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歴史的思考力を一過性でなく継続的に身につける方法

日本史歴史思考8近代日本史(6)明治初期の外交

今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『日本史探究 詳説日本史』2022年検定済23年発行

P244(10行目)~P246(7行目)「明治初期の対外関係」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/j-history

 

冒頭文に注目

と言いたいところですが

外交問題では

といきなり始まってしまいます。
前の単元たちとほぼ同じ時期と見て間違いないでしょうが、より正確には本文中の年号を調べるといいです。
時代の特定は、けっこう重要ですから。

1871年 1872年 1873年 1874年                 1875年 1876年 1879年 

廃藩置県(1871年)後で、1870年代ほぼ全てといった時期です。

 

本文要旨を把握し、歴史的思考もやろう

例によって繰り返し出てくる言葉を把握すれば、おのずと要旨が見えてきます。

ただ明治時代の対外関係は非常に複雑で、中国(清王朝)と朝鮮、そしてロシア・イギリス・アメリカが絡んでくるというものです。
一度に理解しようとすると混乱するので、まずは1項目(1段落)ずつ要旨を順々に把握していき、その積み重ねで理解するようにしてください。

この明治初期は、まだそれほど複雑ではありません。

 

第1段落(岩倉使節団

幕府 不平等 条約 改正 1871年(岩倉具視)大使 使節団(アメリカ)交渉 帰国 1876年(イギリス)

「幕府が結んだ不平等条約の改正を目的に大物が居並ぶ使節団が派遣されたが、交渉は失敗し帰国した」

*「不平等条約

条約は、国家と国家が結ぶ約束です。
もちろん互いに守る義務が発生します。
条約の内容は、原則として対等です。

しかし対等でない場合(不平等)も、あります。
対等でないというのは、厳密には条約といえず強制約束です。
強制、つまり一方の国が他方の国より力(軍事力)が強く、他方の国は一方の国の要求に屈辱的ですが従わないといけない状態で結ばれたということです。

江戸幕府が欧米列強5か国と結んだ条約は、まさにこれでした。
欧米列強の軍事力に恐れをなし…という面もありますが、当時の幕府首脳に国際関係(一般的な意味ではなく、西ヨーロッパ諸国間の関係。東アジアの国際関係は熟知していた。オランダと外交関係があったが、19世紀のオランダは西欧の有力国でなかった)の常識という知識がなかったことも影響しています。

どんな内容の不平等だったかは、他の単元を見てください。
ただ明治時代のいわゆる条約改正交渉史の中で出てくるので、その都度理解を深めればいいでしょう。

不平等条約「改正」というのは、対等条約を結んでもらうこと、つまり欧米列強と対等な国として認められるという意味です。
明治初期の日本は議会も憲法もなく機械工業企業も存在しないので、無理です。

*「アメリカ」「イギリス」

2つの国名が出てくると、必ずその比較をする必要があります。漫然とその2国を眺めていてはいけません。

現代だと、アメリカが世界、西側最大の大国という位置づけです。
西側陣営に属する、あるいは属しようと思っている国にとっては、アメリカに認められアメリカと親しくすることがとても重要です。

明治初期では、アメリカはできたばかりの国であり、領土は相当広大ですが国際的な発言権はあまりありませんでした。
当時の世界最大の大国は、イギリスです。大英帝国です。
欧米列強と同等と認められるには、イギリスに認められる必要があります。
しかしこの承認レベルは、非常に高いです。
なにせイギリスには、当時の日本には存在しない3つのファクターが存在します。議会、憲法、そして民間産業の発展。

岩倉使節団は、イギリスに認められることが必要だと再認識したことでしょう。
産業発展はいいにしても、議会と憲法は権力者にとっては厄介です。
この岩倉具視は、最後まで議会と憲法に大反対したといわれます。
薩長藩閥出身者は、この岩倉具視ら旧公家を閑職に追いやり政治権力を奪うことで、議会と憲法の導入を実現できました。

 

第2・3・4段落(清・琉球

(清)(日清)修好 条規 結ぶ 領事裁判権 認める(琉球)王国 宗主国 関係  政府(日本)領 1872年 藩(尚泰)(台湾)殺す 事件 1874年 出兵 1879年(沖縄)県 処分

とても複雑な内容です。理解するには、固有名詞を除外して考えます。
「中国王朝とは、1871修好条規を結んで互いに領事裁判権を認め合った。しかし中国王朝と宗主国関係にある一部の領土(王国)が、課題だった。そこでまず1872藩にし、次いで1874起こった藩民殺人事件の解決のため出兵し、1879県にした」

これは、あくまで明治政府の立場に立った記述です。
より客観的にいうと琉球王国の自主性が消されたということになるのですが、教科書にはそれは書かれていません。

*「条規」

条約とどう違うのかというと、同じ意味です。
中国では、条約のことを条規といっていました。

ただそれではこの日清修好条規は、条約の原則内容である対等かどうかというと、実は対等ではありません。
互いに相手に対し不平等を強いる条約内容を定めました。その結果として、日清対等(日清が同じ条件)となったというだけです。

けっきょくは、名称と中身は違うということです。

*「領事裁判権

不平等条約の内容として、この時期よく出てくる言葉です。
領事が、裁判をする権利です。
どこの国の領事が?どの地域で起こった事件を?裁判とは何か?というような理解をしてください。言葉だけを覚えるのは、無意味です。

まず裁判とは何だと思いますか?これは、かなり難しい言葉です。
裁判所の法廷で、裁判官が事件を吟味して判決を下し「あなたは懲役何年」とか「あなたは他人が受けた損害を賠償せよ」と言うこと、つまり事件を解決する判断を裁判と呼びます。
裁判は、人の身柄を拘束したり(場合によっては死刑)人に多額の賠償金を支払わせたりする効果を持つので、とても重要なものです。

しかし「裁判」に「権」という言葉が付くと、まったく違う意味になります。
「権」というと、現代の権利意識が強い認識だと「権利」のことかな?と思いがちですが、「権」にはじつは「権利」と「権限」の2つの意味があります。
権利としての裁判権という使い方だと、それは日本国民が裁判無しで刑罰に処せられることがない権利という意味です。
権限としての裁判権だと、それはある国家が特定の事件について裁判をする権限となります。「限」は、その限りでは最高の権利を持つという意味になります。

領事裁判権というのは、現地駐在外交官である領事を派遣している国家が、現地に在住・滞在している自国民の犯した事件の裁判をすることができる権限という意味です。
これの問題点は、リアルの裁判をするのは誰かという点です。
その国家の裁判官が裁判するなら、その国家の法制が整っている限りあまり問題はありません。
しかし、領事が裁判するのです。
領事は、裁判の専門職ではありません。外交官です。
法律をよく知らないのでついつい「何てことしてくれたんだ、しょうがねえなあ?反省文を書いて釈放」とか「酷いことをやらかしたなあ?本国送還」とかいい加減な裁判になってしまいがちです。

*「王国」「宗主国」「日本領」「藩」「県」

明治政府の立場からすると琉球問題は
「江戸時代以来日本領だったが、形の上では中国王朝に属していたのを、中国から切り離し日本領として確定した」
ということになります。この教科書もそういう論調で書かれています。
理解としてはとても分かりやすい論理ですが、客観的な内容ではありません。

客観的には、琉球は江戸時代もこの明治初期も独立王国でした。
江戸時代は、日本の薩摩藩と中国の清王朝の両方に朝貢するいわゆる両属関係でした。
朝貢というのは、直接支配される(課税・徴兵される)という意味ではなく、風下に立つ(贈り物をさせられる)という意味です。贈り物は、事実上の課税と考えてもいいでしょう。
琉球は、江戸初期に薩摩藩によって軍事占領された後も独立王国を続けます。
半独立状態です。
明治政府は、この独立王国を強引に日本領にしました。「処分」という冷たい言葉がそれを表しています。

琉球王国の首都、首里城の守礼の門)

*「出兵」

なにげなくポンと書いてある言葉。明治政府最初の海外派兵のことです。
初めて兵を集めたのが戊辰戦争のとき、政府として集めたのが廃藩置県のとき。
その後わずか3年後に海外派兵。
出兵理由は合理的のよう(一部の独断出兵だった)ですが、手元に軍事力があるとつい使ってしまうことが表れています。
この年の翌年には、朝鮮に出兵しています。
つい使ってしまうというよりは、初めから海外派兵つまり対外侵略・植民地獲得をする目的があったというのが濃厚です。植民地を保有している欧米列強に追いつけという目標ですから。

その点では、現在の日本国は自衛隊をうまくシビリアンコントロールできているといえます。他国を侵略するという目的が初めから無いからこそ、コントロールが効いているのです。

 

第5段落(朝鮮)

(朝鮮)1873年 留守(西郷隆盛)(征韓論)(大久保利通)反対する    1875年(江華島事件)せまる (日朝)開国させる

「1873留守政府が対朝鮮強硬を主張したが、反対され失敗した。しかし2年後1875、政府は朝鮮にせまり開国させた」

なかなか面白いというか、おかしな矛盾する文章です。
第1文で政府が朝鮮に強硬にせまろうとして反対され失敗、第2文で政府が朝鮮に強硬にせまり開国に成功…。はあ?どういうことでしょうか?
つまりは前者の政府と、後者の政府は、別物ですが、方針は同じなのです。

まあ、政治というのはこういうものです。
どんな政治をするかよりも、誰が政治をするかが重要という。
なかなかに幻滅してしまいますね。

*「留守(政府)」

1871~73年の岩倉使節団のいない留守を守った政府のことです。
事実上の最高指導者は、西郷隆盛
岩倉使節団には政府首脳が参加し出かけるとき留守政府に対し「新しいことはしないように」と言ったのですが、留守政府は無視してどんどん新しいことをしてしまいました。
いない間が1か月や2か月なら臨時代理を置いてということになるのですが、岩倉使節団の期間は実に足かけ3年、1年10か月にも及びました。これだけ長いと、留守政府が自分たちこそ正当な政府だという意識が強くなります。

(留守政府の首班、西郷隆盛

*「反対する」

帰国した大久保利通が留守政府の西郷隆盛の強硬方針に反対したのですが、理由はよくわかっていません。
「外国よりも国内が優先だ」と言ったみたいですが、翌年には台湾出兵、翌々年には軍艦を派遣して朝鮮を脅すということをしています。

当時の政界内部に薩長VS土肥という構図が出来上がっていて、西郷が土肥に載せられていることを危惧した大久保が対処したということもあります。
まあ「反対した」といっても、素直に政策に反対したわけではないのです。
ここが政治の、変なところでしょう。
皆さん政治史は好きでしょうが、こういう意味不明・不可解な出来事の連発ですよ。

*「征韓(論)」

西郷隆盛ら留守政府が主張したこの議論。
ん?「韓国」?
当時の朝鮮は、朝鮮王国です。韓国という国名の国はありません。
この言葉は、当時の日本支配層の基本思考を如実に表しています。

この「韓」とは、古代神話の神功皇后三韓征伐の「韓」です。

近代の話なのに、突然古代神話の話が飛び出しました。
かつて日本は朝鮮半島に出兵し支配していたという伝説です。この伝説が幕末に攘夷家により発掘され、脚光を浴びていました。
これは一種の士気鼓舞で、欧米列強による植民地化の危機を前に「自分たちはかつて栄光の歴史を持っていた。自信をもって欧米に対抗しよう」という意図でした。

しかし明治維新が成ると、その思考が「かつて支配していた朝鮮半島を奪回しよう」という侵略目的に変わります。
古代の朝鮮支配が伝説でなく真実だったとしても、それから千年以上の時が流れ今やその地には住民がいて生活しています、そこを奪うというのは違法であり暴挙です。
この明治初期、政府指導層も含め多くの元武士・元攘夷家たちがこの侵略思考を持っていたため、「征韓論」というネーミングが行われたのです。

*(朝鮮に)「せまる」「開国させる」

他人に行動を強制する臭いがプンプンしている動詞です。
他人に行動を強いる手段として最も適しているのは、武器です。
「従わなければ傷つけるぞ、殺すぞ」といわんばかりに武器をちらちら見せると、効果は絶大です。

明治政府は軍艦を派遣し、脅す域を超え戦闘までやってしまいました。軍事力の弱い朝鮮王国はかなり驚き恐れをなし、あっという間に屈服しました。
まさにペリーやハリスが江戸幕府に対し行ったこと(江戸湾で軍艦から空砲を撃って脅した)と同じでした。
強者にいじめられたから、弱者をいじめてうっ憤を晴らす。なんとも醜いことです。

 

第6段落(南北国境画定)

(ロシア)(樺太)開拓(千島)交換 条約 領有 統治 領土         国際的に 確定する

「ロシアと土地の交換条約を結び領有を確定。その他の土地も統治を開始するなどして、日本の領土を国際的に確定した」

*「ロシア」

明治時代の日本に大きな関わりを持つ国々が、この単元に登場します。
日本を開国させたアメリカ、目標とするべき近代文明を持つイギリス、そしてこのロシアです。
この3か国との動向をメインにとらえておけばいいでしょう。

ロシアとは、江戸時代以来たびたび紛争してきました。
ロシアは寒冷地で港が凍るため、冬でも凍らない港を狙っていました。
その一つが、このオホーツク海日本海北部の樺太・千島・北海道・東北でした。
ロシアが北海道を狙っていることを感じ、政府は早急に開拓を進めていました。

ロシアの英米との違いとして、近代化が進んでいず遅れた経済であること、皇帝や貴族の力が非常に強いこと、領土は広大だがほとんどが不毛の地であることがあります。
そのためロシアはハングリー精神が非常に強く、厄介な相手といえます。

*「領有」「領土」「統治」

「この土地は、我が国の領土である」と口で言うだけでは、そこは領土になりません。
国家がリアルに統治していること(つまり統治の対象である民が生活していること)が必要です。
あるいは、今まで誰も住んだことが無い土地なら、開拓者イコール領有者となります。

統治とは、住民に課税し、住民から徴兵し、住民の生活を守る政策をすることです。
3つめの要素は、無い場合もあります。(住民を奴隷化した場合)

領土紛争が起こる原因には、2つあります。
1つは開拓順序の争い、もう1つは本来そこはうちの土地だったという所有権の主張。

開拓順序は、無人島の場合にトラブルになります。リアルには、そこ(周辺海域を含めて)に最初に構造物を作った国が領有することになります。いわゆる既成事実というものです。
この「事実」を「真実と認める」というのは一見理不尽のようですが、紛争を解決する簡易な手段として、古来認められています。
防ぐには、相手に既成事実を作らせないこと、もし作り始めたら妨害し破壊することが必要です。戦闘になるのはしかたありません。防衛戦争だから合法です。

「本来そこはうちの土地だった」という主張は、その「本来」がどの時点なのかで争いが起きます。
二千年前、千年前、五百年前、百年前、五十年前、十年前・・・・・
古ければ古いほど良いのかというと、前述したとおり長く経つと住民が定着し生活が出来上がります。その住民を追い出すあるいは新統治に従わせるというのは、難しいです。

北方領土の場合は、日本は170年前を主張し、ロシアは70年前を主張しています。
70年前当時のソ連軍は条約に書いていないこの地を違法に占領し、その後ロシア人を多数移住させ今ではロシア人の生活が定着してしまっています。
年数が経ってしまい、問題の解決は非常に困難です。
70年前のその時の直後に、交渉するなり戦争するなりして解決するべきでした。
それは今も同じでもし本気で奪回しようとするなら、まず平和交渉し、ダメなら戦争をするしかありません。

 

本文要旨のまとめ

「幕府が結んだ不平等条約の改正を目的に大物が居並ぶ使節団が派遣されたが、交渉は失敗し帰国した」
「中国王朝とは、1871修好条規を結んで互いに領事裁判権を認め合った。しかし中国王朝と宗主国関係にある琉球が、課題だった。政府は1872藩にし、次いで1874起こった藩民殺人事件の解決のため出兵し、1879県にした」
「1873留守政府が対朝鮮強硬を主張したが、反対され失敗した。しかし2年後1875、政府は朝鮮にせまり開国させた」
「ロシアと土地の交換条約を結び領有を確定。その他の土地も統治を開始するなどして、日本の領土を国際的に確定した」

日本が欧米列強の植民地化されるのを防ぐには、まず不平等条約の改正(一人前の国家と認められること)失敗し、一人前になるには植民地が必要だと朝鮮を狙い開国させ足がかりを作ったという時期です。

 

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