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世界史要旨把握19中世ヨーロッパの変容(10)イギリスとフランスその1

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今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行

P128(14行目)~P129「イギリスとフランス」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history

 

冒頭文

13~14世紀以後ヨーロッパ各国の・・・

いきなり内容の説明が始まってしまいます。
こういう場合は、その文章から前の時代とのつながりを推測するしかありません。

前の時代は、12世紀以前ですね。
12世紀の大きな出来事としては、ローマ教皇が発案した十字軍遠征があります。
西ヨーロッパ各国の諸侯や騎士たちがほぼボランティア状態で参加し、西アジアに行きそこでイスラーム勢力と戦いました。しかし、目的は果たさず。
つまりボランティアだったうえに失敗したのですから、諸侯と騎士の財力は底をつきました。

この7回の十字軍遠征に一度だけ参加し他の6回は参加しなかった勢力が、いました。
各国の国王です。
これを見て私は、豊臣秀吉朝鮮出兵を連想しました。
諸大名が動員されて兵を渡海させ激戦しましたが、有力大名のうちの一人が兵は出したが渡海せず戦わなかったのです。その人こそ、秀吉の後に天下を取る徳川家康でした。

 

本文要旨の把握

第1段落(序)

王 課税 貴族 聖職者 都市 代表 身分制議会

繰り返し出てくる言葉で文を作ると、それが要旨になる。そんな簡単な法則が、あまり知られていません。もちろん長文読解が得意な人は、その極意(笑)を知っています。

「王は、課税するため、貴族・聖職者・都市の代表を集めた身分制議会を作った」

この文を見て違和感を持った人は、現代政治のバランス感覚を備えています。
現代、議会とは国民の代表で、民主政治の象徴です。
ところがこの文は、議会が国王の目的のための存在であるとしています。

そう、元々は議会は、国王の道具としてスタートしました。
民を納得させるための狡猾(こうかつ。ずるいこと)な政治的テクニックの一つです。
「朕の独断でやっていませんよ?国民の意見を聞いていますよ」アピールです。実際は聞いていないことが多いです。
現代のシャンシャン会議(笑)に共通するものがあります。
 (シャンシャン会議とは、トップが出した案を、会議のメンバーが異議なし異議なしとイエスマン状態で黙々と通すという、形だけの会議)

*「王」「貴族」「聖職者」「都市」

中世西ヨーロッパのいろいろな人たちが入っていますね。
都市は、商人と手工業者です。(ギルドに加盟している大商人と親方)
あれ?農民は?農民は、奴隷的な存在です。当然、含まれません。

「聖職者」が、現代日本的な感覚では違和感があるくらいでしょうか。
当時はキリスト教が政治を左右した全盛時代ですから、当然入っています。

ここで、少し説明。
「貴族」「諸侯」「騎士」は、どう違うかです。

*「貴族」

国王から、その特権的な政治的地位を子々孫々受け継ぐことを認められた者です。
首都に居住し王宮に仕える者と、地方に居住し領地経営をする者とがいます。
ただ王宮に仕えていても、領地を経営(部下に一任)していることがほとんどです。

貴族の中には、一代限り貴族もいます。
大きな功績をあげたので、国王から貴族と同じ地位を認められ、国民から敬称(何々様)で呼ばれる人です。

*「諸侯」

貴族のうち、広大な土地を所有し経営している者を指します。
その大きな財力ゆえ、国の政治や経済に大きな影響を持っています。
ドイツの大諸侯たちは、ドイツ国王がいなくなった後、神聖ローマ皇帝の候補に選ばれました。

*「騎士」

文字通りの意味は、馬に乗って剣や槍、刀を持って敵と戦う軍人ですね。

中世西欧の騎士は、通常、国王から騎士叙任というキリスト教の儀式を受けてなります。
そのとき国王から領地をもらうと、国王の臣下の一代限り貴族となります。
つまり一般民でも、騎士になれます。

その一代限りの騎士貴族が、国王からその特権的な地位を子々孫々に受け継ぐことを認められると本来の意味の貴族になります。
この場合、領地が小さいなら子孫の代も騎士貴族(下級貴族)のままです。
所有する領地が広大になると子孫は大貴族つまり諸侯になり、中には国王や皇帝に出世した者もいます。

*「都市」「代表」

貴族や聖職者は議会に全員参加しますが、都市の商人や手工業者の場合は代表だけが参加できます。
「都市の意見は言ってもいいけど聞かないよ」という非常に巧妙なテクニックです。

この代表という方法は現代の議会の基本原則になっているのですが、これは別名ごまかし議会政治といわれる代物です。
本来議会は、古代ギリシアの民会のような全員参加のものだからです。
現代はインターネットが発達し国民全員参加が可能なのにもかかわらず、相変わらず代表制を取っていますね。議員が既得権益を必死に守っています。

*「身分制議会」

この語から分かるとおり、議会と、自由平等人権保障の民主政治は、本来別のものです。
議会の構成は、時の政治権力者が自由気ままに定めることができます。
古代ギリシア・ローマは、市民全員参加。
この中世西欧は、身分別。
近現代は、選挙で選ばれたいわゆる代表が参加。

議会の役割も、時の政治権力者に左右されます。
ただの諮問機関か、市民のガス抜き機関か、本当に政治方針を決めるか。

現代日本の国会は、どれに当たりますか?
国民全員参加でなく代表だけ参加し、政府が出した案を与党の賛成多数でそのままあるいは少し修正して可決成立。ただの手続きを踏むだけのイエスマン的な存在と化していませんか?
(もちろん国民全員で議論していると、いつまでたっても予算が成立せず法律もできないという事態になる恐れがあるわけで、結局は同じ意見同士の人が集まって党を作り、多数決を取らざるを得なくなり・・・)

現代日本の国会議事堂)

第2・3段落(イギリス)

王権 強かった
フランス
ジョン王 国王 フィリップ2世 大半 教皇
大憲章(マグナ=カルタ)
新たな 高位聖職者 大(貴族) 会議 承認 必要 立憲 政治
州 都市 代表
模範議会 下院
騎士 地方

「イギリス王権は強かったが、他国や教皇に脅かされ、貴族・聖職者会議、のち州の騎士や都市の代表の議会下院から承認必要と迫られ、立憲されていった」

いろいろな内容が出てきて難しい所ですが、学んだ時の直感や印象が大事です。
イギリスの学習なのに、なぜフランスとか教皇とか他国の話ばかり出てくるんだ?イギリスのことが学びたいのに!と思うでしょう?
そう、それがこの単元の意味です。
次の単元が、その複雑怪奇な問題の解決編です。解決するのに百年もかかってしまいましたが。

国王の話なのに、なぜ貴族とか騎士とか議会とか他の人や組織の話が出てくるんだ?という直感と印象も大事です。

*「王権」「強かった」

強かった、つまり過去形です。
だからだんだん弱くなっていったが、この単元のイギリス王権の運命です。

*「フランス」「国王」

イギリスの話なのになぜ他国の話が出てくるんだ?という素朴な疑問から、思考は広がります。

元は、フランス国王の臣下がイングランドを征服したことに始まるわけです。
(イギリスといってるが、正確にはイングランド。分かりやすくするためイギリスと言っておきます。スコットランドの人たち、ごめんなさい)
イギリス国王が、フランス国王の臣下という訳の分からない関係になります。

このままだと、フランス国王は場合によってはイギリスの支配者になるかもですが。
その後、イギリス国王が、フランスの他の諸侯の広大な領地(当時のフランス国王の直接の領地より広い)を相続しまして。
結果、フランス国王の臣下が、フランス国王より軍事力財政力が強いという・・・。
いっそのことイギリス国王がフランス全土を征服すれば万事解決となるので、次の単元の戦争になります。

中世から近世にかけては、ヨーロッパの他国もこんなのばっかりです。
女系相続が認められていたことの弊害ともいえます。

*「教皇

まで出てきました。ちょうど教皇が全盛期の時期です。

*「承認」

誰が、誰の行動を承認するのですか?
貴族や聖職者や都市代表が構成する議会が、国王のこれからの行動を承認します。

って、貴族や聖職者や都市代表は、何様?
承認というのは、普通上の地位にある者が下の地位の者に対して行動を縛るためにするものです。
子供「ゲーミングパソコンを買いたい」親「ゲーム?遊びじゃないか?ダメだ」子供「性能がいいからプログラミングの練習になる」親「将来の役に立つなら買ってよい」というやり取りを想像します(笑)。

上の地位にある国王が下の地位の者の承認を得ないといけないとか、酷い屈辱ですね。
国王の力が弱くなったことを示しています。

*「立憲」

現代日本では、某政党の名称だったり、明治時代の政党名だったりという印象から、この言葉に違和感を持つ人が少なくないと思います。
しかし、それは現代の日本国民の多くが、この言葉の真の意味を理解していないことに由来すると考えます。
この言葉の真の意味は、世界史でジョン王の大憲章(マグナ=カルタ)の意味を学習すればわかるのですが、日本人の多くは世界史が苦手で未履修したり、学習しても歴史用語だけ覚えて中身を学ばない教えないと散々です。

立憲とは、イギリス国王が1215年その行動を貴族聖職者会議に縛られた、その歴史的事実そのものを指します。
大憲章の「憲」に、それが表れています。
立憲とは、憲法を作る守るという意味ではなく、国家権力を国民が縛るという意味です。憲法は、その結果を文章にしたものです。

国家権力にとっては、国民に行動を縛られるのは面白くありません。
だから政治権力者が「憲法を廃止」とか「憲法を改正」とかいうときは、国民を軽視しています。とても分かりやすいです。
もちろん、国民にとって良い改正ならいいのですが。
現代日本では、国民を軽視していないことを表すため国民投票過半数の賛成がないと憲法改正は成立しないとなっています。

日本国憲法

*「下院(かいん)」

諸国の議会の多くは二院制を取っていて、そのうち議員の人数が多いほうを下院と呼びます。議場の1階に下院、2階に上院が入ったことに由来します。

もちろん、身分が下の者の下院、身分が上の者の上院という意味も込められていました。
上院は古い時代は貴族で占められ、現代は年齢が上とか任期が長いとかの特色を持っています。(大日本帝国議会の貴族院現代日本参議院に当たる)
下院は、一般国民代表です。(日本の衆議院に当たる)

上下院の力関係は様々で、対等の国もあれば、上院が上(アメリカ合衆国)、下院が上(現代のイギリスや日本)とあります。
下院が上院より上の権限(法案や予算の審議で優越している)を持っているというのは、不思議な感じがしますね。
これは元は文字通り上院より下の存在だったのが、民主化がどんどん進んでいき上院より上になったことを意味します。

中世西欧の議会での下院は、まだ上院より下の存在でした。

*「騎士」「地方」

中世イギリスの貴族には、領主貴族と騎士貴族の2種類がいました。上級貴族と下級貴族です。下級貴族の多くは、上級貴族の臣下になっていました。

騎士貴族も、少ないですが領地を持っていました。だから領主の一種です。

次の単元の話になるのですが、上級貴族の多くが没落していなくなった後、この騎士貴族が貴族の中心メンバーになっていきます。
この人たちの特色は、王宮に仕えるのではなく、地方領主として存在し続けたことです。そして地方の中核的な存在となり、イギリスの近現代の原動力になっていきます。

地方が国家を支えるというのは、いいですね。
現代日本地方自治とか言いながら、内実は中央が地方に上意下達していますから。

 

第4段落(フランス)

諸侯
アルビジョワ派(カタリ派) 南
(代表)者 全国 三部会

「フランス王権は、南部を制圧し強くなり、全国議会を作った」

イギリスとは逆にフランス王権は、元は弱かったのが、次第に強くなっていきます。

*「南(フランス)」

フランク王国の伝統権威を受け継いだフランス国王ですが、最初は現在のパリ付近だけ(フランス北部)、やがてフランス中部と広がっていき、最後にフランス南部を征服して現在のフランスの領土を作ります。

ただ今でこそ一つの国の領土ですが、この南フランス地域は元は、北フランス地域とは全く異なる文化を持っていました。

国土地理院地図に作図したものを正式の手続きで引用しています)

大きな理由は、気候の違いです。
北仏は西岸海洋性気候、南仏は地中海性気候です。
北仏は温和で比較的雨が多い、南仏は温暖で比較的雨が少ないつまり晴天が多い。
この違いが、人々の意識や生活の違いになりました。
南仏は、イタリアやスペインに似たところがあります。

フランス王権は、この南仏を武力制圧したことから急速に強くなっていきます。
(のちフランスの歴史を変えるナポレオンも、南仏出身です。フランス人でさえなく、イタリア人です)

*「三部会」

分かりやすい身分制議会ですね。三院制です。
中世の主な身分のうち、農民以外(聖職者・貴族・平民)が参加しています。

平民とは国から特権を与えられた都市民という意味で、その特権とは領地のことです。
領主である平民です。
つまり三部会というのは、事実上の領主会議でした。

さらに聖職者や貴族の多くが出席を怠っていたので、三部会のリアルの参加人数は数人でした。

 

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(全国の歴史教師たちが歴史的思考力を授業に取り入れようと苦労している様子が、描写されています。ブログ主の私が提唱する言葉連想法(言葉の抽象化普遍化)も、その一つです。実にいろいろなアプローチの仕方があるので、学習の参考に読んでみるのも良いでしょう)