rekisitekishikouryoku’s blog

歴史的思考力を一過性でなく継続的に身につける方法

世界史要旨把握16中世ヨーロッパの変容(7)中世の東欧

アフィリエイト広告を掲載しています)

 

今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行

P124~P125「スラヴ人と周辺諸民族の自立」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history

従来はビザンツ帝国オスマン帝国がメインの中世東欧記述だったのが、諸民族の動向にページを割くようになっています。
東欧で国民国家の成立が遅れた(つまり近代化が遅れ、それが現代もなお尾を引いている)原因が、諸民族を支配する2つの帝国の、古代以来20世紀に至るまでの存続にあったからです。

 

冒頭文

カルパティア山脈の北方を原住地とするスラヴ人は、6世紀になると、・・・

この単元の前の時代は、5世紀以前です。
5世紀というと、ゲルマン人の大移動が始まってからおよそ百年後のこと。
6世紀になるとゲルマン人の活動が弱くなり、代わりにノルマン人の活動が激しくなります。それに刺激されたように東欧の諸民族が動き始めます。

     (カルパティア山脈は、ピンク色で囲った辺り)

 

本文の要旨把握⇒歴史的思考

第1段落(冒頭まとめ)

スラヴ人 6世紀 ビザンツ帝国 地域
スラヴ人 南スラヴ人 ギリシア正教 西スラヴ人 西欧 ローマ=カトリック 影響を受ける 自立 建国

繰り返し出てくる言葉を使い作文すると
スラヴ人が、6世紀以降ビザンツ帝国の北方に広がった。ビザンツや西欧の影響を受けながら、各地で自立し建国した」
という要旨が出来上がります。

世界史の展開というのは古今東西パターンがだいたい決まっていて、まず巨大帝国が現れ、次にその帝国の影響を受けた諸民族の国家が周辺に出現します。
東アジアがその典型で、まず中国に帝国王朝が現れ、次の時代に中国の周辺のモンゴル・朝鮮・日本・東南アジアなどに諸国ができていきます。
日本史だと、漢・南北朝大和朝廷、唐→奈良・平安時代、宋・元→鎌倉時代、明→室町時代、清→江戸・明治時代という展開です。

*「地域」

では、歴史的思考が広がるような語をピックアップし、思考を広げましょう。
地域という言葉は、思考が広がるでしょうか?
地方と言い換えてもいいです。

地域・地方は、人の文化の種類の数だけあります。
言語が異なる諸地域のほか、方言が異なる諸地域もあります。
地域ごとに特色ある祭りが行われたり、同じ宗教でも際立つ特徴が違ったりします。
地域という言葉は、多様性という意味を含んでいます。

近年は残念なことに、どこの駅前に行ってもロータリー・駅前ビル・コンビニ・高層マンションとワンパターンなことが多いです。
いわゆるランドマークが、駅前の高層タワーマンションの数の違いとかですね。
車窓風景の動画を見ても、都市部ではえんえんと同じ風景が広がり続けています。旅情がいっさい湧きません(笑)
こんな状態でいいのかと思いますが、皆同じでいいのではという意見もありそうです。

*「東」「南」「西」

これは文化の違いというより、たまたまその方角に行き分布した結果です。
その行った先で近隣の文化に触れて、影響を受けたということです。

地図のバルカン半島と書いてあるその南が、ギリシアです。
ギリシア文化は、古代最高峰クラスの文化です。ローマでさえ、かないません。

現代日本の民主政治も、ギリシア由来です。
英語のもとになったのは、ギリシア語です。ABC、αβΓと文字が違い、読み方もエービーシー、アルファベータガンマと違いますが、構造は同じものです。
4年に1度のオリンピック競技大会も、古代ギリシア由来ですね。

現代日本でさえ大きな影響を受けています。
近隣の諸民族が、非常に大きな影響を受けたことが分かります。

*「自立」

これは、動詞です。
もともと誰かに支配されていて、やがて自分の足で立ちあがり独立するという意味です。つまり誰かに支配されていたというのが前提の語です。その誰かを特定する必要があります。

この中世東欧で支配的な存在だったのが、ビザンツ帝国です。
その支配が前の単元で衰退したので、そこから自立し建国した国々ということです。
ロシアの場合は初めから自立していたのですが、途中でモンゴルに征服され200年以上かかって何とか独立していきました。

ただこの諸国自立状態も、16世紀以降のオスマン帝国の出現によりついえます。
ロシアは何とか支配を免れ、成長していきます。
その後は、このロシアとオスマン帝国との抗争、オスマン帝国支配下の諸民族地域の奪い合いという構図ができあがり第一次世界大戦へとつながります。

 

第2・3段落(東スラヴ人

ドニエプル川 ロシア ノヴゴロド キエフ公国
10世紀 ウラディミル1世
改宗
農奴 大土地所有 諸侯
モンゴル キプチャク=ハン国 支配
15世紀 モスクワ モスクワ大公国 イヴァン3世
ローマ 皇帝
イヴァン4世

「ロシアは、ギリシア正教に改宗し、農奴制と大土地所有の諸侯を基礎にして成長した。その後モンゴル支配を受けたのち独立し、ローマ皇帝称号を得た」

*「改宗」

古代ローマ人もそう、西欧のゲルマン人もそう、近世初頭のフランス国王もそうですが、ヨーロッパの歴史では、その地域の多数の住民が信仰する宗教に政治権力者自身が改宗して支持を得るというのが、ワンパターン化しています。
その教義を心から信じて入信したのではなく、便宜的なものです。

宗教の威力というのはかなり強いのですね。
現代でも宗教対立が激しくて戦争の原因になることが多いのですが、なぜ宗教が異なるだけでそこまで憎み合うのでしょうか?お互いに寛容になれないのでしょうか?
無宗教な(日本だけで通用する物言いです。国際的に言ったら信用できない人間だと判断されます)私には、ちょっとわかりませんね。

*「農奴

中世西欧の真似をしましたね。
互いに連絡や影響があったかどうかは不明ですが、行商人などから話には聞いていたことでしょう。
たとえ知らなくても、人を効率よく働かせる最大の方法は奴隷的なこき使いです。
このやり方は、古今東西変わりません。

奴隷的な使い方にも2種類あって、使い倒して体を壊したら捨ててしまうパターンと、生かさず殺さず搾り尽くすパターンとがあります。
日本の江戸時代の年貢取り立てや現代のブラック企業は、後者のパターンです。
この農奴制も、農民を物扱いしない点で後者のパターンです。

*「大土地所有」

土地制度というと必ず出てくる、広大な土地を所有する大地主や豪族です。その多くは、自分では耕作しません。他人に働かせてその成果だけを奪い取ります。

ちなみに自分で耕作して土地を所有する農民を、自作農といいます。

土地をたくさん所有している人は、つまり大金持ちです。そういう人は政治権力を握るのが普通で、古今東西の各国の政権者のほとんどが大土地所有者です。
だからどんな政治体制かを学ぶときに、同時にその政権者はどれだけ土地を所有しているかを調べればその政治状況が分かります。

明治時代の政権者である伊藤博文は、大土地所有者つまり大地主ではありません。
当時の地主層は、帝国議会衆議院議員(政党員)でした。
だから伊藤は、政党と手を結びました。
その後の日本の政治は、官僚が政党(現代も議員の多くが地主層)や企業(大地主や財産家)と手を結ぶパターンが普通になります。

*「ローマ皇帝

15世紀にもなって古代ローマ皇帝の称号を得る???
とつぜん古代の遺物が出てきて戸惑いますが、ヨーロッパ人にとって古代ローマ古代ギリシアと共に、憧れの永遠の存在です。

ドイツの諸侯たちは、神聖ローマ皇帝位(当時は「神聖」という名は付いておらず、本物のローマ皇帝です)を巡って激しく抗争しました。
この神聖ローマ皇帝の打倒を国の宿願としたのがフランスで、ブルボン朝ルイ14世は激しく戦争をしかけ、ナポレオンはついに皇帝を打倒し自ら皇帝になります。
(皇帝を倒し自ら皇帝になるとは矛盾していますね。正確には、皇帝になってから皇帝を倒しています)
20世紀のイタリアのファシストムッソリーニも「古代ローマ帝国を復興するんだ」と宣言して政権を取っています。

皇帝になればヨーロッパを支配する名分ができるというのが、ヨーロッパ人の歴史的な意識でした。

 

第4段落(南スラヴ人

バルカン半島 セルビア 12世紀 独立 14世紀 バルカン半島北部
クロアティア
オスマン帝国

バルカン半島でも、12~14世紀に独立する諸国があった。しかしやがて帝国に征服される」

独立している期間は短かったですが、まあ200年も持てば歴史に名前が残ります。
名前が残っているのに、その歴史を長い間日本の歴史教育は軽視してきましたが。

 

第5段落(西スラヴ人

ポーランド人 チェック人 
繁栄
バルト リトアニア人 ドイツ騎士団 連合 リトアニアポーランド王国 16世紀
ベーメン 神聖ローマ帝国

「西スラヴの諸国家が、騎士団に対抗して連合王国を作るなどして繁栄した。その後、帝国に併合された国もあった」

固有名詞が覚えにくいなら、除外すればいいのです。定期テストには出るでしょうが、大学入試にはそのものズバリはほとんど出ません。

ポーランドの古都クラクフ(当時の首都)

*「騎士団」

騎士というのは、中世西欧の下級貴族です。
11世紀に始まった十字軍と連動して、ドイツの騎士たちが組織を作りドイツの東つまりポーランドの開発と占領を企てました。

この頃にはポーランドにはスラヴ人が住んでいて国家を作りつつあり、このドイツ騎士を利用して建国したりモンゴル軍と戦ったりしています。
やがてドイツ騎士の力が強くなると、ポーランド国家は対抗するため北のリトアニアと連合したというわけです。
ドイツ騎士団ポーランドに降伏し、その臣下になりました。

この騎士団がのちポーランドから再び自立し、プロイセン王国を作ります。
そのプロイセンが、19世紀にドイツ全土を支配することに成功しドイツ第2帝国を建設します。(第1帝国は神聖ローマ帝国。ちなみにナチドイツを第3帝国とも呼ぶ)

(騎士の姿。武勇だけでなく、キリスト教精神がその矜持だった)

*「連合」

国同士が統一して一国にならない状態です。
統一政府を作る場合と、作らない場合があります。
このポーランドリトアニア連合は、スペインと同じパターンの王同士の結婚から始まったのですが、けっきょく統一政府を作りつつ(同君)互いに独立しているという連合状態になりました。
(スペインは、カスティリヤ女王とアラゴン王が結婚し、のち統一王国になった)

まあその時その時のお国の事情があるので、やり方はいろいろです。

 

第6段落(非スラヴ系諸民族)

ブルガール人 7世紀 ブルガリア帝国
マジャール人 黒海 ドナウ川 ハンガリー王国

「非スラブ系諸民族も各地に建国したが、のちオスマン帝国に征服された」

これくらいでいいでしょう。

 

広告(騎士団の活動がよくわかる物語です。十字架の紋章のある盾が特徴的ですね)


テンプル騎士団 (集英社新書) [ 佐藤 賢一 ]

スピードマスター世界史問題集 世界史B [ 黒河潤二 ]

価格:737円
(2024/6/24 18:01時点)
感想(1件)

(たった30日間でマスターできるのでしょうか?まあ要旨だけなら・・・)