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今回は
世界史の前回内容(中世ヨーロッパの成立)の続きに当たります。
世界史教科書の比較
今回は、高校世界史(世界史探究)の2つの教科書の比較を行いながら、やります。
高校の世界史教科書といっても、様々な出版社から様々な教科書が発行されています。各学校共、どの教科書を選ぶか苦労するところです。
そこで今回は、同じ出版社から発行されている2種類の教科書を比較検討したいと思います。
参考教科書は、
山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行
P117~P118(5行目)「教会の権威」
および
同じ出版社発行の教科書『世界史探究 高校世界史』2022年検定済23年発行
P101(1行目~27行目)「教会の権威」
https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history
この2つの教科書は単元の分量から分かるとおり、『詳説』が詳細で分量が多く、『高校』が簡略で分量が少ないという特徴があります。
そのため従来は、『高校』は難関大学入試向けには内容が不足し、在校生徒の主な進学先が難関大学以外の場合に多く採用されていました。
私も、『高校』で何度も授業をしています。
しかし近年は、難関大学入試対策としてこの『高校』を採用するところも増えてきています。
ざっと見たところ、以前より内容が詳しくなっていて、分量は確かに少ないですが要点をきっちりとまとめ上げているという印象です。
探究のポイントである問いも、『詳説』に比べると充実しているようです(的確かどうかは問題ありですが)。
ちなみに『詳説』の問いは、例えば<この事件の原因は何だったのか?この事件の影響は?>といった、歴史的思考というより本文の要旨把握に近いものがほとんどで、問いをわざわざ載せる必要が無いというものです。
今回は、両教科書を比較し、本文要旨の把握や歴史的思考の展開に差が出るかどうかを検証していきたいと思います。
冒頭文で時代を特定する
『高校』
中世西ヨーロッパ社会において、・・・
『詳説』
中世の西ヨーロッパでは、王権が貧弱で統一的権力になれなかったのに対し、・・・
歴史学習での単元の冒頭文というのは、これから学習する内容の時代を特定してその位置づけを明確にするほかに、前に学習した内容の復習・想起も兼ねていて、とても重要な箇所です。
まず時代の特定ですが、両教科書共に中世西ヨーロッパ時代であることが明確です。
ただ今から学習する内容の位置づけという点では、『詳説』がより丁寧に前回までに学習したゲルマン人大移動後の中世ヨーロッパの主に政治的状況を指し示し、それに対し今回の内容であるローマ=カトリック教会の「権威」というタイトル名で教会が優位に立つことをより強く示唆しています。
『高校』のほうもタイトル名の「権威」で宗教の力の増大を匂わせているのですが、『詳説』のほうがより丁寧で親切な説明といえます。
『詳説』は独学・独習教材として優秀で、『高校』は教師による適切な指導(タイトル名の説明)が必要ということが分かります。
本文要旨の把握
繰り返し出てくる言葉をピックアップし、その語群で作文をするとそれが要旨になります。
第1段落(教会組織と、皇帝や国王)
『高校』
「教会の権威が確立した。教皇のもと大司教や修道院長がいる聖職者組織が作られた。皇帝や国王ら世俗権力は聖職者の任命を行っていたが、聖職売買が流行した」
『詳説』
(ローマ=カトリック)教会 普遍的な 権威
教皇 大司教 修道院長 司教 司祭 聖職者 階層制組織
教区 農民
皇帝 国王 世俗権力 任命
「教会が普遍的な権威を確立した。教皇のもと、大司教・修道院長・司教・司祭という聖職者の階層制組織が作られた。農民は、教区に属し司祭に従った。皇帝や国王ら世俗権力が聖職者の任命を行っていた」
どちらも、最初にこの単元の概略(教会権威の確立)を示しています。
そしてまず、教会組織が整備されたことをどちらも解説します。
『詳説』のほうが、より詳しく丁寧な説明です。「階層制組織」という歴史用語もきっちりと載せています。
できればヒエラルキーというカタカナ表記も欲しかった(現代社会の理解に発展する歴史的思考の可能性)ところですが、高校段階では少し難しいかもしれません。
一般農民と教会とのつながりの説明が、『詳説』にあります。
『詳説』も『高校』も「十分の一税」のゴシック太字の語が載っているので、『詳説』は少し詳しすぎると思います。
皇帝や国王による聖職任命はどちらも言及していますが、『高校』では聖職売買に踏み込んで教会とのより大きな対立を匂わせています。
『詳説』では、この点を次の段落に持ち越しています。
対立をより早く想起させる点では、『高校』のほうが優れています。
ということで、第1段落に関しては『高校』が普通で、『詳説』は少し難しいです。
ただ超(笑)難関大学入試対策や歴史的思考への発展では、『詳説』のほうがいいでしょう。
第2段落(教会権威の高まり)
『高校』
(クリュニー修道院)改革
(グレゴリウス7世)叙任権 教皇権
(ドイツ)(ハインリヒ4世)闘争
破門(カノッサ)謝罪 屈辱
(インノケンティウス3世)
「改革が起こった。教会が聖職者の叙任権を確保し教皇権の確立をめざした。ドイツ国王が反対し、闘争となった。教皇が国王を破門し、国王は教皇に屈辱の謝罪をした」
『詳説』
聖職 売買
(クリュニー修道院)改革
(グレゴリウス7世)叙任権 教皇権
(ドイツ)(神聖ローマ)(ハインリヒ4世)闘争
破門
(カノッサ)屈辱
(インノケンティウス3世)
「聖職売買の問題も起こった。教会が改革に着手し、聖職者叙任権を確保し教皇権の確立をめざした。ドイツ国王が反対し、闘争となった。教皇は国王を破門した。国王はやむなく教皇に屈辱させられた」
どちらも、ほとんど同じです。
『詳説』は、教会と世俗権力の対立問題をこの段落に持ってきていますが、見映え的には前の段落にあるほうがすっきりはします。
『高校』は、皇帝が教皇に謝罪の語で、印象的な分かりやすいシーンになっています。
『詳説』には、神聖ローマという名称が要旨として(繰り返し出てくる)載せられています。
『高校』にもこの名称は書かれていますが、要旨ではありません(1回きり)。
内容的には『高校』のほうが要旨がどこにあるかが明確ですが、難関大学入試対策や歴史的思考としては『詳説』のほうが優れています。
なお時系列的には、カノッサの屈辱時のハインリヒは国王で、この後、皇帝になります。ただ国王といっても、皇帝になる可能性が大きい国王という位置づけのほうが理解は深まります。
まとめとしては、要旨把握だけなら『高校』で十分で、難関大学入試対策や歴史的思考への発展という点では『詳説』のほうが良いということになります。
このブログは歴史的思考への発展がメインテーマなので、引き続き『詳説』教科書を参照・引用していきます。
要旨語群から深みのある言葉を抜き出し、歴史的思考をする
深みのない言葉とは、固有名詞や歴史用語のようにその単元の時代だけの意味にとどまるものです。
深みのある言葉とは、現代でも普通に使われるいわゆる抽象語・普遍語のほかに、対照語や反対語が容易に想起される語を指します。歴史的思考は、まさにこの言葉たちから生まれます。
参照する教科書は、『詳説』です。
第1段落(教会組織と、皇帝や国王)
*「普遍的」
これは、とんでもない言葉です。
全ての人にあまねくありとあらゆる分野で共通して、という意味だからです。
中世の西ヨーロッパではローマ=カトリック教会が普遍的な権威を持っていたという書き方ですが、本当にそうでしょうか?
こういう大げさな形容詞が出てきたときは、まず疑いましょう。
本文の内容を見ると、教会ないし教皇は農民の日常生活や聖職叙任権では普遍的、リアルの世俗権力的には普遍的でないと分かります。
教会は、世俗権力の上にリアルに立つことはなかったのです。
インノケンティウス3世はイングランド王ジョンを破門したり、神聖ローマ皇帝の継承に関与したり、十字軍を提唱したりしましたが、それらは全て宗教権威の振りかざしや黒幕的な暗躍でした。世俗普遍をめざしたかもしれませんが、無理でした。
なおキリスト教の権威を強調しすぎるのも、よくありません。
近代以降ヨーロッパ勢力が世界中を侵略し植民地化したことからそのバックボーンであるキリスト教が脚光を浴び注目され、植民地化の対象となった国々のイスラーム教徒からの反発があり、現代の宗教対立になっています。
しかしそれは後のことであり、この中世の時期のキリスト教は一地域の宗教でしかないことを理解しておく必要があります。
*「権威」
から連想されるのは、それを振りかざして上位に立とうとする者や、それを利用して権力を握ろうとする者(虎の威を借りる狐)です。
権威に使われるものには、伝統権威や宗教権威のほか、数の権威もあります。
ローマ皇帝とその継承者や、日本の天皇とその子孫は、伝統権威。
キリスト教やイスラーム教、仏教などの指導者は、宗教権威。
数の権威というのは、知識量が豊富な学者や、財力が豊富な実業家などです。
また争って勝利したことによる権威もあります。(勝てば官軍)
*「教皇」「世俗」
宗教指導者が皇帝のような称号を持っていると、「世俗っぽいなあ」と不審に感じることがあると思います。
これは、宗教は純粋であり、世俗は汚れている、というような一般的な先入観的なイメージを持ちやすいからです。
しかし宗教教団も人間の組織であり、食べないと生きていけません。
だから宗教を語るときそれと対比する存在を「世俗」という風な言い方をするのは、ちょっとおかしいと思います。
ここは政治権力としたほうがいいと思います。
また中世キリスト教の権威がすごいと強調しすぎると、常識的な理解が遠のきます。
政治と宗教、どちらが上か?
普通(リアルな思考)だと、政治のほうが上です。軍事力というリアルの力を伴う政治が、宗教を支配するのが普通です。
このことから、後の「屈辱」という語の意味するところがさらに分かります。
*「大司教」「司教」、「皇帝」「国王」
本文中に比較対照可能な2つの語があるので、分かりやすいです。
前者は宗教組織の役職名で、つまり各教会の責任者が司祭、一定地域の教会をまとめるのが司教、その諸地域をまとめるのが大司教というわけです。
現代日本にもカトリック教会があり、日本には3人の大司教がいます。
中世の大司教は広大な領地を持つ大領主でもあり、国家を動かせる存在でした。
中世西ヨーロッパでいう皇帝とは、神聖ローマ皇帝およびビザンツ皇帝です。
国王は、イングランド・フランス・ドイツなどの各国の君主です。
東のビザンツ帝国は皇帝が実質的に支配する国家なので、国内に国王はいません。
西の神聖ローマ皇帝は、ローマ教皇が任命するキリスト教を保護する世俗の最高君主という意味合いの名誉称号で、各国王や各諸侯の中から選ばれて就任し、リアルの権力はその本来の国王や諸侯としての力によって有ったり無かったりです。
基本的にドイツ国王が選ばれていましたが、後にはドイツの諸侯であるハプスブルク家が代々選ばれます。
カノッサの屈辱を受けたハインリヒ4世は当時はドイツ国王で、後に皇帝になります。
*「階層」
という言葉だけで、いろいろな階層があることが分かります。
一般的にピラミッドに例えられるのですが、塔やダンジョンに例えても良いです。
ふつうは上下関係があり、上に行くほど少人数、最終的には一人になります。
現代にあるいろいろな組織も、だいたいこの構造です。
ピラミッド型の利点は、上意下達が容易で集団行動の指揮がとりやすいところです。
つまり短所は、下の意見が上に上がらないところ、横の連携が無いところなどです。
ただ通常は、横の連携を作ります。
*「農民」
と対比される語は、商人です。中世西ヨーロッパで商人はどこにいるのでしょうか?
古代ギリシア・ローマ時代は、商業活動が盛んで商人はそこら中にいました。
この中世に入ると、ノルマン人などの外敵の侵入に備え、防備を固め人々は農村にこもらされます。商業活動は衰退しました。
西ヨーロッパでは、そういう外敵であるノルマン人やイスラーム勢力が商業・貿易を担っていました。
東のビザンツ帝国は外敵の侵入が少なかったため、古代以来の商業・貿易活動が盛んでした。
しかし領主の保護下で農業生産が安定すると、食べる量以上に生産します。
余りを、町(大司教や司教の教会を中心に形成)に売りに出します。
町が、そういう商品でにぎやかになります。
こういうふうに次第に商業が盛んになっていきます。
そして商業を一躍大発展させるきっかけとなる事件が、起こります。
農業と商業は、実は表裏一体です。
ついつい分けて考えてしまいますが、農業の余剰生産物を売りに出すというふうに考えればいいです。
それがやがて「売るために農産物を作る」、「作られた農産物を加工して付加価値を付けて売る」に変わっていきます。
第2段落(教会権威の高まり)
聖職・売買 改革 叙任 闘争 破門 屈辱
抽象的な語は、歴史的思考のかたまりです。
いろいろな発想や連想が次々に思い浮かびます。もちろんそういうふうに思い浮かべるためには、前提となる基本的な歴史知識や現代社会への理解が必要です。
学力が高くない生徒には歴史的思考は難しいと思われているのは、こういうことが理由です。
しかし歴史的思考は、指導する教師が適切に導けば、実はとても容易です。
*「聖職」「売買」
この両者は、相反するという印象が強いでしょう?
聖なるものを対価を出して得るとは何事か?神への冒涜だ、恥を知れ!と。
理念は確かにそうですが、教会もリアルに生きていかないといけないので物資や金銭を必要とします。お布施や寄付だけではなかなかやっていけません。
ということで有力者つまり領主の保護を受けます。
領主の保護、具体的には領主が資金を出して教会の建物を建てます。
すると教会は、誰の所有物となりますか?
資金を出した領主の所有物です。
所有権というのはこの世で最も絶対的な権利です。自分の物だから、煮るなり焼くなり壊すなり自由にできます。つまり聖職に誰を任命するか誰に売るかも、領主の自由です。
教会には、こういう弱みがあったわけですね。
教会が聖職叙任権を主張したとき領主が猛反発した理由は、これです。
*「改革」
というと「良い方向」への改革だと思い込みがちで、悪い方向への改革と知ると「改悪」だと批判することが多いようです。
だから改革とか刷新などという語を見たら、誰が?何の目的で?誰にとって良い方向の改革か?を調べる必要があります。
この中世のクリュニー修道院主導の改革とは、主体はローマ=カトリック教会、目的は直接には聖職叙任権の獲得、究極目的は世俗権力の上位に立つこと、得をする人はローマ=カトリック教会です。
ちなみに日本の江戸時代の幕政改革は、将軍や老中が、財政再建目的にやったわけで、つまり政策は増税です。農民にとっては、改悪です。
明治維新は、全国の下級武士が、欧米列強に対抗する目的で廃藩置県したわけで、政策は徴兵・増税です。これも農民の日常生活にとっては、改悪です。
*「叙任」
職への任命(職に任じることを命令する)のことです。
任命をすると、上下関係と上司部下関係が生まれます。
部下になると、上司からの理不尽な命令に従う必要があります。命令に従わなければ、クビになるか、パワハラセクハラを受けるかになります。
*「闘争」
誰と誰が争っていて、何の原因があり、どの点で対立していて、具体的にどんな喧嘩をして、どちらが勝ったか負けたか、その後のわだかまりは?仲直りしたか?再燃したか?根に持っているか?
とまあ普通の喧嘩と同じように考えればいいのです。
その他の歴史上の紛争や戦争も、全てこのように整理すればいいです。
*「破門」
何かの修行で、師匠が弟子を破門するというのがあるでしょう。
多くは、師匠が弟子の素行に怒った結果です。
破門された側は、どうでもいいと考えるならそのままサヨナラだし、どうしても師匠についていきたいと思うなら謝罪して許してもらうことになります。
中世のローマ=カトリック教会での「破門」は、以後この者を異端として扱うなので、事実上の生活破綻です。
この中世では、キリスト教と国家とは互いに持ちつ持たれつの不可欠な関係にありました。国家無くしてキリスト教無し、キリスト教無くして国家無し。
ゆえにキリスト教から破門された場合は、同時にリアルの社会生活も送れなくなります。権力者の場合は、権力を奪われるか、その権威を著しく損ね誰からも相手にされなくなります。
破門を解いてもらうには、謝罪するしかありません。
*「屈辱」
とは、上(と意識する)の者が下(上の者から見て下と意識する)の者に屈することによる恥ずかしめです。
ゆえに、必ず上の者と下の者がいます。
この場合は、ドイツ国王がローマ教皇に屈したことを指します。
『詳説』教科書のP118の左上にある絵はカノッサの屈辱でよく出てくる絵ですが、国王がひざをついているその前に座っている人物はローマ教皇ではなくて、トスカナ伯マティルダ(マティルデ)と呼ばれる女性です。
彼女は、この時、ローマ教皇(ドイツ国王に殺されると思い避難してきた)を城にかくまっていました。
彼女は、イタリア国王の臣下であるトスカナ伯です。女子にも継承権が認められていました。
イタリア国王は、ドイツ国王が兼任していました。
ゆえに彼女は、ドイツ国王の臣下です。
そう、この絵は主君が臣下の女性にひざを屈している図です。とてもかっこ悪いです。
この後のドイツ国王の心中は、悔しさと憎さがすさまじかったでしょう。
その後、このドイツ国王は味方を得て教皇に反撃し、教皇は逆に屈し教皇を辞めさせられてしまいました。
屈辱(相手からするととことん追い詰める)の後には、必ずリベンジが起きます。
赤穂浪士討ち入り仇討ちとか、報復の連鎖などです。
現在進行形でイスラエルがパレスチナ住民を多数連行し虐待しているようですが、その屈辱からのアラブ側からの将来の報復が予想されます。
なぜそこまで、憎しみ合わないといけないのでしょうか?
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