rekisitekishikouryoku’s blog

歴史的思考力を一過性でなく継続的に身につける方法

世界史共通テストの解き方 世界史Bその2

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では、具体的にはどんな思考手順を経ているか、私の心の声を再現してみます。参考までに。
なお私が現在の素の実力で共通テスト2024年度の世界史Bの第1問(小問数9)を解答したところ、正解7、間違い2でした。
間違いの原因は、知識不足です。つまり今後の学習でカバー可能。

ではその大問第1問の小問第1問第2問を解くときの、私の心理状態をつぶさに書いて見ます。
皆さんは、お手元に今年1月の共通テスト世界史Bの問題を参照してくださるとより分かりやすいかと思います。

「まず、第1問の~、問1、問2、問3か~
国史だなあ~
えーと問題文?資料?うーん、いろいろあるけど・・・とりあえず無視!

 

<問1を見よう>
資料1,2と中身が一致するかどうかか~

 

えーと選択肢は?

①と②は、李斯か。秦の忠臣だ。秦といえば郡県制だ。

戦乱は良くないことだね。これは批判だね。つまり周を批判しているんだ。〇

②郡県制・・・周・・・はあ?違う内容を混ぜこぜ・・・間違い!

 

③と④は、博士か・・・誰だ?知らない。学者が何か言ってるのか。

封建制の利点・・・一族に権力無し・・・はあ?違う内容を混ぜこぜするんじゃないよ、間違い!

④郡県制の利点・・・一族の補佐?・・・はあ?違う内容が混ぜこぜだ、間違い!

 

正しい内容は①だけか。

 

資料1を見よう・・・長い文章だなあ?全部読むのは面倒くさいので

ラストの文始皇帝封建制と一族諸侯が悪いんだ」周を批判してるんだ

冒頭文で、李斯「周は一族に封土を与え」ふむふむ

 

資料2を見よう・・・長い文章だなあ?全部読むのは面倒くさいなあ

あ、③と④は間違いだ。読まなくていいな。

 

問1の答えは、①だ。

 

<次は問2だ>

空欄と資料の組み合わせか~

空欄は・・・問題文を見よう・・・

空欄の前後、魏が皇帝位を奪われた・・・ああ、司馬炎か、仲達の子孫だな

選択肢を見ると~。

1と2は間違い、3と4が正解だな

 

次、争乱名か~

三藩の乱・・・清王朝だな

八王の乱・・・晋王朝だな

資料3を見よう~、西晋では・・・あ、八王の乱

選択肢を見よう~、3と4か~、3は間違い、4が正解だ

 

問2の答えは、4だ。

 

<次、問3だ>

うーん、問題文が長いなあ・・・とりあえず無視しよう

 

争乱3つと 出来事2つか~

うん?小問の問題文(出来事の箇所)になんか書いてあるね?一族の弊害?

ということは出来事 朱元璋は農民だ、永楽帝は一族王だ

永楽帝のことを言ってるんだな

 

次、争乱名だ

黄巾の乱三国志の最初の内容だから、後漢王朝だね~

赤眉の乱は・・・記憶おぼろげだ、分からない

呉楚七国の乱は・・・呉?三国時代かな?・・・あ、楚とある。項羽の国だ、ということはその後の前漢王朝か~

 

問題文を見るか~

下線部、前漢西晋を例に挙げて批判した、ふむふむ

ということは、前漢時代の呉楚七国の乱だね~

 

問3の答えは、6だ。」

 

<解説>

さて、どうですか?

赤い字の箇所が、注目点です。

・まず、問題文や資料がいっぱいありますが、とりあえず無視しています。
あくまで、とりあえず、です。
完全に無視しているわけではありません。

戦乱は良くないこと。だからこれは批判だ、という理解。
戦乱ができればしてはいけないことであるのは、古今東西普遍的な人類共通の認識です。
このような常識的な価値観を持つことが、問題を解くのに役に立ちます。

誰だ?知らない。
博士とかよく分からないものを持ち出されても困ります。よく分からないときは、とりあえず無視することです。
博士ってなんだろ?とか追究してはいけません。時間の無駄です。

・長い文章を全部読むのは面倒くさい
皆さんもそうでしょう。
こういう場合は、読まなくていいです。
読まないと不安かと思いますが、余計な知識・情報を頭に入れるよりはましです。

・長い文章を読解するコツ。
あります。
秘伝です。拡散しないように(笑)(ここに書いている時点で拡散している)
ただこの問題では、たまたまそういう箇所にそういう内容が書いてあったのかもしれません。

・長い文章のうち、少しは読まないといけないものと、読まなくてもいいものとがあります。
それは、選択肢次第です。

司馬仲達の子孫だな。
三国志』の知識ですね。
世界史を選択する人は、少なくとも『三国志』が必須の教養になります。本でもゲームでもドラマでも、媒体は何でもいいです。

小問の問題文
大問の問題文や資料に比べ、短いことが多いです。
つまり、容易に読めます。読んでください。

楚、項羽の国。
これは、中国史の劇的な物語の一つです。
項羽と劉邦」天下を2人で争った。
世界史上の劇的な有名な物語は、一通り読みましょう。これも必要な教養です。

・問題文を見るか、下線部
問題文の最も重要な箇所は、下線部と空欄です。
それ以外は、読まなくていいです。

 

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世界史共通テストの解き方 世界史Bその1

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問題形式は、初めて見るような問題文と、各問です。

解き方は、

1 問題文(資料も含む)を読まないで

2 各問を読んで

3 各問の文の正誤を判断し

4 正しい内容の文と、問題文を照らしわせ

5 合っているか、合っていないかを見る。

 

まあ、他の問題の解き方と同じです。
内容のレベルは、あまり高くありません。教科書の基本事項の範囲です。

 

基本事項を習得するには、教科書を丁寧に読みましょう。
時代を特定して前後関係を明らかにし、本文の要旨を把握します。

世界史要旨把握20中世ヨーロッパの変容(11)イギリスとフランスその2

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今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行

P130~P131(11行目)「百年戦争とバラ戦争」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history

 

冒頭文で前の時代を特定する

・・・・・

ありません。
この単元は、前の単元「イギリスとフランス」の続きだからです。

ここは、固有名詞がいっぱい出てきて、血沸き肉躍るダイナミックな戦争の物語です。
歴史学習的には、中身はあまりありません。
戦争の原因と、戦争の結果と影響をチェックするだけです。

 

繰り返し出てくる言葉で文を作り本文の要旨を把握する⇒抽象的な言葉から思考を古今東西(とくに現代)に広げる

第1段落

フランス 国王 フランドル地方 イギリス
カペー朝 ヴァロワ朝 エドワード3世 王位 継承 百年戦争

「英仏両国王が、フランドル地方の領有と王位の継承で争い、百年戦争が始まった」

*「イギリス」と「フランス」

この両国は、現代にいたるまで常に互いを意識し、対立してきました。
第二次世界大戦の時に初めて協力・同盟関係になりましたが、その後も対立まではいきませんが対抗関係は続いています。

ただこの対立抗争と併称される、もう1つの対立抗争関係のほうが深刻です。
フランスとドイツです。
この両国は、第二次世界大戦後に社会主義陣営に対抗する共通利害から協力・同盟関係にありますが、やはり英仏と同じく互いに対抗意識を持っています。

*「国王」と「国王」

よく百年戦争は、「イギリス」と「フランス」の戦争といわれますね。
しかし、ここをよく読むと「イギリス国王」と「フランス国王」がうんぬんとあるでしょう。
そう、この百年戦争は、この2人の国王の個人的な理由から始まった、個人同士の戦争です。
戦争に駆り出された一般国民は、いい迷惑です。

ただ近現代の戦争も、国家同士の戦争に見えて、その内実は政治権力者(それを支持する層)の個人的な思惑が原因ということがほとんどです。
そんな戦争に駆り出されて命を散らすというのは、ほんと理不尽ですね。

ただ戦争に負けると、現実問題、負けたほうの国の民は悲惨な目に遭います。
古代なら、負けたら国民全員奴隷にされます。中世でも、散々に略奪されます。
近現代だと負けると多額の賠償を払わされるので、負けたほうの国の経済はズタズタです。
第二次世界大戦中の日本でも、政府は国民を戦争に駆り出すため「負けたら占領軍に全部奪われる。そんなことになるくらいなら自害しろ」と手りゅう弾を渡し集団自害させたりしています。
戦後、アメリカ軍が占領軍としてきた時「女性は顔を黒く塗れ。でないと酷い目に遭わされる」という噂が日本国中に蔓延しました。現在の沖縄県アメリカ軍人による性犯罪の多さを見ると、それも納得です。

*「地方」

フランドルというのは、日本人にお馴染みの名作アニメ・児童小説「フランダースの犬」のフランダースのフランス語読みです。フランダースは、英語読みです。
現在の、オランダ・ベルギー・北東フランス付近を指します。

この一地方の奪い合いから、戦争が始まりました。
古今東西のいろいろな戦争の原因の第一は、こういう一地方の奪い合いがダントツです。つまり国境争いです。

だから、ある2国間で領土紛争・領土問題があるときは、その後に必ず戦争という展開があります。
平和的な解決ができればそれが理想なのですが、既成事実を作ったほう(暴力的なほう)が有利になってしまいます。これは法律理論の話なのですが、事実は長続きすることで真実になるというのがあります。

*「王位」「継承」

継承つまり財産相続問題(誰が、何を相続するか)は、家族や親族トラブルの代表的なもので、推理小説の事件の主要テーマにもなっているなどポピュラーな社会問題です。王位継承問題は、国家領土の継承なのでかなり巨大な問題です。戦争の原因になるのも当然といえます。

継承・相続の資格に制限(例えば長男が単独で相続する)を設けていると、問題が起きにくいです。
しかし現代ではそれは不公平ということで、均等に分ける相続が主流です。(法的には均等でも、話し合いで変更することが許されています)すると、トラブルが起きやすいです。

中世ヨーロッパの諸王家は、女系継承を認めていました。
女子相続とよく混同されるのですが、中世ヨーロッパ諸王国は王は男子限定で、女子の王即位は認めていません。(諸侯だと女子が相続することはあった)
女系とは、王の娘(ないし孫娘)の夫が相続・継承することです。
この場合は男系が断絶しているので、王朝交替となります。

現代の日本でも天皇の位の継承問題が出てきていますが、もし女系継承を認めると、いわゆる神武天皇(史実的には継体天皇)以来の伝統(万世一系)王朝が断絶し、新しい王朝が生まれるということになりますね。
王朝名にこだわらないのが中世西欧です。
現代日本国民は、果たしてどうでしょうか?

*「百年」

百年間も戦争をやったとか、信じられないですね。もちろん、百年間毎日戦闘をしていたわけではなく、数年間の空白をおいてぽつぽつ、ぽつぽつとやっていたのですが。
ただ和平を結んでいない状態だと、戦争状態にあることになります。

現代でも、北朝鮮と、韓国・アメリカ・国連軍は和平を結んでいないので戦争状態にあります。(日本は、朝鮮戦争当時は独立を失っていたのでこれに含まれません)
日本とロシアは、平和条約は結んでいませんが、日ソ共同宣言により事実上の和平を約束し国交を樹立したことにより、戦争状態にはありません。

*「戦争」

歴史的思考における、最も多くの問題提起を促す題材です。

この百年戦争は、長年の両国間の問題を一挙に解決しようとしたもので、結果としては戦争を始めたイギリスの思うのとは違う形でしたが解決という結果をもたらしました。

戦争自体は多くの人命が失われるのでやらないほうがいいのですが、諸問題を一気に解決するという側面があり各国では選択肢の一つとして重宝されています。
日本も、第一次世界大戦により好景気を享受し、朝鮮戦争により第二次世界大戦後の経済復興を果たしました。「戦争があると景気が良くなるので歓迎」というのが、ひそかに経済界でささやかれていたりします。

 

第2段落

長弓 クレシー 戦い 騎士 軍 破る エドワード黒太子
乱 シャルル7世
ジャンヌ=ダルク 
諸侯 没落した

「イギリス長弓隊がフランス騎士軍と戦い、破った。フランスは、国内の乱もあり大劣勢に。しかし結果としてフランスが勝利。戦争の主力となった諸侯が没落した」

フランスが、9回表まで劣勢で追い詰められて、その裏に逆転勝利したという状況です。名実ともに神がかり的な奇跡の逆転勝利といえます。

(パリのジャンヌ=ダルク像)

*「長弓」

というのは、日本での普通の弓のことです。弓を縦にして職人技の弓つがえ方式で放つのが、長弓。(ロングボウ)
弓を横にして(寝かせる)器具にセットして放つのが、フランスで主流の弩弓(どきゅう)でした。(クロスボウ

どちらが優れているかというと、速射可能な点では前者です。
しかし誰でもセットすれば放てるのが後者で、前者は職人技を習得しないと放てません。
つまり後者は、日本の戦国時代の鉄砲と似ています。戦闘技術がない農民足軽でも弾のセットのしかたを覚えれば、誰でも撃てるのが鉄砲です。

と、ここからどんどん思考が広がり、幕末の長州軍は庶民が参加可能な戦術を編み出して明治時代の国民皆兵へとつながり、それが議会制民主政治へとつながります。
フランスもこの戦争で勝利したのは、ジャンヌ=ダルクなどの一般国民の尽力のおかげでした。
戦争は良くないことですが、戦争の結果として国民意識や民主政治意識が大いに高まるという歴史上重大な結果を生み出しています。

*「騎士」

日本でいうと、騎乗の武士ですね。騎乗の戦いというのは、個人技であることが多いです。騎乗しながら弓を後ろ向きに放つというまさに職人技の蒙古戦法は有名です。

騎馬戦法が、飛び道具歩兵に敗れるというのも、定番。
こういう武器や戦術の違いが、歴史の大局につながっているというのも感慨深いです。

*「軍」

軍の構成員は、誰かという話です。
ここに出ているのは、フランスは最初、騎士。
イギリスは、長弓歩兵つまり騎士より下の従者たちと、太子つまり王族自ら。

フランスの王はというと、もう滅亡寸前。
そこにジャンヌ=ダルクという、農民の娘さん。農民が初めて戦争の指揮官を務めたというのは、かなり重大な出来事です。

*「戦い」で「破る」

歴史が大きく動くときは、戦争中のある特定の戦いの勝敗というドラマチックな出来事によったりします。

どちらが勝ったか、どちらが負けたか、膠着して引き分けたか、という結果の分析が重要です。
また勝つにしても、誰がどんな勢力が勝利に貢献したかも大事です。その貢献した人物や勢力が、戦後力をつけて社会を動かしていくからです。

*「黒」「太子」

黒の意味は、黒ずくめ甲冑説、暗黒残虐行為説とか、あります。
あまり良い意味で使われていないような気がしますね。また当時はそう呼ばれていず、後世そう呼ばれるようになったという説もあります。

百年戦争のイギリス側の代表的人物が、王太子というのも興味深いです。
立憲活動により権限を縛られても、なお王権が強かったという状態を示します。

「乱」

戦争をしている国の中では、よく反乱がおこります。
戦争は出費が巨額になるので、国民に対し重税が課されます。国内は戦時体制になり、日常生活が制限されます。徴兵されて、戦場に行かされ命の危険があります。
国民が、戦争反対、戦争をやる政府を倒せという声を上げるのが、普通です。

*「諸侯」「没落した」

戦争は、負担が非常に大きいものです。
この中世英仏両国の百年戦争の主力となったのは、両国の貴族(諸侯)でした。
王同士の戦いだから、王の臣下がそれを助けるのは、主従関係があるので当然です。
王が諸侯に期待したのは、その財力と兵力です。

そして百年間も、戦いました。
諸侯の財力と兵力は、すり減ってしまいました。

誰かが没落すると、代わりに隆盛する者が現れます。
諸侯に代わって隆盛したのは、イギリスでは国王と騎士(ジェントリ)、フランスでは国王です。

第3・4段落

ランカスター家 内乱
バラ戦争
両派
ヘンリ7世 テューダー朝

「イギリスでは王位をめぐり内乱発生、国内は両派に分かれ戦った」

結局この戦いは膠着して、引き分けになりました。
この引き分けというのは、非常に重要なことです。
戦争に勝てば大きな利益を得ることができ、負ければ大きな損失をこうむります。
引き分けというのは、この場合両者が損失を被ったということになります。戦いの主力となった勢力(諸侯)が力を失い、没落していきます。誰が得をしましたか?

(ミルクの可愛い王冠)

*「家」

つまり、同じ血縁の一族なのに、互いに争ったというまさに骨肉の争いです。
日本史でいうと、天皇の一族同士が争った南北朝時代がありますね。
こういうことをすると、その一族全体が力を失ってしまいます。

日本史では、室町時代以降、皇室の力は大きく削がれてしまいました。

*「内乱」

群雄割拠の戦国時代とは、少し様相が違います。
国を支配するような主要勢力が2つあり、それが互いに対立して抗争したというものが、内乱です。

日本の南北朝時代のほか、アメリカの南北戦争があります。
もし統一できなかった場合は、国家の分裂という事態もあり得ます。

*「両派」

ランカスター家とヨーク家の2王家のそれぞれに、諸侯が抗争に勝った場合の利益(王のもとで大臣になるとか、新しい領地をもらえるとか)を見越してくっついて派閥化したわけです。
派閥というのは主義主張の対立なので、この場合は「ランカスター家支持」と「ヨーク家支持」が対立したのです。

*「〇世」

ヨーロッパの国王名は、日本や中国と違ってファーストネームで呼んでいます。
東洋人のファーストネームは星の数だけ存在しますが、ヨーロッパ人のファーストネームは数が限られています。
イングランドおよびイギリスだと、現在に至るまで男子は、ウィリアム、ヘンリー、リチャード、ジョン、エドワード、ジェームズ、チャールズ、ジョージの8種類、女子は、メアリー、エリザベス、アン、ヴィクトリアの4種類しかいません。
(現在の国王は、チャールズ3世)

*「朝」

王朝名が、いよいよややこしくなってきました。
しかしそれほど数は多くないので、覚えることは比較的容易でしょう。

国史のなかで時系列的に覚えるのが一番良いと思います。
国際関係的には、王朝名はそれほど重要ではありません。
ブルボン対ハプスブルクとかいいますが、個々の国王の態度により関係はだいぶ違ってきます。

イギリスでは、王朝を新しく継ぐときの事情がその後の歴史に大きく影響しているので、王朝の発足時の状況を詳しく学んでみるのもいいでしょう。

 

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世界史要旨把握19中世ヨーロッパの変容(10)イギリスとフランスその1

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今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行

P128(14行目)~P129「イギリスとフランス」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history

 

冒頭文

13~14世紀以後ヨーロッパ各国の・・・

いきなり内容の説明が始まってしまいます。
こういう場合は、その文章から前の時代とのつながりを推測するしかありません。

前の時代は、12世紀以前ですね。
12世紀の大きな出来事としては、ローマ教皇が発案した十字軍遠征があります。
西ヨーロッパ各国の諸侯や騎士たちがほぼボランティア状態で参加し、西アジアに行きそこでイスラーム勢力と戦いました。しかし、目的は果たさず。
つまりボランティアだったうえに失敗したのですから、諸侯と騎士の財力は底をつきました。

この7回の十字軍遠征に一度だけ参加し他の6回は参加しなかった勢力が、いました。
各国の国王です。
これを見て私は、豊臣秀吉朝鮮出兵を連想しました。
諸大名が動員されて兵を渡海させ激戦しましたが、有力大名のうちの一人が兵は出したが渡海せず戦わなかったのです。その人こそ、秀吉の後に天下を取る徳川家康でした。

 

本文要旨の把握

第1段落(序)

王 課税 貴族 聖職者 都市 代表 身分制議会

繰り返し出てくる言葉で文を作ると、それが要旨になる。そんな簡単な法則が、あまり知られていません。もちろん長文読解が得意な人は、その極意(笑)を知っています。

「王は、課税するため、貴族・聖職者・都市の代表を集めた身分制議会を作った」

この文を見て違和感を持った人は、現代政治のバランス感覚を備えています。
現代、議会とは国民の代表で、民主政治の象徴です。
ところがこの文は、議会が国王の目的のための存在であるとしています。

そう、元々は議会は、国王の道具としてスタートしました。
民を納得させるための狡猾(こうかつ。ずるいこと)な政治的テクニックの一つです。
「朕の独断でやっていませんよ?国民の意見を聞いていますよ」アピールです。実際は聞いていないことが多いです。
現代のシャンシャン会議(笑)に共通するものがあります。
 (シャンシャン会議とは、トップが出した案を、会議のメンバーが異議なし異議なしとイエスマン状態で黙々と通すという、形だけの会議)

*「王」「貴族」「聖職者」「都市」

中世西ヨーロッパのいろいろな人たちが入っていますね。
都市は、商人と手工業者です。(ギルドに加盟している大商人と親方)
あれ?農民は?農民は、奴隷的な存在です。当然、含まれません。

「聖職者」が、現代日本的な感覚では違和感があるくらいでしょうか。
当時はキリスト教が政治を左右した全盛時代ですから、当然入っています。

ここで、少し説明。
「貴族」「諸侯」「騎士」は、どう違うかです。

*「貴族」

国王から、その特権的な政治的地位を子々孫々受け継ぐことを認められた者です。
首都に居住し王宮に仕える者と、地方に居住し領地経営をする者とがいます。
ただ王宮に仕えていても、領地を経営(部下に一任)していることがほとんどです。

貴族の中には、一代限り貴族もいます。
大きな功績をあげたので、国王から貴族と同じ地位を認められ、国民から敬称(何々様)で呼ばれる人です。

*「諸侯」

貴族のうち、広大な土地を所有し経営している者を指します。
その大きな財力ゆえ、国の政治や経済に大きな影響を持っています。
ドイツの大諸侯たちは、ドイツ国王がいなくなった後、神聖ローマ皇帝の候補に選ばれました。

*「騎士」

文字通りの意味は、馬に乗って剣や槍、刀を持って敵と戦う軍人ですね。

中世西欧の騎士は、通常、国王から騎士叙任というキリスト教の儀式を受けてなります。
そのとき国王から領地をもらうと、国王の臣下の一代限り貴族となります。
つまり一般民でも、騎士になれます。

その一代限りの騎士貴族が、国王からその特権的な地位を子々孫々に受け継ぐことを認められると本来の意味の貴族になります。
この場合、領地が小さいなら子孫の代も騎士貴族(下級貴族)のままです。
所有する領地が広大になると子孫は大貴族つまり諸侯になり、中には国王や皇帝に出世した者もいます。

*「都市」「代表」

貴族や聖職者は議会に全員参加しますが、都市の商人や手工業者の場合は代表だけが参加できます。
「都市の意見は言ってもいいけど聞かないよ」という非常に巧妙なテクニックです。

この代表という方法は現代の議会の基本原則になっているのですが、これは別名ごまかし議会政治といわれる代物です。
本来議会は、古代ギリシアの民会のような全員参加のものだからです。
現代はインターネットが発達し国民全員参加が可能なのにもかかわらず、相変わらず代表制を取っていますね。議員が既得権益を必死に守っています。

*「身分制議会」

この語から分かるとおり、議会と、自由平等人権保障の民主政治は、本来別のものです。
議会の構成は、時の政治権力者が自由気ままに定めることができます。
古代ギリシア・ローマは、市民全員参加。
この中世西欧は、身分別。
近現代は、選挙で選ばれたいわゆる代表が参加。

議会の役割も、時の政治権力者に左右されます。
ただの諮問機関か、市民のガス抜き機関か、本当に政治方針を決めるか。

現代日本の国会は、どれに当たりますか?
国民全員参加でなく代表だけ参加し、政府が出した案を与党の賛成多数でそのままあるいは少し修正して可決成立。ただの手続きを踏むだけのイエスマン的な存在と化していませんか?
(もちろん国民全員で議論していると、いつまでたっても予算が成立せず法律もできないという事態になる恐れがあるわけで、結局は同じ意見同士の人が集まって党を作り、多数決を取らざるを得なくなり・・・)

現代日本の国会議事堂)

第2・3段落(イギリス)

王権 強かった
フランス
ジョン王 国王 フィリップ2世 大半 教皇
大憲章(マグナ=カルタ)
新たな 高位聖職者 大(貴族) 会議 承認 必要 立憲 政治
州 都市 代表
模範議会 下院
騎士 地方

「イギリス王権は強かったが、他国や教皇に脅かされ、貴族・聖職者会議、のち州の騎士や都市の代表の議会下院から承認必要と迫られ、立憲されていった」

いろいろな内容が出てきて難しい所ですが、学んだ時の直感や印象が大事です。
イギリスの学習なのに、なぜフランスとか教皇とか他国の話ばかり出てくるんだ?イギリスのことが学びたいのに!と思うでしょう?
そう、それがこの単元の意味です。
次の単元が、その複雑怪奇な問題の解決編です。解決するのに百年もかかってしまいましたが。

国王の話なのに、なぜ貴族とか騎士とか議会とか他の人や組織の話が出てくるんだ?という直感と印象も大事です。

*「王権」「強かった」

強かった、つまり過去形です。
だからだんだん弱くなっていったが、この単元のイギリス王権の運命です。

*「フランス」「国王」

イギリスの話なのになぜ他国の話が出てくるんだ?という素朴な疑問から、思考は広がります。

元は、フランス国王の臣下がイングランドを征服したことに始まるわけです。
(イギリスといってるが、正確にはイングランド。分かりやすくするためイギリスと言っておきます。スコットランドの人たち、ごめんなさい)
イギリス国王が、フランス国王の臣下という訳の分からない関係になります。

このままだと、フランス国王は場合によってはイギリスの支配者になるかもですが。
その後、イギリス国王が、フランスの他の諸侯の広大な領地(当時のフランス国王の直接の領地より広い)を相続しまして。
結果、フランス国王の臣下が、フランス国王より軍事力財政力が強いという・・・。
いっそのことイギリス国王がフランス全土を征服すれば万事解決となるので、次の単元の戦争になります。

中世から近世にかけては、ヨーロッパの他国もこんなのばっかりです。
女系相続が認められていたことの弊害ともいえます。

*「教皇

まで出てきました。ちょうど教皇が全盛期の時期です。

*「承認」

誰が、誰の行動を承認するのですか?
貴族や聖職者や都市代表が構成する議会が、国王のこれからの行動を承認します。

って、貴族や聖職者や都市代表は、何様?
承認というのは、普通上の地位にある者が下の地位の者に対して行動を縛るためにするものです。
子供「ゲーミングパソコンを買いたい」親「ゲーム?遊びじゃないか?ダメだ」子供「性能がいいからプログラミングの練習になる」親「将来の役に立つなら買ってよい」というやり取りを想像します(笑)。

上の地位にある国王が下の地位の者の承認を得ないといけないとか、酷い屈辱ですね。
国王の力が弱くなったことを示しています。

*「立憲」

現代日本では、某政党の名称だったり、明治時代の政党名だったりという印象から、この言葉に違和感を持つ人が少なくないと思います。
しかし、それは現代の日本国民の多くが、この言葉の真の意味を理解していないことに由来すると考えます。
この言葉の真の意味は、世界史でジョン王の大憲章(マグナ=カルタ)の意味を学習すればわかるのですが、日本人の多くは世界史が苦手で未履修したり、学習しても歴史用語だけ覚えて中身を学ばない教えないと散々です。

立憲とは、イギリス国王が1215年その行動を貴族聖職者会議に縛られた、その歴史的事実そのものを指します。
大憲章の「憲」に、それが表れています。
立憲とは、憲法を作る守るという意味ではなく、国家権力を国民が縛るという意味です。憲法は、その結果を文章にしたものです。

国家権力にとっては、国民に行動を縛られるのは面白くありません。
だから政治権力者が「憲法を廃止」とか「憲法を改正」とかいうときは、国民を軽視しています。とても分かりやすいです。
もちろん、国民にとって良い改正ならいいのですが。
現代日本では、国民を軽視していないことを表すため国民投票過半数の賛成がないと憲法改正は成立しないとなっています。

日本国憲法

*「下院(かいん)」

諸国の議会の多くは二院制を取っていて、そのうち議員の人数が多いほうを下院と呼びます。議場の1階に下院、2階に上院が入ったことに由来します。

もちろん、身分が下の者の下院、身分が上の者の上院という意味も込められていました。
上院は古い時代は貴族で占められ、現代は年齢が上とか任期が長いとかの特色を持っています。(大日本帝国議会の貴族院現代日本参議院に当たる)
下院は、一般国民代表です。(日本の衆議院に当たる)

上下院の力関係は様々で、対等の国もあれば、上院が上(アメリカ合衆国)、下院が上(現代のイギリスや日本)とあります。
下院が上院より上の権限(法案や予算の審議で優越している)を持っているというのは、不思議な感じがしますね。
これは元は文字通り上院より下の存在だったのが、民主化がどんどん進んでいき上院より上になったことを意味します。

中世西欧の議会での下院は、まだ上院より下の存在でした。

*「騎士」「地方」

中世イギリスの貴族には、領主貴族と騎士貴族の2種類がいました。上級貴族と下級貴族です。下級貴族の多くは、上級貴族の臣下になっていました。

騎士貴族も、少ないですが領地を持っていました。だから領主の一種です。

次の単元の話になるのですが、上級貴族の多くが没落していなくなった後、この騎士貴族が貴族の中心メンバーになっていきます。
この人たちの特色は、王宮に仕えるのではなく、地方領主として存在し続けたことです。そして地方の中核的な存在となり、イギリスの近現代の原動力になっていきます。

地方が国家を支えるというのは、いいですね。
現代日本地方自治とか言いながら、内実は中央が地方に上意下達していますから。

 

第4段落(フランス)

諸侯
アルビジョワ派(カタリ派) 南
(代表)者 全国 三部会

「フランス王権は、南部を制圧し強くなり、全国議会を作った」

イギリスとは逆にフランス王権は、元は弱かったのが、次第に強くなっていきます。

*「南(フランス)」

フランク王国の伝統権威を受け継いだフランス国王ですが、最初は現在のパリ付近だけ(フランス北部)、やがてフランス中部と広がっていき、最後にフランス南部を征服して現在のフランスの領土を作ります。

ただ今でこそ一つの国の領土ですが、この南フランス地域は元は、北フランス地域とは全く異なる文化を持っていました。

国土地理院地図に作図したものを正式の手続きで引用しています)

大きな理由は、気候の違いです。
北仏は西岸海洋性気候、南仏は地中海性気候です。
北仏は温和で比較的雨が多い、南仏は温暖で比較的雨が少ないつまり晴天が多い。
この違いが、人々の意識や生活の違いになりました。
南仏は、イタリアやスペインに似たところがあります。

フランス王権は、この南仏を武力制圧したことから急速に強くなっていきます。
(のちフランスの歴史を変えるナポレオンも、南仏出身です。フランス人でさえなく、イタリア人です)

*「三部会」

分かりやすい身分制議会ですね。三院制です。
中世の主な身分のうち、農民以外(聖職者・貴族・平民)が参加しています。

平民とは国から特権を与えられた都市民という意味で、その特権とは領地のことです。
領主である平民です。
つまり三部会というのは、事実上の領主会議でした。

さらに聖職者や貴族の多くが出席を怠っていたので、三部会のリアルの参加人数は数人でした。

 

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(全国の歴史教師たちが歴史的思考力を授業に取り入れようと苦労している様子が、描写されています。ブログ主の私が提唱する言葉連想法(言葉の抽象化普遍化)も、その一つです。実にいろいろなアプローチの仕方があるので、学習の参考に読んでみるのも良いでしょう)

世界史要旨把握18中世ヨーロッパの変容(9)教皇権の衰退

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今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行

P127(10行目)~P128(13行目)「教皇権の衰退」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history

 

冒頭文

教皇の権威は、十字軍の失敗から傾きはじめ、・・・

冒頭文には、前の時代(単元)のほか、この単元内容の原因事象の説明も含まれている場合があります。
今回の単元は教皇権威の失墜ですが、その原因が十字軍の失敗にあることがこれから分かりますね。「十字」は、キリスト教の象徴かつ信仰対象です。

地理院地図に、ブログ主が黒い太字を書き加えたものです)

 

本文内容の要旨把握

繰り返し出てくる言葉をチェックし、その語群で文を作るだけです。

第1・2段落

王権 衰える
ボニファティウス8世 教皇権 イギリス フランス 国王
ローマ アヴィニョン

「王権が伸長した。国王たちが、教皇権をないがしろにした」

中世の西ヨーロッパの国際政治のメインテーマは、各国王とローマ教皇の力関係です。
中世前半は、ローマ教皇が各国王に対し対等の存在でした。宗教的には優位に立っていました。
中世後期になると、ローマ教皇は各国王の勢力下におかれます。

*「王権」「国王」

普通に考えると、王国の最高権力者は国王です。
しかし中世ヨーロッパでは、国王の力が弱くて、最高権力者ではありませんでした。
ただフランク王を継承するという伝統的な権威だけの存在でした。

もちろん力が弱かった理由として、偶然の事柄がありました。
軍事力が弱かったことです。
西ヨーロッパ各地を脅かした海賊ヴァイキングは、戦争のプロでした。
弱い軍事力では太刀打ちできませんでした。
これは歴代国王が努力して軍事力を育てていれば、防げたのです。

イングランド(イギリス)国王はその点では、軍事力がかなり強くて早くから王権を確立できていました。
イングランド王権の原型は、ノルマン=コンクエスト(軍事力による征服)でした。
イングランド国軍、イコール、ヴァイキング軍だったのです。

日本史の天皇の立ち位置と似ています。
天皇は伝統的な権威として日本政治史に常に存在し続けますが、その力は弱まったり強まったりの繰り返しです。
現代は国会と内閣が国政をリードしていて、天皇自体の力は弱まっている状態です。

*「衰える」

衰える勢力もあれば、栄える勢力もある。栄枯盛衰です。

勢力は、時代によって様々います。身分のほか、立場も見ます。
この中世ヨーロッパだと、皇帝・教皇・国王・諸侯・騎士・農奴・商人です。

中世日本だと、天皇・皇族・貴族・武士・農民、それに加え朝廷・社寺・幕府・御家人守護大名戦国大名・商人・キリシタンです。
現代日本だと、天皇・各政党・官僚・各地方・企業トップ・一般国民ですね。
アメリカだと、これに加え各人種(白人・黒人・ヒスパニックなど)でしょうか。

そういう諸勢力の時代による力の程度を把握しておくことが、重要です。

 

第3・4段落

正統
教会 大分裂
異端 審問
14世紀 ウィクリフ 聖書 批判
ベーメン フス
神聖ローマ皇帝 火刑
(フス)派 (フス)戦争

「教会も大分裂し、互いに正統性を主張し異端審問をやり合った。聖書を重視し教会を批判する人も現れ、皇帝や教会は火刑などで対抗。批判派が作られ、戦争に発展した」

ある勢力が衰えるときは、必ず内部紛争・対立・分裂の道をたどりますね。

*「正統」「異端」

何が正しくて何が間違っているとか、何が善で何が悪かというのは、その時代の状況や価値観によって大きく変わります。
特に政治関係では、政権に従うものが善で、政権に反抗する者が悪というレッテルを貼られることが多いです。
鎌倉時代後期に現れた「悪党」というのは、鎌倉幕府に反抗した人たちでした。
戊辰戦争の時は、新政府軍(官軍)に対し、旧幕府軍は「賊軍」と呼ばれました。これは勝てば官軍の言葉通り、旧幕府軍が勝っていれば薩長軍は賊軍になっていました。

この中世西欧のローマ=カトリックだと、正統派に反対・批判する人はみな「異端」とされ、悪魔・魔女呼ばわりされ火あぶりにされました。

(日本では魔女というとファンタジーですが)

*「分裂」

つまり2つに分解したわけです。何と何に分解したでしょうか。
フランス国王が推すフランス国内にいる教皇と、ローマにいる教皇と。

そしてどちらのほうが有力だったか?それともほぼ互角だったか?
これは教科書には書いていません。
詳しく書くと、フランス教皇側には、フランス国王とオーストリア公。
ローマ教皇側には、神聖ローマ皇帝イングランド国王がつきました。

さらに詳しく書くと、この2教皇に対し聖職者たちは3人目の教皇を選び、前の2人が辞めなかったため三つどもえになってしまいました。
まあどちらにしてもこの教会大分裂は、歴史的にはそれほど重要ではありません。

*「審問」

審問の言葉の意味は、容疑者に質問してその結果を審議する。
容疑者の弁明や弁護は、いっさい聞きません。だから疑われてこの場に引きずり出されたら最後、有罪確定です。

現代の普通の刑事裁判は、容疑者側にも反論が認められるし、担当の弁護士が自動的に配属されて反論します。

*「聖書」

ここの文脈、おかしいと思いませんか?
聖書はキリスト教聖典ですよね?その聖書を重視しろと主張すると教会批判になり異端とされ火あぶりにされるとか、ちょっと論理が破綻している印象があります。

中世のローマ=カトリック教会は、「教会が言うことが聖典だ」という立場でした。
聖書はラテン語で書かれていて、ラテン語は難しくて誰も読めないので信者は教会が言うことを聖書の内容だと信じるしかなかったのです。
ウィクリフが英訳した聖書は「悪魔の書」とされて、燃やされてしまいました。

(私も聖書を持っていますが、とにかく字が小さい(笑))

*「批判」「異端」「火刑(火あぶり)」

政権のやっていることを批判すると、政権から敵視され場合によってはブラックリストに載せられ公安警察に監視されることになるのは、現代日本でも同じです。
統制が厳しい国では、批判したら逮捕されて懲役刑や死刑になったりします。

当時のローマ=カトリック教会も、あの有名な贖宥状(免罪符ともいう。「お金を出したら救われる」)で巨額の利益を得ていました。
批判されてそれがなくなったら、利益を得てきた教会は大損ですよね。
既得権益を守るため、批判する人を死刑にするとはひどすぎます。欲望の塊ですね。

*「火刑」

古今東西、死刑の方法はいろいろあります。
現代日本は、縛り首です。
諸外国では、電気椅子とか、薬物注射とか、死刑囚になるべく苦痛を与えないようにしています。

逆に極端な苦痛を与えるやり方も、たくさんあります。それを公開処刑にして、民に見せたりします。
火あぶりのほか、磔(はりつけ)、八つ裂き、毒ガス、順々に傷つけていく獄門、織田信長がやった切れ味の鈍いのこぎり引きなど。
こういう残虐な方法を採る政権は、軍事政権や独裁政権が多いです。

 

広告(私が初めて聖書の内容を知ったのは、こういう分かりやすい本からでした。聖書そのものがもちろん良いですが、聖書の内容を手っ取り早く知るにはいいでしょう)


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(日本でもお馴染みのフランス民謡のシャンソン版です。他にシャンソンの曲がいっぱい入ってます)

世界史要旨把握17中世ヨーロッパの変容(8)封建社会の衰退

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今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行

P126~P127(8行目)「封建社会の衰退」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history

 

冒頭文

14世紀に入ると、西ヨーロッパの封建社会の仕組みはしだいに衰退に向かった。

「14世紀に入ると」とあるので、この単元の前の時代は13世紀です。
13世紀は、十字軍の終わりです。十字軍は失敗したな、と人々が知る頃です。
十字軍の主力メンバーだったのは、諸侯や騎士です。みな自費で参加していました。
この後どうなるかは、想像がつきますね。

「衰退に向かった」とあるので、前の時代は封建社会の成立・隆盛です。

 

本文要旨の把握⇒歴史的思考

固有名詞が極端に少ない単元です。
歴史が好きな人はだいたい固有名詞が好きなので、こういうところは飛ばしがちです。
しかし固有名詞はその時代だけの存在で、他の時代への影響はまったくありません。
抽象的な言葉は現代も含めどの時代にも通用するので、思考が大いに広がります。

 

第1段落(荘園の変容)

(冒頭文)14世紀 西ヨーロッパ 封建社会 衰退
貨幣 経済 領主 農民 生産物 地代
経済的
黒死病 流行
荘園 向上 体制

「14世紀、西ヨーロッパの封建社会が衰退した。貨幣経済となり、領主・農民の地代問題は生産物から貨幣にシフトした。黒死病の流行もあり農民は向上し、荘園体制は揺らいだ」

ここは抽象語が多いので、作文に苦労します。教科書の内容を参考にして、何とか語と語を繋げられました。

*「西ヨーロッパ」

前の単元で東ヨーロッパの話があり、そのときこの14世紀頃の話も出てきました。
ということで、その頃、西ヨーロッパでは?という話の振り方です。

*「貨幣経済

経済用語は難しいです。
経済とは何かというと、人の物欲をどうやって満たすかという仕組みです。

人にはいろいろな欲望があります。本能的な欲望と、社会的な欲望です。
その社会的な欲望の最たるものが物欲で、人は物の充実(家の中に物がいっぱい)による生活の向上を目指します。
そこで人は互いに、自分が必要なものと不要なものを交換し合うことになります。これが物々交換であり、売買です。
異なる物同士の価値の比較は難しいので、分かりやすい基準として貴金属価格を設定します。物Aは金塊10キログラム、物Bは金粒10個とかですね。この貴金属が貨幣です。
なお貴金属でなく、ぺらぺらの紙でもいいのです。国家が正式に認めて信用がある紙なら、貴金属の代わりになります。これが紙幣です。

物々交換や売買が盛んになればなるほど、経済は発展します。
中世封建社会の時代は、皆農村に閉じこもったため物々交換や売買が衰えました。
封建社会が崩れ人が移動を始めると、物々交換や売買が盛んになります。

*「領主」「農民」「地代」「生産物」「貨幣」

領主と農民の地代問題が中世社会を揺るがすというのは、どういう理由でしょうか?

まず、地代というのは、中世領主が農民を「外敵から守ってやる、土地で農業もやらせてやるからその代わりに差し出せ」と求める対価です。
その対価には、生産物や貨幣のほかに、労働があります。労働は文字通り「身体で払え」です。この労働地代がある頃、農民は事実上の奴隷でした(農奴)。

しかし、中には親切な領主もいて「農地で収穫した物でもいいよ」と言ってくれたりします。
すると農民は身体を領主に支配されることが薄らいで、少し自由になります。

そして十字軍などで人の移動が激しくなり売買が盛んになると、貨幣が復活します。
領主も貨幣があると便利だと気づき、農民に「地代は貨幣で納めろ」と言うようになります。
すると農民は農産物を自分で都市に運んで(つまり移動自由)売ったり、自分の技術で加工して付加価値を付けて高価に売ったりします。特に後者だと地代は少ない割合になります。
こうして農民は自由になり、実力を蓄え、社会・政治的な意欲も発生します。

人が人を支配する形が、身体支配からだんだん離れていくというのが時代の流れですね。
基本的人権思想も、発端は「国家から逮捕されない自由」「人身の自由」でした。

*「黒死病」「流行」

感染症のため多数の農民が亡くなったので、領主が農民を大事にし始めたというのもあります。

この1346~53年にヨーロッパ全域で黒死病が大流行し、死者は少なくとも7500万人(最大想定2億人)に達しヨーロッパ人口の3分の1以上が失われました。
流行前に不足気味だった食料が、流行後には安価で手に入るようになり生き残った農民を安心にしたということです。

世界の歴史上、感染症での死者は、戦争による死者を大きく上回っています。
戦争では、第二次世界大戦で5000万人死亡、第一次世界大戦で900万人死亡というのがあります。
それに対し感染症では、この黒死病のほか、天然痘で合計3億人死亡、スペイン風邪(インフルエンザ)で5000万人死亡というのもあり、日本では第二次世界大戦前は結核が国民病(亡国病と呼ばれた)でした。

日本の歴史を変えた病気としては、奈良時代の藤四子政権崩壊による政治混迷、平安時代藤原道隆・道兼の相次ぐ死と道長以後の摂関政治確立、江戸時代の紀州藩主兄弟の相次ぐ死による8代将軍吉宗登場というのが、印象深いです。

*「向上」

農民生活が向上、つまり奴隷でなくなり少なくとも人身が自由になるということです。

 

第2・3段落(農民の成長)

イギリス フランス 農奴 束縛 自営
制 一揆
乱 ワット=タイラー

農奴が束縛から解放され、自営化した。領主に対し一揆や乱をおこす農民もいた」

農奴を解放するかどうかは領主の一時的な気まぐれによることが多く、解放したが思い直して農奴に戻すというのも多かったので農民が反発したわけです。
以前の農民なら反発する意欲も力もなかったのですが、この頃の農民は意欲に燃え実力を蓄えていました。

*「農奴」「束縛」

「奴」隷とか、束縛とか、人の身体を無理やり拘束するような語ばかりだったのが、解放されます。

ただ確かに身体への物理的な束縛はなくなっていきますが、精神的な束縛(この会社で働かないと食っていけない、ブラックでも従わざるを得ない)は現代もなお続いていますね。
近現代の資本主義は、そういう労働者の弱みに付け込んでいるといってもいいです。
労働環境を改善すれば労働意欲が向上し利益が上がるはずなのですが、環境改善には費用がかかるのでその出費を惜しんでいるのです。

*「自営」

農民の農地経営の歴史上、重要な言葉です。

農民自身が耕作し、その利益も全部受け取る(農地を所有している)、これが自営農民です。
農民自身が耕作するけど、その利益の何%か(多くは半分以上)を他人に支払う必要がある(農地の所有権はその他人=地主=が持っている。農民は農地を借りている)のが、小作農民です。
地主が農民にタダ働きさせているときは、その農民は農奴であり、地主は領主です。
農民が物として売り買いされているときは、奴隷です。

なお国家や教会への納税は、別にあります。
自営農民は、国家への納税と教会税だけです。
中世農奴の場合は、領主に半分以上持っていかれ、タダ働きさせられ、教会に10%を持っていかれ、さらに国王や領主から兵士として挑発されてと散々です。

小作農民も、地主に払う分と国家に納税する分が二重にあるので、生活が苦しいです。
(現代の賃貸住宅暮らしも同様ですね。ただ一戸建て住宅暮らしも固定資産税というのがあって・・・(笑))

*「一揆「乱」

同じように書いていますが、少し意味が違います。
一揆は地代や税の額を下げてくれという経済的要求で、乱は政治の変革を目指すものです。乱が成功すると、クーデター(政権交代)になったり革命(国家体制変革)になったりします。

ただ最初は一揆や抗議活動だったのが、発展して乱になるというのも多かったのです。
ワット=タイラーの乱も、最初は「その税金おかしいよ?」という抗議が暴動にエスカレートしやがて官庁を襲ったという状況です。

こういうふうにデモや抗議が暴徒化して反乱や革命に発展するというのはよくあることなので、政府はデモや政府批判意見への規制を特に強く考えます。
現在ロシアや中国の政府が国民による政府批判を一切禁じているのが、典型例です。

(イギリスのバッキンガム宮殿の衛兵)

第4段落(国王が時代の主人公に)

市民 中央集権 政治 権力
国王 諸侯
騎士

「都市民は中央集権的な政治権力を望み、国王を支持した。諸侯や騎士は、国王の官僚になった」

*「市民」

市民というのは、都市の住民です。何の仕事をしている人たちでしょうか?
農業は、村の農民がやっています。
つまり都市民は、商業や手工業をやっています。

十字軍などで商業・貿易が盛んになり、貨幣も復活しました。
しかし商人も手工業者も、さらなる利益を求めます。できれば安定した収入が欲しい。

国内にさまざまな領主の領地があると、領地を通るたびに通行税を払わされたり、領主によっては立入禁止のところもあります。
諸侯同士の戦争も絶えないので、交通が阻害されます。
安定した貿易交易のためには、国内統一や戦争のない状態が欠かせません。それをやってくれそうな政治権力者が誰かいないだろうか?

*「中央」

出ました。思考が広がる言葉の典型例です。
中央の対照語は、周辺・地方ですね。

諸侯の領地が国内にいっぱいという状態は、つまり各地方分立状態です。
中央とは、具体的には伝統権威者が存在する都市、つまり首都です。

中世ヨーロッパ各国が領主たちの分立状態といっても、伝統的な権威者は存在していました。
神聖ローマ皇帝を代々受け継ぐドイツ国王や、フランク王国の系譜を継承するフランス国王、征服者の軍事力を受け継ぐイングランド国王らです。
これらの者がリアルの実力をつけてくれれば、都市民にとっては鬼に金棒です。

*「国王」「諸侯」「騎士」

ただ力関係は、各国で違いがありました。

イングランドやフランスは国王がしだいに力を強め、諸侯を圧倒していきます。
しかしドイツでは諸侯の力が強すぎて、とうとう国王じたいがいなくなります。

この状況は、日本の戦国大名に似ています。
大名の力が強いところでは国内の有力武将たちを家臣化し、成長します。
家臣化するときに使った方法が、武将本人を大名の城下町に住まわせ、領地から引き離すものでした。
これは、のちの江戸幕府による諸大名の参勤交代と同じ目的です。幕府は大名を完全に家臣化せず、1年交替で領地に帰れるようにしました。妻子は江戸に定住させ人質にしましたが。
明治政府が初期に廃藩置県をやったときに、諸大名(知藩事)を東京に集めて皇室を守る義務のある貴族(華族)にしたというのも似てますね。

(フランス国王の宮殿の庭)

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(コナン君が持っている謎の仮面。さあ何でしょう?)

世界史要旨把握16中世ヨーロッパの変容(7)中世の東欧

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今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行

P124~P125「スラヴ人と周辺諸民族の自立」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history

従来はビザンツ帝国オスマン帝国がメインの中世東欧記述だったのが、諸民族の動向にページを割くようになっています。
東欧で国民国家の成立が遅れた(つまり近代化が遅れ、それが現代もなお尾を引いている)原因が、諸民族を支配する2つの帝国の、古代以来20世紀に至るまでの存続にあったからです。

 

冒頭文

カルパティア山脈の北方を原住地とするスラヴ人は、6世紀になると、・・・

この単元の前の時代は、5世紀以前です。
5世紀というと、ゲルマン人の大移動が始まってからおよそ百年後のこと。
6世紀になるとゲルマン人の活動が弱くなり、代わりにノルマン人の活動が激しくなります。それに刺激されたように東欧の諸民族が動き始めます。

     (カルパティア山脈は、ピンク色で囲った辺り)

 

本文の要旨把握⇒歴史的思考

第1段落(冒頭まとめ)

スラヴ人 6世紀 ビザンツ帝国 地域
スラヴ人 南スラヴ人 ギリシア正教 西スラヴ人 西欧 ローマ=カトリック 影響を受ける 自立 建国

繰り返し出てくる言葉を使い作文すると
スラヴ人が、6世紀以降ビザンツ帝国の北方に広がった。ビザンツや西欧の影響を受けながら、各地で自立し建国した」
という要旨が出来上がります。

世界史の展開というのは古今東西パターンがだいたい決まっていて、まず巨大帝国が現れ、次にその帝国の影響を受けた諸民族の国家が周辺に出現します。
東アジアがその典型で、まず中国に帝国王朝が現れ、次の時代に中国の周辺のモンゴル・朝鮮・日本・東南アジアなどに諸国ができていきます。
日本史だと、漢・南北朝大和朝廷、唐→奈良・平安時代、宋・元→鎌倉時代、明→室町時代、清→江戸・明治時代という展開です。

*「地域」

では、歴史的思考が広がるような語をピックアップし、思考を広げましょう。
地域という言葉は、思考が広がるでしょうか?
地方と言い換えてもいいです。

地域・地方は、人の文化の種類の数だけあります。
言語が異なる諸地域のほか、方言が異なる諸地域もあります。
地域ごとに特色ある祭りが行われたり、同じ宗教でも際立つ特徴が違ったりします。
地域という言葉は、多様性という意味を含んでいます。

近年は残念なことに、どこの駅前に行ってもロータリー・駅前ビル・コンビニ・高層マンションとワンパターンなことが多いです。
いわゆるランドマークが、駅前の高層タワーマンションの数の違いとかですね。
車窓風景の動画を見ても、都市部ではえんえんと同じ風景が広がり続けています。旅情がいっさい湧きません(笑)
こんな状態でいいのかと思いますが、皆同じでいいのではという意見もありそうです。

*「東」「南」「西」

これは文化の違いというより、たまたまその方角に行き分布した結果です。
その行った先で近隣の文化に触れて、影響を受けたということです。

地図のバルカン半島と書いてあるその南が、ギリシアです。
ギリシア文化は、古代最高峰クラスの文化です。ローマでさえ、かないません。

現代日本の民主政治も、ギリシア由来です。
英語のもとになったのは、ギリシア語です。ABC、αβΓと文字が違い、読み方もエービーシー、アルファベータガンマと違いますが、構造は同じものです。
4年に1度のオリンピック競技大会も、古代ギリシア由来ですね。

現代日本でさえ大きな影響を受けています。
近隣の諸民族が、非常に大きな影響を受けたことが分かります。

*「自立」

これは、動詞です。
もともと誰かに支配されていて、やがて自分の足で立ちあがり独立するという意味です。つまり誰かに支配されていたというのが前提の語です。その誰かを特定する必要があります。

この中世東欧で支配的な存在だったのが、ビザンツ帝国です。
その支配が前の単元で衰退したので、そこから自立し建国した国々ということです。
ロシアの場合は初めから自立していたのですが、途中でモンゴルに征服され200年以上かかって何とか独立していきました。

ただこの諸国自立状態も、16世紀以降のオスマン帝国の出現によりついえます。
ロシアは何とか支配を免れ、成長していきます。
その後は、このロシアとオスマン帝国との抗争、オスマン帝国支配下の諸民族地域の奪い合いという構図ができあがり第一次世界大戦へとつながります。

 

第2・3段落(東スラヴ人

ドニエプル川 ロシア ノヴゴロド キエフ公国
10世紀 ウラディミル1世
改宗
農奴 大土地所有 諸侯
モンゴル キプチャク=ハン国 支配
15世紀 モスクワ モスクワ大公国 イヴァン3世
ローマ 皇帝
イヴァン4世

「ロシアは、ギリシア正教に改宗し、農奴制と大土地所有の諸侯を基礎にして成長した。その後モンゴル支配を受けたのち独立し、ローマ皇帝称号を得た」

*「改宗」

古代ローマ人もそう、西欧のゲルマン人もそう、近世初頭のフランス国王もそうですが、ヨーロッパの歴史では、その地域の多数の住民が信仰する宗教に政治権力者自身が改宗して支持を得るというのが、ワンパターン化しています。
その教義を心から信じて入信したのではなく、便宜的なものです。

宗教の威力というのはかなり強いのですね。
現代でも宗教対立が激しくて戦争の原因になることが多いのですが、なぜ宗教が異なるだけでそこまで憎み合うのでしょうか?お互いに寛容になれないのでしょうか?
無宗教な(日本だけで通用する物言いです。国際的に言ったら信用できない人間だと判断されます)私には、ちょっとわかりませんね。

*「農奴

中世西欧の真似をしましたね。
互いに連絡や影響があったかどうかは不明ですが、行商人などから話には聞いていたことでしょう。
たとえ知らなくても、人を効率よく働かせる最大の方法は奴隷的なこき使いです。
このやり方は、古今東西変わりません。

奴隷的な使い方にも2種類あって、使い倒して体を壊したら捨ててしまうパターンと、生かさず殺さず搾り尽くすパターンとがあります。
日本の江戸時代の年貢取り立てや現代のブラック企業は、後者のパターンです。
この農奴制も、農民を物扱いしない点で後者のパターンです。

*「大土地所有」

土地制度というと必ず出てくる、広大な土地を所有する大地主や豪族です。その多くは、自分では耕作しません。他人に働かせてその成果だけを奪い取ります。

ちなみに自分で耕作して土地を所有する農民を、自作農といいます。

土地をたくさん所有している人は、つまり大金持ちです。そういう人は政治権力を握るのが普通で、古今東西の各国の政権者のほとんどが大土地所有者です。
だからどんな政治体制かを学ぶときに、同時にその政権者はどれだけ土地を所有しているかを調べればその政治状況が分かります。

明治時代の政権者である伊藤博文は、大土地所有者つまり大地主ではありません。
当時の地主層は、帝国議会衆議院議員(政党員)でした。
だから伊藤は、政党と手を結びました。
その後の日本の政治は、官僚が政党(現代も議員の多くが地主層)や企業(大地主や財産家)と手を結ぶパターンが普通になります。

*「ローマ皇帝

15世紀にもなって古代ローマ皇帝の称号を得る???
とつぜん古代の遺物が出てきて戸惑いますが、ヨーロッパ人にとって古代ローマ古代ギリシアと共に、憧れの永遠の存在です。

ドイツの諸侯たちは、神聖ローマ皇帝位(当時は「神聖」という名は付いておらず、本物のローマ皇帝です)を巡って激しく抗争しました。
この神聖ローマ皇帝の打倒を国の宿願としたのがフランスで、ブルボン朝ルイ14世は激しく戦争をしかけ、ナポレオンはついに皇帝を打倒し自ら皇帝になります。
(皇帝を倒し自ら皇帝になるとは矛盾していますね。正確には、皇帝になってから皇帝を倒しています)
20世紀のイタリアのファシストムッソリーニも「古代ローマ帝国を復興するんだ」と宣言して政権を取っています。

皇帝になればヨーロッパを支配する名分ができるというのが、ヨーロッパ人の歴史的な意識でした。

 

第4段落(南スラヴ人

バルカン半島 セルビア 12世紀 独立 14世紀 バルカン半島北部
クロアティア
オスマン帝国

バルカン半島でも、12~14世紀に独立する諸国があった。しかしやがて帝国に征服される」

独立している期間は短かったですが、まあ200年も持てば歴史に名前が残ります。
名前が残っているのに、その歴史を長い間日本の歴史教育は軽視してきましたが。

 

第5段落(西スラヴ人

ポーランド人 チェック人 
繁栄
バルト リトアニア人 ドイツ騎士団 連合 リトアニアポーランド王国 16世紀
ベーメン 神聖ローマ帝国

「西スラヴの諸国家が、騎士団に対抗して連合王国を作るなどして繁栄した。その後、帝国に併合された国もあった」

固有名詞が覚えにくいなら、除外すればいいのです。定期テストには出るでしょうが、大学入試にはそのものズバリはほとんど出ません。

ポーランドの古都クラクフ(当時の首都)

*「騎士団」

騎士というのは、中世西欧の下級貴族です。
11世紀に始まった十字軍と連動して、ドイツの騎士たちが組織を作りドイツの東つまりポーランドの開発と占領を企てました。

この頃にはポーランドにはスラヴ人が住んでいて国家を作りつつあり、このドイツ騎士を利用して建国したりモンゴル軍と戦ったりしています。
やがてドイツ騎士の力が強くなると、ポーランド国家は対抗するため北のリトアニアと連合したというわけです。
ドイツ騎士団ポーランドに降伏し、その臣下になりました。

この騎士団がのちポーランドから再び自立し、プロイセン王国を作ります。
そのプロイセンが、19世紀にドイツ全土を支配することに成功しドイツ第2帝国を建設します。(第1帝国は神聖ローマ帝国。ちなみにナチドイツを第3帝国とも呼ぶ)

(騎士の姿。武勇だけでなく、キリスト教精神がその矜持だった)

*「連合」

国同士が統一して一国にならない状態です。
統一政府を作る場合と、作らない場合があります。
このポーランドリトアニア連合は、スペインと同じパターンの王同士の結婚から始まったのですが、けっきょく統一政府を作りつつ(同君)互いに独立しているという連合状態になりました。
(スペインは、カスティリヤ女王とアラゴン王が結婚し、のち統一王国になった)

まあその時その時のお国の事情があるので、やり方はいろいろです。

 

第6段落(非スラヴ系諸民族)

ブルガール人 7世紀 ブルガリア帝国
マジャール人 黒海 ドナウ川 ハンガリー王国

「非スラブ系諸民族も各地に建国したが、のちオスマン帝国に征服された」

これくらいでいいでしょう。

 

広告(騎士団の活動がよくわかる物語です。十字架の紋章のある盾が特徴的ですね)


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感想(1件)

(たった30日間でマスターできるのでしょうか?まあ要旨だけなら・・・)