します。
工場というと、機械が稼働する工場を想起すると思いますが、工場の本来の意味は仕事をする人が集まって働く場所です。
したがって、機械が無く手作業だけでも、人が集まればそれは工場です。この手作業による工場の仕組みを、工場制手工業(マニュファクチュア)と呼びます。
この手工業の工場は、近代以前、近代の前段階に位置付けられます。
機械の発明がもたらした産業革命も、この工場制手工業が基礎になりました。
日本でも江戸時代後期には、都市近郊の農村で人が毎日通勤する工場が出現します。
つまり近代的な工場は、この手工業から機械工業に進んだものです。
なお、工場制手工業の前段階は、問屋制家内工業です。
これも、その前段階の純然たる家内工業とは異なります。
人が各家で仕事をしますが、それは問屋に卸すためつまり売る目的で加工します。
この「売る目的」というのが、近代性の特色の一つになります。
第三段落
郵便 電 線(長崎)海運(岩崎)(三菱)
「郵便制度ができ、電線が敷設され、海運が保護された」
この3つは互いに関係があるようで、直接関係のないものたちです。
この時この3つを1つの政府部署がやってしまったため、のち3つとも逓信(ていしん)省の管轄となり、戦後の郵政省・運輸省につながります。
直接には関係ありませんが、いずれも国際関係を構築するのに欠かせないツールです。
前に造船を盛んにして、それをもとに海運を盛んにします。
その船を使って郵便を送り、さらに電線(モールス符号による)を運んで海に沈め海底に敷設します。
(1873年に初めて国際電線を長崎ーウラジオストクに敷設したのはデンマークの会社でしたが。早くもこの年に、日本は世界とつながりました)
第四段落
民間 貿易 模範(富岡)製糸(フランス)技術 導入 工女
「民間経済を盛んにし貿易を有利にするため、近代製紙技術の導入を目指す模範場をつくり工女を要請した」
官営模範工場の富岡製糸場、とよく出てきますが、その言葉を単体で覚えるのでは不足です。
正しい理解のためには、必ずその目的、そしてその内容を一緒に学ぶ必要があります。
前述したとおり、工業を代表とする近代産業は全て売ることを目的にしています。
どこの誰に売りますか?
国内の消費者、そして海外の消費者です。
消費者に買ってもらうためには、品質を向上させ付加価値を高める必要があります。
機械で生産すると、人の手による品質の差がなくなり、また大量に製造できます。
当時の欧米諸国の工業には、機械が普及しつつありました。
日本も後れを取るなというわけです。
*「貿易」
には、輸出と輸入があります。
輸出は海外に売ること、輸入は海外から買うことです。
どちらが貨幣を多く獲得できますか?前者です。当然です。
商売の基本は、安く買って、高く売ることです。
比較的安価で買える物品は、何でしょう?
原料です。
加工された物品は、付加価値が付いているため高価です。
原料を安価で買い、加工して高価で売る。これが、近代産業です。
まあもっとも良いのは原料を国内で産出することですが、日本には無いものです。
*「製糸」
繊維工業の種類の一つです。これは、糸を作るもの。
糸といっても、原料別があります。
製糸は、原料が蚕(かいこ)という虫が吐き出す糸(桑の葉を食べるとそういう糸が出来る)でできた繭(まゆ)です。
この糸は、蚕を育てるのに手間がかかることからとても高価になります。
畑で栽培する綿花を原料にしたものが綿糸で、それをより合わせる加工を紡績業といいます。
なお同じく畑で栽培する麻を原料にした麻糸や、羊の毛を原料にした毛糸もあります。
この糸たちを縦横に組み合わせる加工が、織物業です。
出来上がった織物は、晒(さらし)業により真っ白に漂白され、染め業により色付けされ、仕立て業により衣服にされて、販売されます。
これらの繊維業のことを、糸へん業と呼んだり、アパレル業と呼んだりします。
*「工女」
この言葉を何気なく見てはいけません。当時の時代をよく表す言葉です。
そう、「工員」ではなくて、「工女」です。
なぜ男子の工員がいないのでしょうか?
当時の人口の大多数は、農民です。
農業経営は家族総出ですることが多かったのですが、特に男子がメインでした。
女子は家内手工業に従事したり、都市近郊農村では工場制手工業に通勤していました。
その流れです。
主婦は家庭内の切り盛りで忙しいため、工女の多くは未婚の女子でした。
江戸時代以来の政治社会制度により女子は男子より一段低く見られ、そのため工場での給金もかなり安いのが現状でした。
安い給金でこき使われることが多く、『女工哀史』という有名な著作もあります。
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