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歴史的思考力を一過性でなく継続的に身につける方法

日本史歴史思考9近代日本史(7)反政府の動き

今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『日本史探究 詳説日本史』2022年検定済23年発行

P246(8行目)~P247(18行目)「政府への反抗」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/j-history

 

冒頭文

ありません。
日本史は自分の国の歴史ということもあり、このように論理的な文章でないことが多いです。
自国の歴史だからこそ客観的にとらえるべきだと思うのですが。

単元のタイトルも、よくありません。
「政府への反抗」まるで反抗することが意外なという印象を持たせています。
時の政権のやり方に対しては、賛成もあれば反対もあるのが普通です。
というか、反対意見のない状態は異常です。民を奴隷的に扱っている状態です。

出てくる年号で、時代を特定します。

1873年 1874年 1876年 1877年

今までの明治初期の単元とほぼ同じ時期で、最初の廃藩置県単元の後の時期になります。
今回の明治初期について7つの単元がありますが、1つめの単元が最初にあり、その後に2~7つめの単元が同時期に並行している状態になっています。

 

本文要旨の把握と歴史的思考

6つの段落があります。
1つめ(政変)が最初にあり、その後2~4段落(士族の動き)が並行し、ラストに6つめの段落(西南戦争)があり、2~4・6段落と並行して5つめの段落(農民の動き)があるという構造になっています。
政府が次第に特定勢力の独占状態になり、それに反発した維新の功労者である士族が反政府の動きを示し、いっぽう並行して農民が一揆をおこしているという状況です。

このように段落関係の読解を行うことが、重要です。


第1段落(政変)

(戊辰)戦争 政府(士族)不平(征韓論)(西郷隆盛)(板垣退助)       (後藤象二郎)(江藤新平)派(参議)(明治六年)政変 不満 批判

「戦争を経て政府が発足すると、政策への不平から諸派閥が発生し互いに対立し、ついに政変。敗れ下野した者たちは不満を覚え、政府を批判する」

とても分かりやすい変遷です。
戦争しているときは勝たないといけない(負けたら死ぬ)ことから、小さな対立は置いといて大きなところで団結するのが常です。
しかし平和になると、その小さな対立が激しくなり、やがて喧嘩して別れると。
喧嘩に負けたほうは悔しいので、リベンジを計画。まずは暴力的に反抗する。

*「戦争」

なるべくなら戦争はしないほうがいいというのは、人類普遍の考えです。
戦争をすると命を奪われます。日常生活が破綻します。有能な人材が失われます。
もし第二次世界大戦をしていなかったら、日本国は現在の2倍3倍の発展を遂げていたことでしょう。

しかしリアルには、無法な者がいます。
突然他国にミサイルを撃ち込んだり、兵士を送って侵攻したりします。
そういう侵略者に対しては、当然抵抗・防衛しないといけません。
この場合は、戦争もやむをえないのです。
こういう有事に備え、日頃から防衛に必要な軍隊を保持しておく必要があります。
軍隊の存在が他国に侵略をためらわさせる効果(抑止力といいます)を起こします。

平和は、自然に手に入るものではありません。
戦って、抵抗して勝ち取るものです。

*「不平」「不満」「批判」

政府の政策に不平不満を持つ者が出るのは、普通です。
なぜなら政府の政策は、完全に公平なものではないからです。

欧米列強に対抗するため機械工業を導入しようとすると、従来の手工業者が打撃を受けるのでその者たちがとうぜん不平不満を持ちます。
国を一致団結させるため身分をなくすと、特権階級だった元武士たちが不平不満を持ちます。

物価政策も同様で、高いので下げようとすると商業利益が下がるので企業が不平不満を持ち、低いので上げようとすると消費者が不平不満を持ちます。

どこにも不平不満の出ないようにすると、当たり障りのない何もしない月給ドロボー政府になってしまいます。

*「派(閥)」

特に政治の世界では、派閥が発生するのは普通です。
上記の通り政策が公平というのはありえないので、その一方に偏った政策に対し賛成・反対が生まれそれぞれの派閥が生まれるわけですから。

近年、派閥が金権体質の温床だとして派閥廃止の動きがありますが、その意味では逆に良くないと思います。
金権体質と派閥とは、次元が違う問題です。
お金を集めばらまく能力のある人が派閥の長になるのが問題であり、親分子分関係というプライベートな関係を公的な派閥と混同させるのが問題なのです。
解消するべきは親分子分関係であり、派閥ではありません。

*「政変」

という言い方は、あまりよくありません。
政治が安定し固定しているのが良いことで、変化するのは良くないというニュアンスを含んでいるからです。
政権交代と同義です。

歴史上の様々な政変の語が入っている用語を見ると、多くが、合理的な理由のない理不尽な、あるいは軍事力による非合法なクーデタを表しています。

この明治六年の政変も、征韓派を追放した後の大久保利通政権がその後、事実上の征韓を行っていることから分かるとおり、政策の違いによる政権交代ではありません。
大久保が「思うとおりの政治をやるうえで、こいつらはうるさい、追放」と権力を独占したいため判断した結果でした。
このとき追放された政権幹部たちは、西郷隆盛以外は全員、土佐藩肥前藩出身者でした。この政変の後、薩摩藩長州藩出身者が政権を主導します。

 

第2・3・4・6段落(士族の反政府の動き)

民撰議院設立建白書)(有司)(天下)(公)(民権)(佐賀)反乱(熊本)鎮圧
西南戦争

「政変後、各地で士族反乱がおこったが、政府に鎮圧された」

板垣退助民撰議院設立建白書は有名ですが、これはその後の自由民権運動のきっかけになったという意味だけで、それ自体にはそれほど意味はありません。
当時の士族の不満の火に油を注いだことになったので、士族反乱がその後、起こったのです。

建白書を平たく言うと
「同じ維新の功労者なのに、大久保利通だけ甘い汁を吸いやがって!俺にも権力をよこせ!」
ということです。
それだとあからさまなので、いろいろと理屈をこねたのです。
現に板垣は、その後大久保から「まあまあ、一緒にやろうぜ」と諭されると、ほいほい政権側についてしまいました。

*「反乱」「鎮圧」

歴史上の事件で「反乱」と書いてあるものは、全て鎮圧されています。
成功した反乱は、革命や政権交代、王朝交代という書き方になります。

反乱は、反抗とニュアンスが違います。
軍事力を伴うもので、その結果として多数の死者が出る戦闘になります。
先にも書いたとおり、人は普通死にたくない殺したくないので戦闘はできる限り避けようとします。
そのやりたくない戦闘をあえてせざるをえない状況に追い込まれているから、反乱を起こしているのです。

板垣退助後藤象二郎は反乱を起こしていませんが、江藤新平西郷隆盛は反乱を起こしました。
この違いは、どこにあるでしょうか。
これは単純な違いです。自己チューか、天下国家を憂えてのことか。
前者はとにかく権力が欲しかっただけで、後者は心から国を心配してのことでした。

西南戦争を起こし敗れた、西郷隆盛

*「有司専制(批判)」「天下公論」「民撰議院」

板垣が持ち出したこの理論が、なぜ大きな波を引き起こしたのでしょうか。

これには、幕末以来の政界の潮流が絡んでいます。
きっかけは、大老井伊直弼による安政の大獄です。
これに対し有力大名(雄藩)たちから不満の声が上がりました。
「井伊独裁をやめさせよ。雄藩の意見を聞け」
雄藩の代表者が徳川御三家のひとり水戸斉昭だったので、幕末大きな政治意見になり全国の武士の多くが賛同しました。

この雄藩勢力はその後、公武合体運動に変化し、その後の老中安藤信正を批判します。
いっそのこと幕府を倒せという急進派を抑える文久三年八月十八日政変を経て、一橋慶喜を代表者とする公武合体派が幕政を握ります。

その後、薩長討幕派が戊辰戦争を起こしましたが、全国の大名の多く(代表者は土佐藩山内豊信と家老の後藤象二郎)が諸大名連合の新政権を望んだ(公議政体論といいます)ため、妥協し五か条の御誓文を出しました。

明治に入って廃藩置県により諸大名の公議政体論を抑えることに成功し、藩閥官僚主導体制を確立します。
しかし士族の間には公議政体論がくすぶりつづけていました。
そこに有司専制(大久保独裁)と板垣の建白書が現れ、公議政体論が再沸騰し自由民権運動になっていきます。

 

第5段落(農民の反政府の動き)

徴兵(学制)農民 一揆 米価(地租改正)反対

「農民は、徴兵制や学校制度、税制などの新政策に反対し、各地で一揆をおこした」

*「一揆

と反乱は、どう違うのでしょうか?
反乱の目的は、政権奪取や革命で、武器を携行し戦闘をし死者が出ます。
それに対し一揆の目的は、生活改善(減税など)で、武器は必ずしも携行しません。
(せいぜい竹槍程度。竹林自体がとても少ないので、量は少ないです。農具が壊れると農業ができなくなるので、きほん農具は持ち出しません)
つまり一揆というのは、今でいう集団陳情のことです。
(現代はインターネットがあるので端末で自由に陳情できます)

一揆は、江戸時代の農民の日常の出来事でした。
それに対し、各領主は時には温情、時には厳罰と対応していました。

ただ今回の明治政府の政策は、ちょっと悪質過ぎました。
欲しい税額から逆算して地価と税率を決めるとか、さすがに農民も不満爆発ですよ。
(今も似たようなものです。福祉にこれだけ必要だから、その税額を確保するには消費税10%必要だというのは、まさに逆算)

(竹林)

*「徴兵」

農民にとって最大の問題が、これでした。
戦争・戦闘・殺し合いはこの800年間武士の仕事であって、農民の仕事ではなかったのです。
それを突然農民がやらないといけないとか、理不尽にもほどがあります。
しかも入った軍隊内では元武士が偉そうにしていて、パワハラセクハラの山でした。

古代ギリシアでは、市民全員が兵として戦争に参加していました。
しかしその代わり、市民全員に政治参加の権利が与えられていました。
そう、徴兵制イコール参政権なのです。
政治から排除しておいて戦争だけ参加させるというのは、不合理です。
こういう点からも自由民権運動がやがて、農民(特に地主)主導になっていったことがよく分かります。

 

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