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今回の参考資料・引用元は
山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行
P122(21行目)~P123(ラスト)「ビザンツ帝国の統治とその衰退」「ビザンツ文化」
https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history
今回は、教科書の2つの単元を1つにまとめています。
<ビザンツ帝国の統治・衰退>
冒頭語句
「死後」とあるので、その前、ユスティニアヌス大帝の頃の6世紀のビザンツ帝国が前の時代だと分かります。
この皇帝の時代が、ビザンツ帝国の最盛期です。
つまりこの単元は、最盛期を過ぎた7世紀以降のビザンツ帝国が改革を行い帝国の維持と存続に努める努力の時代といえます。
本文要旨
進出
侵入 軍 管区 テマ
農民 土地 所有
勢力
貴族
「周辺から諸民族が進出・侵入。これに対抗するため管区制の軍組織を作り、農民に土地を所有させ、帝国の勢力を盛り返した。しかし次第に貴族がのさばっていった」
繰り返し出てくる言葉で作文をすると、こんな感じでしょうか。
軍管区制、テマ制というような歴史用語として覚えるよりも、このように中身を伴った形で覚えるほうが基礎力がつくと思います。
ゲルマン人大移動の影響を受けなかったビザンツ帝国は、7世紀以降、新しい諸民族の侵入という軍事的脅威にさらされます。
これは西ヨーロッパのヴァイキング侵入対策と対比されます。
西欧は皇帝や国王の力が弱かったため。各領主の個々の力による対策を余儀なくされ、そのため荘園の村に閉じこもるといった封建農村の形成につながります。
東欧はビザンツ皇帝の力が強く、国家的な対策が可能でした。
歴史的思考
進出 侵入 軍 農民 所有 貴族
*「進出」「侵入」
かつて教科書の記述が国際問題化した時、第二次世界大戦前の日本が他国に「進出」という語が自国中心主義だ、削除しろというような意見が出たことがありました。
当時の教科書会社は苦労し、「進入」というおかしな語を作って対処しました。
現在では、第二次世界大戦前の日本が他国に「進出」したことが当時の日本の国家的態度として正確な表現であることが確立しています。
けっきょく侵略側からすると「進出」、侵略される側からすると「侵入」という、相対的な意味の語同士となります。
歴史を考えるうえで現代的な立場からの客観的視点は大事ですが、当時の各国の立場に立った主観的視点も必要です。
当時のビザンツ帝国にとってはスラヴ人の移動は「侵入」であるし、スラヴ人にとっては「進出」なのです。
けっきょくは、その動詞の主語が誰であるかを確定する必要があるのです。
日本語は主語があいまいなので、そこはしっかりと把握する必要があります。
*「軍」
第二次世界大戦後の日本は戦争の悲惨さを目の当たりにしたことから、長い間「軍」を論じることに消極的になってしまいました。
しかし近年の各地の戦争や近隣諸国との国境紛争もあって、ようやく「軍」を論じることがタブーでなくなりつつあります。
軍とは何か、どういう存在かというと、国家にとって必要不可欠な存在です。
軍がないと、国家はその国際的な独立をリアルに維持できません。
もちろん、軍を使って他国に不当な戦争をしかけるのはもってのほかです。
軍はその存在により、他国がこの軍を持つ国に対し侵略や戦争をしかけることを思いとどまるように仕向けるものであり、これを抑止力といいます。
中世の西欧も東欧も、他民族の侵入に対処するため、様々な軍制度を確立しました。
西欧の封建制・荘園制がそうであり、東欧の軍管区制がそうです。
従来の日本の世界史授業はこの軍事的な意味の説明をあいまいにしたため、ビザンツ帝国の軍管区制を学習した人に違和感(西欧は平和なのに、東欧は軍事的だなあ)を与えていました。
歴史を学習するときは、タブーを作ってはいけません。
*「農民」「土地」「所有」
西欧の封建制荘園制とまるで違いますね。
中世の西欧では、土地は国王や封建領主の所有物です。農民は、農奴です。
このまま歴史が進んでいけば、西欧は不自由な社会、東欧は自由な社会になったことでしょう。
しかし歴史は皮肉なもので、西欧はその後、国王や領主の支配を打破する革命を行いその結果自由で民主的な社会を作り上げます。
それに対し東欧は、やがて自由が失われ貴族や国家による圧制が始まり近現代までそれが長く続いてしまいます。
<ビザンツ文化>
冒頭文なし
本文要旨
ビザンツ 文化 ギリシア 古典 遺産 正教
ギリシア語
美術 モザイク 壁画 様式 教会 建築 聖堂 サン=ヴィターレ
聖母子像 描く イコン
世界史的意義 イタリア
「ビザンツ文化は、ギリシアの古典遺産を基礎に、ギリシア正教とギリシア語を特色とする。美術が特異で、モザイク壁画、教会の聖堂建築様式、聖母子像などのイコンがある。その世界史的意義は、これをイタリアに伝えたことだ」
ビザンツ帝国は、ローマ帝国です。ギリシアは、ローマが国を滅ぼし征服しました。
それなのに、なぜかギリシア、ギリシア、ギリシア。
支配者は確かにローマ人ですが、人口が多い住民はギリシア人です。
何百年も支配しているうちに、地元のギリシア文化を否が応でも知ることになります。
またギリシア文化を知らないと、ギリシア人を真に支配できません。
支配される側に立ってみると「今日からラテン語を使え、ギリシア語は使用禁止」などと言われたら、とても困るでしょう。大反発が起こり、帝国は崩壊するでしょう。
歴史的思考
*「ギリシア」「イタリア」
世界史上のこの2つの地域の関係は、重要です。
古代は、まずギリシア文化が栄え、ギリシア人が地中海全域の貿易を支配していました。やがてイタリアからローマ帝国が起こり、ギリシアを征服します。
ギリシア文化は次第に忘れ去られ、ゲルマン人移動で完全に人々の記憶から消えました。
「地球は球体」というのは古代ギリシアで既に常識だったのですが、中世になると「地球は平ら。先に行くと海が滝になっている」というのが常識になりました。
中世末期になると、ギリシア文化がイタリアに伝わり人々は驚きます。「地球は平らでなく、球体だった。これは古代の常識だった」
西欧の人々は衝撃を受け、思考が180度変わりました。(コペルニクス的転回といいます)これが、近現代の科学的思考へとつながっていきます。
*「古典」「遺産」
ギリシア文化の説明文で、既にこんなネタバレ語を使ってしまっています。
「古典」の「典」というのは、後世の人々のお手本という意味です。
「遺産」の「遺」は、後世の人々に残した託したという意味です。
順々に説明しなくてはいけないのに、著者は焦って先々のことをここで書いてしまったのでしょう。
それだけギリシア文化が、いかに近現代の基礎になっているかが分かります。
(例:民主主義、オリンピック競技大会、アルファベット)
*「ギリシア正教会」
の対照語は、西欧のローマ=カトリック教会です。
同じキリスト教なのに、地域によって差ができてしまいました。
西欧ではローマ帝国が滅亡して各領主が個々に分立し、東欧ではローマ帝国が存続したのが原因です。
東欧のキリスト教はローマ帝国時代の教義に近く神秘的な要素があり、西欧のほうがゲルマン人への布教の必要(ローマ教皇がゲルマン諸国家に保護を求めた)からリアル的なものに変化したのです。
西欧ではキリストの姿を絵に描き、キリストが神であるということが強調されました。
(東欧も、のち聖像を描くことを許します)
*「ギリシア語」
言葉は人が日常的に使うもので、とても大事なものです。
この時代のキリスト教は、ラテン語で教義を書いていました。それで学問も、ラテン語で行うのがメインでした。
しかし諸国の住民にとって、ラテン語は難しかったのです。聖書は庶民のものになりませんでした。
西欧では、ゲルマン語とラテン語が組み合わさって、ドイツ語・フランス語・英語などの各国言語ができていきました。
東欧では、もともと聖書がギリシア語だったのでギリシア語が普通に使われます。
のち西欧で宗教改革が起こったとき、聖書を各国語に訳す運動が同時に起こりました。
それまで聖書の中身は教会が独占していたのですが、人々は初めて聖書の中身を直接知りこれがプロテスタントの起こりになりました。
また聖書の中身を子供に知らせるため、各国語で学ぶ学校制度が発案されました。
*「モザイク画」
様々な色に塗った石やガラスや陶器を砕いて、その破片を貼って絵を作るものです。
絵の具を使わないでなぜそんな手間のかかることをするんだと思うかもしれませんが、絵というのは描く人のいろいろな考えを表現するもの(美術といいます)であり、その考えを直に表す画材を求めるのが通常です。
そう、モザイク画は制作に手間がかかります。それで古来モザイク画は、政治権力者が多く作らせました。
*「壁画」
中世当時は、紙は高価でした。
政治権力者の権威やキリスト教の教義を人々に知らせるために絵が描かれたのですが、それを人々に知ってもらうのに有効だったのが宮殿や教会の建物の内壁でした。
壁は、人々に考えや政策を知らせるため多く使われました。
壁新聞が有名です。今も各種の掲示板が使われていますね。
今ではあちらこちらの壁に落書きがいっぱいになってしまい、これも表現活動といえなくもないですが、壁の所有者の許可なくやっていてもちろん違法です。
*「聖母子像」
イエス=キリストを生んだ母親マリアに対する信仰を表しています。
キリスト教だけでなく、古今東西、母の子に対する愛を表す絵画や彫刻が、いっぱいあります。
また「何々の母体となった何々は」という書き方や、「母なる大地」というような呼び方もあります。
マリア信仰は、ローマ=カトリック教会で特に強調され、ギリシア正教会ではそれほど重視されません。
*「イコン」
聖像のことです。キリストや聖母マリアの像のことを指します。
ビザンツ帝国では一時期禁止され、破壊運動も起きました。これが東西教会分裂の原因となりました。
しかしその後、ビザンツ帝国でも一転して許されました。けっきょく具体的な像が無いと、布教できなかったのです。
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(入試問題を解いてみるのは大事なことです。解答できなくても構いません。定期テストでは固有名詞や歴史用語をメインに出題されるので、それとはまた違った出題の仕方を知ることができていいでしょう)
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