今回の参考資料・引用元は
山川出版社発行の教科書『日本史探究 詳説日本史』2022年検定済23年発行
P240(5行目)~P241「殖産興業」
https://new-textbook.yamakawa.co.jp/j-history
本文要旨の把握と歴史的思考
私が行っている手法は、繰り返し出てくる言葉を抜き出しているものです。
これは一風変わった方法ですが、不思議に要旨を把握できるのです。
これは、重要なことは繰り返し言う書くという人間心理に基づく結果だと思います。
教科書の著作者や編集者も人間なので、無意識のうちに重要な語を繰り返し文中に組み込んでいるというわけです。
特に教科書の場合は生徒さんに歴史を理解しやすいように教えるという目的があるので、その心理がより如実に表れるのです。
第五段落
内務 農 畜 学校 開く
「内務省も、農学校や畜産場を開くなどした」
殖産興業には、いろいろな官庁が関わりました。
この農学校は、札幌農学校など北海道だけではなく、駒場農学校など全国各地に作られました。
作ったのは、工部省や文部省ではなく、内務省でした。
*「内務省」
前に、内務省が博覧会を主催したと書きました。
内務省といえば、地方自治と警察がメイン事務という印象が強いです。
殖産興業に直接関わると思われる官庁は、工部省です。鉄道を敷いたのは、工部省でした。
当時は事務区分が明瞭でなかったからという理由もありますが、最大の理由は特に内務卿(省の長官)に大久保利通が就任した時以降です。
大久保内務卿は、当時の欧米諸国から「日本の宰相」と扱われていました。
ゆえに内務省は、国内のこと全てを扱うことが可能で、さらに他の官庁に対し上位に立っていました。
ちなみに大久保利通の後任は伊藤博文です。
この内務省は、その後いわゆる特高警察を指揮し国内の治安維持を主担しました。
その内務卿ないし内務大臣は、内閣では副総理格です。
明治・大正・昭和戦前の政治を学ぶとき、内務大臣に誰がなったかを知ることが重要です。
(例えば、隈板内閣の総理は大隈重信、内務大臣は板垣退助)
*「農学校」
現在の産業教育や農業・工業・商業高校の、一番最初のものです。
専門的な実地のスキルを身に着けるというより、産業の学びを通して人間性を養うという目的でした。
(クラーク博士の札幌農学校が代表的)
この方針は、のちの明治教育制度の実業学校に受け継がれます。
当時の位置づけは、今の大学に該当します。
この頃はようやく小学校が設立されたばかりで、つまり大学(高等教育)と小学校(初等教育)しかありませんでした。
その間をつなぐ中等教育は、この後どんどんできていきます。
第六段落
北 開発 道 開拓使(札幌)
「政府は、北海道の開発のため開拓使を札幌に置いた」
北海道には未開の広大な土地と資源があったので、その開発は急務でした。
開拓使の長官は各省の長官と同格とされ、明治政府第二世代の薩摩藩閥代表者の黒田清隆が就任しています。
(第一世代は、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允ら。第二世代は、黒田のほか、伊藤博文や山縣有朋ら)
*「北」
といえば、南・東・西です。
言葉にはいろいろありますが、その中で最も思考が広がる言葉です。
特に日本列島にとっては、宿命的な言葉といえます。
日本は周囲を海に囲まれ、古くは絶対の防壁として機能していました。
しかし海運が発達すると、日本は大きな外の脅威を四方から受けることになります。
この頃は、北にはロシア帝国。東は、アメリカ合衆国。
西は、清王朝とそこを侵略する欧米列強。南からも、欧米列強の船が来航。
これは、現代にもつながっています。
この東西南北で最も距離が近いのが、北海道の周辺になります。
与那国島と台湾が111キロメートル。対馬と朝鮮半島が48キロメートル。
北海道とサハリンが42キロメートル、択捉島と得撫島が40キロメートル。
朝鮮半島との距離が九州本土からは200キロメートルなのに対し、北海道本土とサハリンの距離がわずか42キロメートルなのです。
日本にとって最も大きな脅威は、北方にあります。だから北方の開発は、急務なのです。
*「道」
なぜ県でないのでしょうか?
実は明治初期、3つの県が置かれました。
しかし広大過ぎたこととアイヌ統治の必要から、道に変えました。
古代律令時代以来の地方制度に五畿七道があり、その道(東海道や南海道)に由来するという説もあります。
歩くほうの道ではなく、広域行政単位としての道です。
今も、地域呼称として使われています。例:南海トラフ。
近年提唱されていた道州制というのも、この道由来のものです。
*「開発」「開拓」
が必要なのは、未開の地です。
何もない原野や荒れ地と聞くとそれほど行きたいとは思いませんが、もしそこに「豊かな土地がある」とか「金が埋まってる」と聞くと行きたくなりませんか?
リアル生活が充実している人(リア充)はそんな気持ちになりませんが、リアルに不満な人は「人生をリセットして、新天地で一から始めよう」という気が起こります。
ゆえに、未開の地には多くの人が殺到するのが常です。
これは、ラノベやアニメの異世界物が流行る理由にもなっています。
当時の北海道には、明治維新により特権を奪われた元武士が多数移住しました。
屯田兵というのは、そういう元武士の能力を北の防備に生かそうとした制度でした。
なお世界史でも、未開の地への憧れとムーブが巻き起こったことが何度かあります。
この19世紀のアメリカの、西部開拓が有名です。
大航海時代も、「黄金の国ジパング」への憧れが動機の一つでした。
ただ「未開」といっても、それは開拓する側からの視点です。
発展していない地域であっても、人が暮らしていける環境であればそこには必ず住民が先んじて生活しています。
残念なことに開拓者の多くは、それらの先住民の生活を踏みにじることが少なくありませんでした。
開拓者の中には「大昔の故郷・聖地を取り戻す」と標榜し、先住民から土地を奪う者もいます。十字軍や戦後のイスラエルが、その典型です。
また先住民保護が問題化するとそれを逆手にとって侵略した土地に人を住まわせ、取り戻そうとする人に「先住民の土地を奪うな」と反論する事例もあります。
第七段落
新 貨 銀 紙幣
「政府は、新貨幣(金・銀)と新紙幣を作った」
*「新」
江戸時代にも金・銀・銅の貨幣があり、市井には銅貨が流通していました。
なぜ皆が使っているそれを使わずに、新しく作り直したのでしょうか?
それは、貨幣制度が信用の上に成り立っているからです。
誰が誰を信用するかというと、使う国民が政府を信用するかどうかということです。
旧貨幣を発行していた江戸幕府や藩は、滅亡しました。
新しい政府が出来ました。
新政府は、天皇の伝統権威と徴兵軍の実力により安定度を増し、信用に値するようになります。
その信用を勝ち取るまでの間は、太政官札という怪しげな紙幣でつないでいました。
*「貨(幣)」「紙幣」
信用が固まると、いよいよ紙幣の発行になります。
信用が少ない時期の紙幣は、金銀と交換可能(兌換紙幣)とされていました。
その意味で、金属貨幣はそれ自体に値打ちのある貨幣です。
現在の紙幣は、金銀と交換不可能(不換紙幣)です。
*「銀」
とくれば、金・銅。上位3メダルですね。
もっとも価値が高いのは、金です。
ただ、あまりにも金ぴかすぎる外観もあって、市井にはほとんど流通しないのが普通です。
豊臣秀吉も、諸大名に配る目的で大判金貨を発行しています。
銀は、2番目に価値があるものです。
しかし江戸時代を通じて、一般国民の多数はこれを見たことがありませんでした。
主に外国貿易(輸入)の支払いに使われていました。
明治初期も同様でしたが、途中から市井への流通が始まりました。
銅は、日本国民が古来普通に使ってきたお金の材質です。銭(ぜに)ともいいます。
現在の日本の通貨の大部分が、銅貨です。
一見銀貨に見える百円玉、五百円玉も、実は銅貨です。銅にいろいろと混ぜた結果が、銀色になっています。
ちなみに五十円玉は、ニッケル100%です。
五円玉は金色ですが、黄銅(銅と亜鉛の合金)です。
なお十円玉は、銅鐸や銅矛と同じ青銅(銅と亜鉛・スズの合金)です。出来立てほやほやの青銅は、金色です。
第八段落
事業
これには、企業の組織的な営利活動という意味と、国家が行うものとがあります。
ここでは、前者のことです。
つまり、この殖産興業の時期に、日本の企業組織が出来上がったということです。
その中で特に発展したのが、のちの財閥です。
三井・三菱の2大財閥は、明治2大政党の支持基盤となっていきます。
政界と経済界が密接な関係にあることは、日本の近現代史の理解に欠かせません。
「癒着」「汚職」問題があるので嫌悪感で目を背けたくなりそうですが、そこは我慢して見つめなければいけません。
補足
私は、繰り返し出てくる言葉をメインに本文の要旨を把握していますが、教科書が手元にあるなら一つの段落の中を見比べる作業をお勧めします。
その文の中に互いに対照的な言葉を発見できたなら、それは非常に有意義なことです。
例えばこの単元の第一段落の中に
株仲間などの独占の廃止 自由な経済活動の前提を整えた
というものがあります。
この中の「独占」と「自由」は、互いに対照語の関係にあります。
経済は自由競争が重要で、特定の者が独占していると発展がなくなります。
例えば価格は、普通だとより良い品質のものが高価になり悪い品質のものが安価になりますが、独占している企業がいるとその企業が品質が悪いのに高価に決めてしまいます。
明治政府は、自由経済を導入しようとしたわけです。
(結果としては、財閥による経済独占・寡占になってしまうのですが)
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