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歴史的思考力を一過性でなく継続的に身につける方法

世界史要旨把握14中世ヨーロッパの変容(5)中世都市の自治

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今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行

P122(1行目~20行目)「都市の自治と市民たち」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history

 

冒頭文

自治都市のなかで・・・

この単元の時期は、前の単元と同じです。
ここでは、都市内部の状況の解説です。

 

本文要旨の把握

繰り返し出てくる言葉が、そのまま要旨になります。

第1段落(はじめに)

自治 都市 市民 自由 荘園 農奴

自治都市では、市民が比較的自由になった。そこで荘園の農奴が都市に脱出する事態も出てきた」

その自由は、具体的には、納税の軽減や、移動の自由、領主による人身支配から免れることです。
あくまで都市や商人が皇帝や国王、諸侯と争ったり認められたりして自由や自治を認められた結果です。

都市に住んだからといって、即自由になるわけではありません。
都市に脱出した農奴に対しては、当然領主からの追っ手が差し向けられます。
1年と1日経過すれば自由になるといいますが、実際は最初から領主が農奴の脱出を認めた場合だけでしょう。

*「農奴

この「奴」という言葉には、土地に縛り付けられて移動の自由が無いということと、もう1つ、領主からの人身支配を受けるということです。

純粋な奴隷は売買の対象になるのに対し、農奴は売買の対象にならないという違いがあります。
しかし人身支配を受けることは同じです。
具体的には、領主直営地での労働(タダ働き)や、女子を領主の館勤めに召し出すことなどです。
後者は当然、セクハラ行為が常にありました。ドラキュラ伝説(冷酷な領主が村から女子を多数集めセクハラの限りを尽くしたあげくむざんにもころしてしまう)は、こういう領主の非人道的な態度を表す物語です。
農奴は、自由を常に求めていました。

(ドイツの町並み)

 

第2段落(都市内部の社会)

ギルド 組合
市政 独占 商人
手工業者 同職 ツンフト 争う
組合員 親方
職人
規制
経済

「商人が組合を作り、市政を独占した。これに対し手工業者も同職で組合を作り争い、市政に参加していく。ただ組合員は商人や親方であり、職人など配下の者たちには自由はなかった。市政経済も規制された」

一個人の力では、領主や皇帝・国王に対抗できません。
利害が一致する者たちが集まり団結して事に当たるというのは、自然の流れでしょう。

 

思考が広がる言葉を抽出し、歴史的思考を行う

組合 独占 商人 手工業者 同職 親方 規制

どういう語が思考が広がる言葉かというと、対照語を容易に連想可能な語(東西南北など方角)のほかに、極端な内容を表している語や、複数のものを前提とした語が挙げられます。
「合」「同」は、複数のものが合うとか、同じくするという意味がありますね。
「独」「規制」は、一方的な雰囲気がします。
あとは、主語が不明な動詞(日本文では主語を省略することが多いことから)や、大げさな表現である形容詞がそうです。

なお繰り返し出てくる言葉以外でも、教科書の本文内に出てくるこのような言葉を見つけ出し思考を広げることは可能です。
ただ本文の要旨から外れたところで思考を広げるのは、初期学習段階ではお勧めしません。趣味としての学習や研究としての学習なら、かまわないのですが。
日本各地で行われている歴史的思考の授業や教科書に掲載されている問いの中には、本文の要旨から外れたものが多々見受けられます。脱線授業的な位置づけのいわゆるよもやま話ならいいのですが。

*「商人」と「手工業者」

本文要旨中に現れた2つの語。このように、連想や発想を広げなくても本文中に対比するような形で現れることもあります。

この2者は、対立した存在でしょうか?
経済産業のプロセスを考えてください。

商業は、農産物や鉱産物を販売します。
手工業は、その農産物や鉱産物を加工します。加工すると、物に付加価値が付きます。

ジャガイモのままと、マッシュポテトにした状態と比べると、後者のほうが人件費や光熱費が加わって高価です。
人は普通安価なほうを買うので、この場合は全員前者を買いますか?
後者を買う人も少なくないでしょう。買ってきて調理不要ですぐに食べられるのですから。「調理不要」「すぐに」が、付加価値です。

つまり商人と手工業者は対立する存在ではなく、持ちつ持たれつ関係です。
手工業者組合が闘争を挑み、市政参加を勝ち取るのもそういう関係だからです。

*「組合」

言葉は、複数の人たちが集まって何かをやり合うという意味です。喧嘩をする場合は、取っ組み合いといいます。
団結して何らかの組織を作ったり取り決めをしたりするのが、一般的なものです。
現代でも、商店組合とか、農業協同組合とか、労働組合とか、いろいろあります。

そうやって多数の人が団結するのは、一人ではできないことがあるからです。
労働組合が、いい例です。
一人でいくら交渉したところで、会社は給料を上げたり福利厚生を充実したりしてくれません。
しかし多数の社員が団結して交渉したりストライキをすれば、会社は折れてくれます。
(まあそれでも折れてくれないブラック企業はたくさんありますが)

中世ヨーロッパ都市の場合は、封建領主に対抗するための団結です。
手工業者の場合は、大商人の市政独占に対抗する目的のほうが大きいです。

*「同職」

手工業者の組合は、靴屋・服仕立て屋・鞍製造など職種別になっていました。
これは仕事が同じ種類のほうが、互いに話も合うし専門的な面で共通の認識もあるので団結しやすいからです。

*「親方」

親の反対語は、子です。ここでは親方の下で働いている職人や徒弟を指します。
組合員は、親方だけです。
職人は一人前なのに、組合員として認められません。ギルドが特権階層の組織だと分かるでしょう。

あとこれには、もう一つの意味がこもっています。
親が、子の全てについて支配権を持っているという意味です。
奴隷的な扱いまではいきませんが、それに近いブラック企業的な働きを強います。
親方の命令(仕事以外についても)に従わないとクビとか、日常茶飯事です。
自由を夢見て都市に逃れても、商人や親方にこき使われる現実がありました。

*「独占」「規制」

ギルドの都市内での役割は、ギルドに加盟している商人や親方が商品や製品の価格・販路を決めてしまうことです。
組合に加盟しているところは大手が多いので、大手が価格を決めると中小商人・親方はそれに従わざるを得ません。
これを、市場の独占といいます。

これは、本来の物品価格の決まり方ではありません。
本来は、売れ行きの良いものは高価になり、売れ行きの悪いものは安価になる。
安価になると売れやすくなり、高価になると売れにくくなるというその動きです。
この仕組みを、市場競争による決まる価格といいます。

独占状態になると、売れ行きの悪い物(つまり多くは品質が悪い物)なのに高価で売られ、しかも消費者はそれを強制的に買わされるという状況になります。
この状況が続くと、品質向上の取り組み(技術発展)がされなくなり新しいものが生まれなくなります。
消費が停滞します。景気は安定しますが、大儲けにはなりません。

現代経済も同じで、例えば配達業といえばかつては郵便局の独占状態でした。
その後、規制緩和がなされ、いろいろな宅急便会社が参入しています。
それでもまだ数社にとどまっています。(これを少数の企業が独占=寡占状態といいます)

 

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世界史要旨把握13中世ヨーロッパの変容(4)中世都市の成立

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今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行

P121(6行目~ラスト)「中世都市の成立」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history

 

冒頭文

中世都市は、司教座都市などが核になってできたもので、はじめ封建領主の保護と支配を受けていたが・・・

中世前半の都市の置かれた状況の説明があるので、その後の中世後期の話がこの単元です。「できた・・・、はじめ・・・ていた」という言葉で読み解きます。

もうここで、内容の推測が可能です。
「領主の保護と支配を受けていたが」、つまりその保護と支配が無くなったか、薄らいだのではという予想ができます。
こういう言葉の読解を丁寧にしておくと、定期テストや大学入試の時の問題読解力につながります。

 

本文の要旨を把握

繰り返し出てくる言葉をチェックすると

第1段落(はじめに)

中世 都市 領主 支配 自由 自治
自治)権 獲得

「中世都市は、しだいに領主の支配からの自由や自治をめざし、自治権を獲得する都市も出現した」

都市といえば商人の商業活動なのに、いきなり政治的な話になっています。
これは、どういうことでしょうか?

<思考が広がる言葉の抽出>

中世 都市 自由 自治 権(利) 獲得

*「中世」

古代と近代の間ですね。こういう時代区分が一般的になっています。

ただ一概にまったく別の内容とも言い切れません。
例えば、古代社会の指標として奴隷制度がありますが、この中世ヨーロッパでも奴隷は各方面で普通に存在していました。
東ヨーロッパには古代ローマ帝国がそのまま存続していましたし、西ヨーロッパの農奴も人身売買はされませんがその他の面では事実上の奴隷というべきものでした。

政治的には西ヨーロッパは、大きく様変わりしました。
古代はローマ皇帝とその宮廷につかえる貴族だったのが、中世は、ゲルマン人諸王国が成立したものの国王の力が弱く諸侯や騎士などの封建領主や、ローマ=カトリック教会の教皇大司教・司教が力を持っていました。
中世後期になると、その政治的な内容が変わっていきます。

(ドイツ各地に残る城。中世封建領主の居城)

*「都市」

の対照語は農村、つまり農業です。
つまり都市の特色は、農産物を売る商業活動をする商人です。

商人の目的は、たっぷり売って利益をなるべくたくさん獲得することです。
できれば出た利益を全部自分のものにしたいのですが、領主の保護と支配を受けていると見返りとして何%かは差し出さないといけません。
3%や10%ならいいのですが、30%とか50%とかは酷いです。(ちなみに江戸時代の年貢税率は40%のち50%)
ということで、商人は利益を領主に奪われないようにするため領主からの独立を志向します。

*「自由」「権利」「獲得」

という言葉は、元は誰かからの支配や束縛を受けていて、その境遇から脱出した状態を指します。
つまり自由になるためには、支配からの脱出という行動が必要です。

普通に考えると、この支配からの脱出は非常に難しいことです。支配する側に利益があった場合は当然、阻止してきます。
そのため脱出するには、支配側に対抗するだけのリアルの実力が必要です。
商人の場合は、溜め込んだ利益そのものが大きな力になります。
当時は、軍事は傭兵が一般的でした。財力イコール軍事力でした。

もちろん一都市の一商人単独では、封建領主に対抗できません。
利害が一致する都市内の商人たちが、団結する必要があります。また諸都市が団結する必要もあります。

*「自治

これは、現代の地方自治を想起すれば理解できます。それは、国家の下で制限付きで自由に政治できるというものです。
完全な自由を獲得できないとき、玉虫色決着(互いに利用し合う持ちつ持たれつ関係のほうが良い場合もある)で領主・都市双方が妥協した結果です。
具体的には、保護の見返りの%を減らすなどです。

神聖ローマ皇帝ドイツ国王)が特許した帝国自由都市というのは、この自治都市の一種です。

 

第2段落(内容)

国土地理院地図(ヨーロッパ全体地図)

北イタリア 諸(都市)
ドイツ 諸侯 皇帝 地位
ロンバルディア同盟 ハンザ同盟
リューベック 盟主 北ヨーロッパ商業圏 政治
国王

「諸都市の中には諸侯から独立するため、皇帝に直属し地位を認められるものもあった。諸都市の多くは有力都市を盟主として同盟を結び、政治的な存在となった。北ヨーロッパハンザ同盟が有名である。国王との結びつきを強める都市もあった」

商人たちが、あの手この手で自由や自治を獲得しようと動きます。
国や地域によって、そのやり方に個性が出ます。
ドイツには神聖ローマ皇帝という強力な存在が居ました。北イタリアは諸国の争奪の地となり特定の支配者が居ませんでした。イギリスやフランスは国王の力が次第に強まっていました。

<思考が広がる言葉を抽出>

諸都市 諸侯 皇帝 盟主 国王

*「諸(都市・侯)」

なにげに「諸」という語が付いています。
一都市では、強大な封建領主に対抗できません。しかも領主は一人でなく、多数います。(諸侯の侯は領主のこと)

ただいきなり諸都市が同盟を結んだわけではありません。
初めは都市内の商人たち、都市を超えた商人たちの同盟から始まり、次に都市同士の同盟に発展していきました。

(ドイツの街並み)

*「皇帝」

ドイツ皇帝は、はじめドイツ北部のザクセン領主(東フランク王国を継承したドイツ国王家)が代々選ばれていました。
のちには、ドイツの南東のオーストリア領主が代々継承します。
いずれにしても現代のドイツ国土全体を支配していませんでした。

しかし神聖ローマ皇帝は、キリスト教を保護する世俗最高君主という位置づけです。
ドイツ国王が務めると、国王の名目上の臣下であるドイツ諸侯は、国王兼皇帝の命令に従うことになります。

諸都市が皇帝に保護を求めその直属となるというのは、ドイツ諸侯と対等の地位に立つことになります。
皇帝直属というのも2種類あって、皇帝に完全に支配される都市と、皇帝から自治権を認められる都市があります。

*「同盟」「盟主」

同盟というと、皆が横並びでというイメージが強いと思います。
しかし実際には、最有力都市が呼びかけて中心となって約束を結ぶパターンが多かったのです。

また近現代の軍事同盟と同様なイメージがあり、独自の軍隊や事務組織を持っていたと誤解されます。
しかし諸都市は「一緒にやろう」とゆるい約束をしただけで、問題が起こるたびにその都度その都度互いに協力して事に当たったというだけです。

*「国王」

中世の諸国王は、伝統的な権威はあったものの、実力が無く諸侯の一人にすぎませんでした。(諸国の事情にもよる。国王が比較的強力な国もあった)
だから、商人が保護をわざわざ求める対象にならなかったのです。
のち国王の力が強まると、商人が国王に接近することになります。

 

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世界史要旨把握12中世ヨーロッパの変容(3)商業の発展

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今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行

P119(14行目)~P121(4行目)「商業の発展」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history

 

冒頭段落で時代を特定する

封建社会が安定して農業生産が増大した結果・・・また、ムスリム商人やノルマン人の商業活動によって・・・さらに十字軍の影響で・・・11~12世紀には、このように・・・発展した。

冒頭の段落の中に、時代を特定する内容が入っています。
キーワードは、「した結果」「によって」「の影響で」。
この語の前に、前の時代あるいは同時期の出来事が書かれています。

前2者は前の時代の出来事の結果であり、後1者は同時期です。
この単元の具体的な年代も書かれていて、時代の特定は十分に行えます。

歴史的思考の重要な内容に、因果関係の理解があります。冒頭文ないし冒頭段落を丁寧に把握することで、因果関係が明確になります。

 

本文中に繰り返し出てくる言葉により要旨を把握する⇒歴史的思考を広げる

例によって、固有名詞や歴史用語はいったん除外して考えます。
なお歴史用語(漢字熟語のことも多い)でも分解可能なものは、分解して考えます。

第1段落(冒頭文)

生産 活発 都市 商業 発達
ムスリム商人)
交通 毛織物 発展 遠隔地 貿易

「(農産物の)生産が活発になり、都市と商業が発達し始めた。交通が整い、毛織物業の発展を背景に遠隔地との貿易が盛んになった」

農産物という補足は、商業が発達という部分から容易に連想できます。
連想できなかったという人は、もう一度歴史的思考の基礎を学びなおしてください。
歴史的思考は、その言葉(ここでは都市・商業)の対照語(農村・農業)を連想することにより容易に可能です。

「毛織物」という新しい言葉が出てきました。
これは、農業と商業をつなぐもの(農産物に付加価値を与えるもの)、つまり工業生産物です。(当時は手工業)
この工業の発展が、産業(農業工業商業)を大いに発展させていきます。

<歴史的思考が広がる言葉を抽出>

都市 商業 ムスリム商人 毛織物 遠隔地 貿易

*「都市」

の対照語は、農村。ここでは、封建領主が支配する閉鎖的な農村です。
都市が発展し始めたとはいえ、社会の大多数は封建農村でした。
つまり都市の発展は一部のことに過ぎません。都市や商業を過大評価しないようにしてください。このことは、後のルネサンスの限界問題に関わってきます。

*「商業」

の対照語は、農業。
農業生産が発展しないと、商業も発展しません。売るものが無いのですから。
だから農業が未発達な時代は、宝飾品や人身売買が主流でした。

また各農村で自給自足が普通になると、貨幣が不要になり消えます。
商業というと現代では物と貨幣(電子マネーも含めて)のやり取りですが、物々交換で十分に取引可能です。
ただ異なる物同士の価値比較は難しいので、貨幣が使われるのです。

*「ムスリム商人」

つまりイスラーム教徒の商人です。
イスラーム教の歴史的な対照語は、キリスト教です。

ムスリム商人の活躍情報は、キリスト教徒の商人たちを大いに悔しがらせたでしょう。商売がたきに加えて、宗教的な対抗心が燃え上がります。
イタリアなどヨーロッパ各地の商人が、活路を大西洋、そしてアメリカ大陸に求めていく素地がここにあります。

*「毛織物」

は、繊維工業生産物の一つです。
原料は、動物の毛。この中世ヨーロッパでは、羊の毛(ウール)になります。
羊は、ヨーロッパの封建農村で飼育されていました。

織物には、他に、絹織物や綿織物があります。
絹(シルク)は、畑で栽培した桑の葉を蚕が食べ口から吐いた糸が原料です。
綿(コットン)は、畑で栽培した綿花の実の中の繊維が原料です。
絹は、主に中国や日本など東アジアが特産です。
綿は、世界各地で生産されます。インドが特に優れ、この後の時代に生産が大発展します。

*「遠隔地」

近隣と貿易すると、運搬費用や買い付け費用が安上がりです。
ただお互い似たような品物ばかりで、大した儲けになりません。

遠隔地の品物だと、近隣にはない珍しい品物がたくさんあります。
仕入れに費用はかかりますが、それを補って余りあるほどに高価で売れます。
とくに香辛料が、ヨーロッパ人を熱狂させます。

*「貿易」

これは現代では考えつかない連想ですが、当時は、貿易といえば海賊と連想するのが普通でした。
海賊は、実は普通に商業や貿易を行っていました。
海賊だからといって、年がら年じゅう人をころしまくったり奪いまくっていたわけではありません。
殺しや奪いは一時的には利益になりますが、継続的な利益にはつながりません。生かして取引することで、継続的な利益が手に入ります。取引がうまくいかないときに、海賊をすれば済みます。

これは、東アジアの倭寇も同様です。
本来は商人ですが、海賊もやるという状態でした。

 

第2段落(地中海商業圏)

国土地理院地図より「ヨーロッパ全体地図」

地中海 商業圏
ヴェネツィア ジェノヴァ ピサ イタリア 東方 アジア 香辛料 奢侈品 もたらされる
ミラノ フィレンツェ 内陸

「地中海商業圏が形成された。東方の香辛料など奢侈品の取引がメインである。海港都市だけでなく、内陸都市も栄えた」

<歴史的思考が広がる言葉を抽出>

地中海 ヴェネツィア ジェノヴァ 東方 香辛料 奢侈品 内陸

*「地中海」

は、ヨーロッパの南に広がる広大な海です。
南にアフリカ、東にアジアがあり、古代ギリシア・ローマ時代以来の海上貿易路です。
沿岸地域は、雨量が少なく乾燥ぎみですが、気候が温暖で住むにはとても快適です。

この時代は、西アジアから西欧のシチリアイタリア半島の南にある島)やイベリア半島(後のスペイン・ポルトガルの場所)にイスラーム勢力が進出し、東のビザンツ帝国と勢力を二分していました。
ヨーロッパの商人は、この2勢力と取引することで交易をしていました。

*「ヴェネツィア」「ジェノヴァ

この2都市は、イタリアの港町の2大ライバルです。
イタリア半島のながぐつ形の東西の根元にあるのがこの2都市で、西がジェノヴァ、東がヴェネツィアです。
ジェノヴァの港は南西方向に開かれ、ヴェネツィアの港は南東方向に開かれています。

ジェノヴァ出身のコロンブスが西に向かったのは、地球球体説を信じたほかに、こういう方角志向もあったようです。
ヴェネツィアは東方貿易の一大都市で、ジェノヴァはこれに対抗する気持ちが大きかったのです。

ヴェネツィア

国土地理院地図よりイタリア半島拡大図

*「東方」

の反対語は、西方です。
ヨーロッパにとって東方とは、アジアのことです。

それでは、西は?
当時の地理知識では、ヨーロッパの西の海の果ては世界の終わりで、その先は大きな崖になっていて海水が奈落の底に落ちているという考えでした。

実は古代のギリシア人は地球が球体だと知っていましたが、その知識は埋もれてしまっていました。
また北欧のアイスランド人は西に大きな陸(ヴィンランドと呼ばれていた)があることを知っていて、移住する人もいました。
この西方の知識が再び発掘された後、ヨーロッパ人は西に向かうことになります。

*「香辛料」

人は生きるために食べますが、その食に楽しみを見出すのは普通のことです。
食の楽しみは、美食です。
美味しさのもとは、辛みです。辛いものは体温を上げるので、健康にも良いのです。

中世ヨーロッパにもたらされた香辛料の代表が、コショウです。
美味しさを一度知ってしまったヨーロッパ人は、熱狂的にコショウを求めます。どんなに高価でも手に入れようとしたので、商人は巨万の富を得ることになりました。

*「奢侈品」

いわゆるぜいたく品です。
商品には、比較的安価な生活必需品のほか、比較的高価な趣味品やぜいたく品があります。
商人がもうける利益のメインは、後者に由来します。後者の売れ行きは景気の指標として使われます。

何が奢侈品かというのは時代によって違っていて、中世当時は奢侈品だった香辛料も、現代では栽培・加工技術が発達し日常品となっています。

*「内陸」

地中海貿易というと、普通は港町の繁栄を考えますね。
しかし貿易・商業といえば、農業・農村を連想しようといっています。

農村は各地にあります。港町に至る道は近くありません。
すると、一地域の農産物をいったんどこかに集めて、そこから港町に送るということが発想できます。
この物資を集める内陸の場所(道が交わる交通の要地)に、行き交う人目当てに店ができて、都市ができます。
ここは、港から入ってきた遠隔地の特産物の集積所にもなります。

 

第3段落(北ヨーロッパ商業圏)

北海 バルト海 北ヨーロッパ
リューベック ハンブルク ブレーメン ドイツ ガン ブリュージュ フランドル地方
ロンドン
2大 シャンパーニュ地方
ニュルンベルク アウクスブルク

「ヨーロッパの北の海沿いにも、商業圏ができた。地中海・北ヨーロッパの2大商業圏をつなぐ地点にも、都市ができた」

ヨーロッパに近い海は、南の地中海だけではありません。
西方は未開発ですが、北方に北海やバルト海という海があります。
北に行き過ぎると、冬に港が凍ってしまう地域もあります。

北の海というと冷涼なイメージですが、実は意外と暖かい気候です。温暖気候というより、温和な気候というべきかもしれません。
西の大西洋を北上する大暖流があり、それが北海や北極海近くまで届いています。
このヨーロッパ地域は西風が卓越していて、暖かい海の上を吹くことからヨーロッパに暖かい空気が流入しやすい状況になっています。

北海に面するイギリスのロンドンは北緯51度です。日本の最北端である稚内は北緯45度。
私の調べでは、稚内の平均気温は、夏は16~22度、冬はー8~-3度。ロンドンは、夏は15~23度、冬は4~9度。緯度が高いロンドンのほうが、暖かいのです。
なお札幌と同じ緯度に、南欧の冬でも温暖なヴェネツィアがあります。

(ロンドンのタワーブリッジ。この上流にロンドン橋がある)

<歴史的思考が広がる言葉を抽出>

北 2大

*「北」

北にいる人は、常に南を意識します。
農村に閉じこもっている状態だと意識はしないですが、ひとたび交流が生まれると南北間交流が起こります。
温和といっても冬が寒いのは同じなので、北の人はさらに温暖な南方向を求めます。

また北と南とでは、気温差から農産物も種類が異なってきます。
互いに交易をするのは当然でしょう。

*「2つの」「大きな」

2つの大都市が少し離れている位置にあると、その間の地域にも都市が生まれることが多いです。
東京と大阪の間に、名古屋が生まれたのと同じです。(昔は、東国へ下るときの要地)
港町と農村をつなぐ内陸都市と同様の状況で、交易する商品をいったん集積する場所です。

中世ヨーロッパのシャンパーニュに巨大な市が立ったというのも、この2大商業圏と東方の特産品がここにいったん集積した結果です。

これは地理や歴史と話が離れますが、2大勢力があると、必ず第3勢力が現れます。
中国の三国時代は、北の魏、南の呉に対し、蜀が現れました。
第二次世界大戦後は、アメリカ資本主義陣営とソ連社会主義陣営にプラス、アジア・アフリカの第3勢力が現れました。
3というのは不安定なようで、1対1の対立を緩和するという役割もあります。(勝ち負けで決まる所を、逆に複雑化してしまう面もありますが)

 

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緊急特集

最近、某アーティストの曲のプロモーションビデオが取り上げた世界史的な題材が物議をかもしています。
そこで今回は、臨時に特集を組みたいと思います。
ただ歴史へのせまり方は、私の従来の手法そのままです。
できればお手元に下記教科書をご用意いただければいいのですが、持っていなくても十分に理解可能だと思います。

私の歴史学習へのアプローチ方法は
1 冒頭文で単元の時代や歴史的位置を特定する
2 本文に繰り返し出てくる言葉により要旨を把握する
3 その要旨文の中から歴史的思考が広がる言葉を抽出し思考を広げる
というものです。
この歴史的思考を日常的に習慣的に行っていると、今回のような問題は発生を防ぐことができたと思います。
歴史をただの暗記ごとのように考えてはいけません。歴史は、日本も含めて世界にリアルに生きる人々のバックボーンだからです。

 

今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行

P159(8行目)~P161(12行目)ヨーロッパのアメリカ「発見」と征服

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history

 

冒頭文で時代や歴史的位置を特定する

ポルトガルに後れを取った・・・は・・・

冒頭文はありません。いきなり内容の説明が始まります。
しかし、前の単元の内容がちらりと触れられてはいます。
前の単元は、ポルトガル人が先に世界各地に探検の旅に出たということです。

ポルトガル人がアフリカ南端に初到達したのは1488年、インドに海路で初到達したのは1498年です。
いっぽうスペインが後援するコロンブス船団がアメリカ付近に初到達したのが、1492年です。
こうしてみると、ほとんど同時ですね。後れを取ったというのは言葉のあやか、説明の順序の問題でしょう。

それに実はこれ以前に既にヨーロッパ人は、海路でアフリカやインド、アメリカに到達しています。それは、個々に行ったという意味です。
この年号入りの到達は、国家が正式に支援した最初というものです。国家が支援すると、その後も継続し、かつ大規模になります。

 

本文に繰り返し出てくる言葉で要旨を把握する

ここは4つの段落で構成されていて、第1段落は探検者たちの行動、第2・3・4段落はその後のヨーロッパ人たちの行った先での所業についてです。

かつての教科書ではこの第1段落が大きく強調され、第2・3・4段落の内容はわずかしか書かれていませんでした。
ヨーロッパ人が行った先の諸地域は、この時代のヨーロッパ人によって大きな変容(破壊というべきか)をさせられ、その諸地域の現代にも多大な深刻な影響を及ぼしていることから、記述が増えたのです。

第1段落

スペイン 大西洋 アジア コロンブス 計画 カリブ海 アメリカ 大陸 上陸 インド 住民 インディオ 「発見」 探検 アメリゴ=ヴェスプッチ 世界 イギリス 王 支援 カボット 北米 フランス カルティエ ポルトガル カブラル ブラジル ヨーロッパ人 太平洋 到達 航路 マゼラン 船隊 南米

第2段落

中南米 征服者 先住民 財宝 奪う コルテス メキシコ アステカ王国

第3段落

王室 エンコミンダ制 銀 支配 もちこまれ 疫病 入植 土地 黒人 奴隷 運び込まれ

第4段落

植民地 大農園 フィリピン マニラ ガレオン船 交易

要旨「ヨーロッパ人が大西洋横断計画を実行し、住民のいる大陸を「発見」し上陸した。以降、諸国王の支援によりヨーロッパ船隊が北米・南米・太平洋に航路を開いた。中南米では、征服者たちが先住民の財宝を奪いつくした。
ヨーロッパ人たちは諸国王室の支援を受け、先住民に銀を採掘させたり、入植し土地を開発したりした。持ち込まれた疫病で先住民が減ると、黒人奴隷が運び込まれた。
こうしてアメリカ大陸は、ヨーロッパ人が経営する大農園の植民地となった。
世界各地を巡る海上交易が盛んになった」

学習する内容が非常に多い時、要旨がどこにあるかを把握することはとても重要です。ただ要旨を把握することは大事ですが、これだけでは歴史を真に学習したことにはなりません。
歴史的思考が必要です。

 

本文要旨から思考が広がるような言葉を抽出し思考を広げる

大西洋 計画 大陸 発見 探検者 王室 北米 太平洋 船隊 南米 中南米 征服者 先住民 奪う 銀 支配 もちこむ 疫病 入植者 黒人 奴隷 運び込む 植民地 大農園 交易 

抽象語のほとんど全部ですね(笑)
なお固有名詞や歴史用語は、思考が広がる言葉ではありません。この時代に固有なものだからです。
ここに抽出した言葉は、いずれも現代に通じる言葉であり、さらにその対照語や反対語、比較語などを連想可能な言葉です。
歴史的思考というのは、全国各地の教師や生徒や教育学者たちが思い悩むような難しい事柄ではなく、こういう言葉たちから自然思考的に広がるとても容易な思いなのです。

*「大西洋」「太平洋」

大西洋といえば、太平洋、そしてインド洋を連想します。
前2者は本文にあります。それではインド洋は?
この前の単元で、ポルトガル人がインドに至るインド洋航路を開発しています。

北極海は?南氷洋は?
前者は氷に覆われ、後者は酷い嵐の海です。
なお近年の温暖化により、北極海が新しい航路として開発される日が近づいています。

*「計画」

コロンブスアメリカへの航海を「行きたい行こう行け」というような衝動的な思いつきで実行しなかったのは、その後このヨーロッパ人の世界各地進出が継続的に行われていく結果をもたらし世界史を大きく変えることになりました。
なぜ計画的に行ったか、それはもちろんコロンブス個人だけでは渡航資金が不足していたからです。

それなら航海技術では最先端を行くイタリアの港町の商人に援助を求めればいいのに、なぜ国王に援助を求めたのでしょうか?
コロンブスはこの時、スペインだけでなく、ポルトガルイングランド、フランスの諸国王にもその渡航計画を提出しています。
当時は中世後期で、十字軍の後の時期です。十字軍時代までは各国王の力は弱く、諸侯や騎士や商人が実力を持っていました。諸侯や騎士・商人主導の十字軍の失敗の結果、相対的に国王の力が強くなっていたのです。

なおスペイン支援は偶然の結果で、フランス支援が濃厚だった模様です。
もしフランス主導だったら、果たして日本にキリスト教が伝わっていたかどうか、伝わっていなければ江戸時代の鎖国はなかったのでは?と妄想が広がります(笑)。

*「大陸」

そして行った先が、陸ではなく大陸だったということ。これは非常に大きなことです。
もし狭い陸であれば、ヨーロッパ人はそれほど熱狂的にならなかったでしょう。
広大な面積を持つ大陸を目にしたヨーロッパ人は、その激しい欲望をあからさまにしていきます。

*「先住民」

そして先住民がそこにはもちろんいて、生活していたわけです。

「先」住民といっても、その先住民の先祖がもし他地域から移住してきた人たちならその前に住んでいた人を虐殺し土地を奪っていたのかもしれず。
そういうことを考えると際限が無くなりますが、とりあえず少なくともこの時期のヨーロッパ人が行った場所に先に住んでいた人を先住民と位置付けるしかないでしょう。

*「発見」

という言葉は間違いである、先住民がいたのだから発見ではないというのが今は一般的な認識になっています。
ただ、発見という言葉自体が「その人にとっては」という意味を含んでいます。
例えばニュートン万有引力の法則を発見したといわれますが、それはニュートンが学会で発表したからそういわれるのであって、彼以前にその法則を既に誰かが発見したが発表していないという可能性があるわけです。

つまりこの発見という言葉もそうですが、動詞を見た時は必ず「誰が?」という主語を確定する必要があるのです。

前述のとおりヨーロッパ人は既にアメリカ大陸に到達して、実際に住んでいました。
だからコロンブスの発見は、ヨーロッパ人が発見したのではありません。
ヨーロッパ人が既にアメリカに住んでいるという事実は少数にしか知られていず、少なくとも国王レベルでは知らなかったのであり、つまり発見したのは国王、国家的レベルということになります。
コロンブス本人が上記事実(ヴィンランド・サガ)を知っていたかどうかは不明。

(発見のモニュメント。リスボンポルトガル王子エンリケが先頭)

*「探検者」「王(室)」「征服者」「先住民」「入植者」「黒人」

いろいろな人たちが出てきます。
それぞれの立ち位置を、正確にとらえてください。
探検者・征服者・入植者のバックには、全て諸国の王(室)が存在します。

先住民は、生活を破壊され土地を奪われ命も奪われます。
そして黒人が奴隷として連れてこられます。

*「北米」「南米」「中南米

征服者が文明を滅ぼし財宝を奪った代表が、中南米です。

それでは、北米、南米はどうだったでしょうか?
同様でした。
征服者は他の地域でも同じく、先住民の生活を破壊し土地を奪い命を奪いました。
北米では先住民側からの抵抗が激しく、かろうじて少数が生きながらえていました。

*「征服者」「先住民」「奪う」「支配」「もちこむ」「運び込む」

ヨーロッパ人は、先住民からありとあらゆるものを奪いつくしました。
なぜこんな暴挙をしたと思いますか。

原因は、いくつかあります。それらが重なったのです。

1つめは、当時の中世ヨーロッパがとても貧しかったこと。
農業生産が安定してきたとはいえ、当時の中国やインド、イスラーム勢力の諸国の繁栄に比べると、非常に劣っていました。
つまり、ハングリーだったのです。
ハングリー精神といいますが、生易しいものではありません。人は普通、ハングリー状態を解消する方向に激しく行動します。
当時のヨーロッパ人は、欲望(とくに物欲)のかたまりでした。

2つめは、キリスト教
具体的には、イスラーム教への強い対抗心と敵がい心です。
スペインの国土は、中世の初期にイスラーム勢力に征服されていました。これを奪回するのに、実に700年もかかりました。
この時期は、ちょうどスペイン人がイスラーム勢力をイベリア半島から(もちろん武力で戦って)追い出した頃です。
イスラーム教への強い対抗心もあって、キリスト教勢力を拡大しようという宗教的な動機が強く高まっていました。

そして3つめは、航海先に武力を携帯したこと。
これは、国王の支援を受けたから当然といえば当然です。
とくにスペインの場合は武力でイスラーム勢力を追い出し国を統一したので、武力で勝ち取るんだという意識が強かったのです。
そして人というものは、手に武器を持っていると必ずそれを使います。手っ取り早く物を獲得する(つまり奪う)のに、便利だからです。

暴力的なことをしたのはコロンブスだけではありません。多数がしました。
中には友好的な態度を取る者もいましたが、少数でした。
欲望を持つ者が武器を持って誰の監視もないやりたい放題の場所に行くと、当然、こういうことになります。

(北米の先住民のトーテムポール)

*「銀」

も貴金属ですが、もっと貴重と考えられるのが金です。
人の物欲は、黄金を求めます。
黄金の国ジパングの情報はヨーロッパに蔓延していました。

アメリカ大陸に到達したヨーロッパ人たちは、みな金を求めました。
しかし金は、希少です。
そのころ銀山がアメリカ大陸で発見されました。
金ほどでありませんが、銀も貴重です。ヨーロッパ人は銀に夢中になりました。

金とか銀とかは、人の欲望の象徴です。
そういうものをオリンピックのメダルの名称にしていることに違和感はありませんか?
1位メダル、2位メダルとしないで、なぜ金メダル、銀メダルなのでしょうか?

*「疫病」

この当時ヨーロッパには、コレラ・インフルエンザ・マラリア・はしか・ペスト・天然痘結核などがまんえんしていました。
他人と交流すると、これらの感染症は当然交流先にうつります。
この時ヨーロッパ人にはある程度の免疫があり、アメリカ大陸の住民には免疫がありませんでした。先住民激減の原因は虐殺だけではなかったのです。

アメリカ大陸由来の疫病として梅毒が有名ですが、本当にアメリカ大陸由来かどうかは不明です。

*「入植(者)」「植民地」

入植というと、土を入れた鉢に苗木を植えるというイメージがあります。
つまり、普通は未開の地を開拓するために人が移住するという意味です。

当時も「黄金が産出する未開の地(フロンティア)を手に入れよう」というイメージが強くヨーロッパ人を熱狂させたのですが、実際は違っていました。
その地には先に住民が住んで生活していたのです。その住民を追い出したりころしたりして、土地を奪ったのでした。

したがって世界史的には入植というと、開拓というより、先住民の土地を奪って植民地を作るという意味に使うことが普通です。

*「黒人」「奴隷」「運び込む」「大農園」

現代アメリカでもまだまだ差別が残っている黒人問題の発端が、ここにあります。

なぜ「黒人」かというと、身体能力が優れていて労働力として最適だったことが理由です。現代スポーツでの黒人の活躍ぶりを見れば、分かりますね。

さて「奴隷」問題です。
コロンブス奴隷貿易を行ったからどうこうという論調がありますが、実は、当時のヨーロッパ人にとって「奴隷を使うのは普通」でした。

一つには、ヨーロッパの東半分の存続していたビザンツ帝国。この国は、古代ローマ帝国そのものです。つまり奴隷制度が、普通でした。
このため西欧(とくにイタリア港町)の商人は、そこらじゅうから奴隷になるような人を調達してはビザンツ帝国に売るということをやっていました。ヨーロッパは貧しくて売るものが少なかったという事情もあります。

また、中世農村社会は農民を土地に縛り付け領主がその身柄を支配するもので、農民は農奴という状態でした。
国内的にも、国王・諸侯・騎士らが人を奴隷的に使うことは、普通のことでした。
この状態でアメリカ大陸に進出したのですから、当然奴隷使役も伴いました。

この人身売買の習慣は、日本でも第二次世界大戦の頃まではごく普通のことでした。

*「交易」

どこと、どこの交易ですか?
交易が盛んになった、と学習するだけでは足りません。何人と何人があるいはどことどこが、どんな商品を取引したかを整理しておく必要があります。

ここではヨーロッパ人が基準なので、ヨーロッパ人の物欲を考えます。
金・銀・絹織物・陶磁器・香辛料・綿織物・砂糖・コーヒー・人身などですね。
金・銀・砂糖・コーヒーは、アメリカ大陸の産物。
絹織物・陶磁器は、中国の産物。
香辛料は、東南アジアの産物。
綿織物は、インドの産物。

これらを安く仕入れ、高く売るにはどうすればいいですか?
農産物や鉱産物を安く手に入れるには、人を一日一食の粗末な食事で福利厚生ゼロでタダ働きさせるのが手っ取り早いです。つまり奴隷を使う。
中国やインドはこの時代まだ強力な国家なので、ヨーロッパ人は太刀打ちできません。

 

まとめ

時事的に話題になっていたので、臨時に取り上げました。
本文要旨の把握といった表面的な学習だけでは理解が足りず、応用的な歴史的思考も必要であることが分かったと思います。

応用といっても、それらはみな常識の範囲の理解です。抽象的な語が、その思考の手がかりとなります。

 

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世界史要旨把握11中世ヨーロッパの変容(2)十字軍

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今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行

P118(6行目)~P119(13行目)「十字軍とその影響」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history

 

冒頭文で時代を特定する

11~13世紀の西ヨーロッパは・・・

前の単元とのつながりは、ここに記されています。
前の単元で出てくる年号は、10世紀、1077年、1122年、13世紀の4つです。
つまりこの単元(十字軍)は、前の単元(教皇権威の高まり)と同じ時期です。
こうして並べると、内容が連動しているのがよく分かりますね。

 

単元の段落構成を読解する

まるで国語ですが、教科書を読み解くには国語力が必要です。
論理的な文章を理解するノウハウは、私が普段このブログで行っているその作業をやればいいのです。
冒頭文の把握、段落構成、繰り返し出てくる言葉のチェックとそれを使っての作文。
これは、歴史科目だけでなく、この世のありとあらゆる論理的な文章の理解に通じます。国語や英語、理科系など他の科目でも行ってください。

この単元は、第1段落でこの時期の西ヨーロッパ各地に起こった新しい動きの説明、第2・3段落で十字軍の説明、第4段落で十字軍の影響という構成です。
十字軍の背景と影響の説明に、2つの段落、併せて17行も費やしています。
この単元だけで歴史的な論述答案ができます。

 

本文要旨の把握と歴史的思考

歴史的思考は今までは本文要旨の把握の後に書いていましたが、今回からはここに併せて書きます。
歴史的思考は応用に当たるわけですが、基本と応用を遠ざけるのは良くないからです。

 

第1段落(新しい動き)

<繰り返し出てくる言葉>

三 犂(すき)農業 生産 増大 拡大 運動(エルベ)川 東方 植民     回復(レコンキスタ)巡礼 大(十字)軍

「三サイクル制の犂農業により生産が増大し、人が拡大運動を始めた。川を渡り東方を植民し、失地回復をめざし、巡礼を盛んにし、大規模な軍を起こした」

中世というと農村に引きこもりというイメージですが、これを見ると意外に活発に活動しています。
まあ人間は動く生き物なので、引きこもって動かないというのは逆に不自然です。
引きこもらされている場合、人間は普通「動きたい、外へ出たい」と渇望します。

引きこもった理由がノルマン人などの外敵だったので、その脅威が去れば引きこもる必要もなくなりました。
ノルマン人の活動が終わった時期が、10~11世紀です。

<歴史的思考が広がる言葉を抽出>

三 犂 農業 増大 拡大 運動 川 東方 植民 回復 巡礼 大 軍

て、ほとんど全部じゃないですか・・・(笑)
この段落は固有名詞が少なく抽象語が多い場所なので、こうなります。

*「三」

三圃制とかいいますが、その3つって何と何と何だろうか?という疑問が、普通出ますよね。
これは土地を3つに区分し、3年交代で農耕するやり方です。
秋に耕す(小麦)ところと、春に耕す(大麦・豆)ところと、1年じゅうお休み(放牧)のところです。

作物を栽培すると、土地の栄養分をどんどん吸収します。
毎年毎年やると、土地の栄養が枯れてしまいます。
お休みというのは、その間に日本でいうとレンゲソウを植えたりして栄養を蓄えさせるという意味です。ここではヒツジやヤギを放し飼いしそのフンで土地を肥やします。

なお土地をこのように3つに分けることができたのは、領主の強力な指導によるものです。というか、3つに分けるため領主の指導が求められ、それが原因で領主の権力が強まったのが封建性・荘園制の成立の真相のようです。

*「犂(すき)」

は、農具の一種です。土を掘り起こし土中の栄養分を表に出させる目的です。
「牛」の字が入っていますね。牛にひかせていました。(今の耕うん機)
初期は木製でしたが、北欧など土質が固い所では鉄製農具が普及しました。

農具には、他にどんなものがありますか?
今は日本人の多数が農民でなくなったので農業が身近でなくなり、農具といってもすぐには思い浮かばなくなってしまいましたね。

犂と同じ音で鋤(すき)もあります。
目的は同じ耕すもので、柄付きのスコップです。垂直に立てて足でググっと押したりします。

鍬(くわ)というのもあります。これも掘り起こし目的です。
フォーク形のものと、四角形の板状のものとがあります。

ガーデニングの基本道具。小さな農具です)

*「農業」

といえば、商業は?というふうに瞬時に連想できるようになりたいものです。
この時期は商業は再び発展に向かいます。詳しくは後述。

*「増(大)」「拡(大)」「運動」「植(民)」「回復」「巡(礼)」

アクティブな動詞がいっぱい、まさに躍動していますね。
人は動く生き物といいます。人本来の動きですね。

ただじっとしている人を動かすには、強い動機が必要です。
農業生産が余った捨てるのはもったいない売りに行こうという動機も、その一つです。
上の言葉の中に巡礼があります。宗教的な動機ですね。聖地を一度でいいから見たい行きたい。一度行くと、その後何度も行き来します。
回復というのは、奪われた土地を取り戻そうというものです。これはかなり強い動機といえます。
植民。広大な原野を切り開こうという動機です。自分が先頭を切るんだという冒険的なフロンティア精神です。

*「川」

を渡る、という行動は、歴史のいろいろな場面で出てきます。カエサルのローマ進軍、ゲルマン人大移動、この時期のエルベ川以東への移動。
広々とした幅を持ち橋が無い川を渡るのは時間と労力がかかるので、あえて渡ろうとする気持ちが起きません。だから川は国境に用いられます。
何かしらの強い動機があって、初めて人は川を渡ります。

山もその点で、似ています。
ただ山には、容易に越えられる山と、そうでない山とがあります。
内村鑑三の研究(『地人論』)によれば、南北に連なる山は標高が高くても容易に越える、東西に連なる山は標高が低くても越えることが困難ということです。
人は、東西移動は容易に行うが、南北移動は難しいというわけですね。
北半球の場合、北は寒いし、南は暑いです。こういうのが影響しているのでしょうか。

*「東方」

西ヨーロッパの人々は、古来、東の方角に強い憧れを抱いてきました。

東には、優れたオリエント文明、その先にはインド、中国文明があります。この時期より少し後に紹介された「黄金の国ジパング」というのもあります。
それに加え、地中海東岸にはキリスト教の聖地イェルサレムがあります。
また東のビザンツ帝国の、古代以来継続している繁栄も聞いていたことでしょう。

「憧れの地にいつか行ってみたい」という動機は、相当大きなものでした。
ただ個人の力では、到底行ける距離ではありません。

*「大」「軍」

そういう時に、教会や諸国家が主導し東方に対する大規模な軍事行動を起こします。
ヴェネツィアなどの港町が船を提供してくれました。
「行きたい」「行けるのか?」「行けるんだ」「行こう!」
東方に強い憧れを抱いていた西欧人は、大いに刺激されました。

といっても一介の農民には無理です。旅費や食料は自己負担ですから。
参加したのは、土地を所有する領主である諸侯や騎士たちや教会の司祭でした。領主の直属農民は、参加させられたでしょうが。

 

第2・3段落(十字軍)

<繰り返し出てくる言葉>

(地中海)聖地(イェルサレム)(セルジューク朝)(ビザンツ帝国)皇帝 教皇
(クレルモン)おこす
諸侯 騎士(第1回十字)軍
イスラーム勢力)(アイユーブ朝)(サラーフ=アッディーン)再び 奪われた(神聖ローマ)国王(第3回十字)軍
(第4回十字)軍(ヴェネツィア)目的(コンスタンティノープル)(ラテン帝国)
ドイツ騎士団

「聖地を回復しよう!皇帝の要請を受け、教皇が提唱した。諸侯や騎士の軍が出動し聖地回復に成功。しかし再び奪われたので、諸国王主導の軍が出動した。その後出動した軍は目的を失い、何やっとるんだ?」

固有名詞がいっぱい出てきて混乱しがちですが、固有名詞を除外して見つめるとすっきり理解できます。
軍を率いる層が、変化していることに気づきましょう。
国王といえば中世初期には弱くて諸侯に負けていたのが、この時期は軍を率いていますね。要するに成長し力をつけてきたのです。
軍を指揮すると組織の指揮系統が確立するので、それを利用して平和時の政治も行えます。徳川家光の将軍就任時の「全国大名は軍を率いて集まれ」が連想されます。

(十字架。キリストが人類の罪を救った時の姿だと信じられている)

<歴史的思考が広がる言葉を抽出>

聖地 皇帝 教皇 軍をおこす 諸侯 騎士 国王 目的

*「軍をおこす」「皇帝」「教皇」「諸侯」「騎士」「国王」

動詞と主語がみごとに出そろっています。
ここで動詞を細かく分析すると、軍を起こすことを唱えた人と、リアルに軍を指揮して出動した人に分かれます。
それぞれを時系列順に整理すれば、より分かります。

教皇は軍を起こすことを提唱しましたが、リアルに指揮をしていません。
リアルに指揮をしたのは、神聖ローマ皇帝や諸国王、諸侯や騎士です。

ここで注目するべきは、諸国王が指揮するとはどういう状態かということです。
諸国王は、国の象徴的存在です。力が弱くても、そうです。
リアルに動かすのは、臣下の諸侯や騎士です。
諸侯や騎士はまず第1回第2回で自ら指揮し出動し、次に第3回で国王の指揮で出動しと、負担が大きいです。
諸国王は軍を指揮することで名声を獲得し、リアルには諸侯や騎士に戦わせ、自らの力は温存しています。

第4回、諸国王のいない状態、つまり諸侯と騎士だけの時におかしな方向に行ってしまいました。

*「聖地」「目的」

本来の目的は聖地回復ですが、西欧人の心の中には東方への強い憧れと、引きこもり生活への不満(欲望)が溜まった状態があります。
そういう人たちが武器を手にして行った先では、当然、欲望に任せた行動が起きます。
行った先で人を拉致したり財産を奪ったりとめちゃくちゃするのが、普通でした。

それでなくても軍隊が行った先では現代もそうですが、普通にこういう残虐行為があります。残虐行為が無いほうが逆に珍しいのです。

 

第4段落(十字軍の影響)

失敗 影響を与えた
遠征 権威

「十字軍遠征は失敗した。その影響は、各権威に対し大きく与えられた」

これだけの大規模な遠征事業です。必ず成功すると思われていたことでしょう。
しかし、失敗しました。
失敗すると、事業の責任者は面目丸つぶれ、権威失墜です。
資金を出した人は、大損です。人命も多く失われました。
事業にあまり関わらなかった人は、やり過ごせたので以後の発展に希望を持ちます。
とにかく、歴史を大きく変えることになります。

*「失敗」「遠征」「大」

どうやれば成功していたと思いますか?
ここにも言葉が出ている通り失敗の原因は、「遠すぎたこと」と「大規模すぎたこと」があるでしょう。

聖地回復の現実的な手立ては、ビザンツ帝国に援軍を送り共に戦うというのがあります。ビザンツ皇帝から助けを求められているのですから、可能性はありました。
これならビザンツで休息をとり英気を養う時間が十分にあります。
しかしそれだと功績や利得はビザンツにいったん帰すことになり、欲望に基づく丸儲けというのはできません。

この大規模というのは、聖地回復の現実的な方策のほかに、宗教的熱狂に由来する多数の民衆の独自参加というのもあったことです。
「聖地回復」という非常に分かりやすいスローガンのため、キリスト教が日常生活に浸透していた西欧社会に大きなブームを巻き起こしてしまいました。リアルに食費や旅費もないのに数万人の農民が無理に出発し、ほとんどが帰ってこなかったのです。

 

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世界史要旨把握10中世ヨーロッパの変容(1)教会権威の高まり

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今回は

世界史の前回内容(中世ヨーロッパの成立)の続きに当たります。

 

世界史教科書の比較

今回は、高校世界史(世界史探究)の2つの教科書の比較を行いながら、やります。

高校の世界史教科書といっても、様々な出版社から様々な教科書が発行されています。各学校共、どの教科書を選ぶか苦労するところです。
そこで今回は、同じ出版社から発行されている2種類の教科書を比較検討したいと思います。

参考教科書は、
山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行
P117~P118(5行目)「教会の権威」
および
同じ出版社発行の教科書『世界史探究 高校世界史』2022年検定済23年発行
P101(1行目~27行目)「教会の権威」
https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history

この2つの教科書は単元の分量から分かるとおり、『詳説』が詳細で分量が多く、『高校』が簡略で分量が少ないという特徴があります。
そのため従来は、『高校』は難関大学入試向けには内容が不足し、在校生徒の主な進学先が難関大学以外の場合に多く採用されていました。
私も、『高校』で何度も授業をしています。

しかし近年は、難関大学入試対策としてこの『高校』を採用するところも増えてきています。
ざっと見たところ、以前より内容が詳しくなっていて、分量は確かに少ないですが要点をきっちりとまとめ上げているという印象です。
探究のポイントである問いも、『詳説』に比べると充実しているようです(的確かどうかは問題ありですが)。
ちなみに『詳説』の問いは、例えば<この事件の原因は何だったのか?この事件の影響は?>といった、歴史的思考というより本文の要旨把握に近いものがほとんどで、問いをわざわざ載せる必要が無いというものです。

今回は、両教科書を比較し、本文要旨の把握や歴史的思考の展開に差が出るかどうかを検証していきたいと思います。

 

冒頭文で時代を特定する

『高校』

中世西ヨーロッパ社会において、・・・

『詳説』

中世の西ヨーロッパでは、王権が貧弱で統一的権力になれなかったのに対し、・・・

歴史学習での単元の冒頭文というのは、これから学習する内容の時代を特定してその位置づけを明確にするほかに、前に学習した内容の復習・想起も兼ねていて、とても重要な箇所です。

まず時代の特定ですが、両教科書共に中世西ヨーロッパ時代であることが明確です。

ただ今から学習する内容の位置づけという点では、『詳説』がより丁寧に前回までに学習したゲルマン人大移動後の中世ヨーロッパの主に政治的状況を指し示し、それに対し今回の内容であるローマ=カトリック教会の「権威」というタイトル名で教会が優位に立つことをより強く示唆しています。
『高校』のほうもタイトル名の「権威」で宗教の力の増大を匂わせているのですが、『詳説』のほうがより丁寧で親切な説明といえます。

『詳説』は独学・独習教材として優秀で、『高校』は教師による適切な指導(タイトル名の説明)が必要ということが分かります。

 

本文要旨の把握

繰り返し出てくる言葉をピックアップし、その語群で作文をするとそれが要旨になります。

第1段落(教会組織と、皇帝や国王)

『高校』

教会 権威 
教皇 大司教 修道院長 
皇帝 国王 世俗権力 聖職者 任命 聖職 売買

「教会の権威が確立した。教皇のもと大司教修道院長がいる聖職者組織が作られた。皇帝や国王ら世俗権力は聖職者の任命を行っていたが、聖職売買が流行した」

『詳説』

(ローマ=カトリック)教会 普遍的な 権威
教皇 大司教 修道院長 司教 司祭 聖職者 階層制組織
教区 農民
皇帝 国王 世俗権力 任命

「教会が普遍的な権威を確立した。教皇のもと、大司教修道院長・司教・司祭という聖職者の階層制組織が作られた。農民は、教区に属し司祭に従った。皇帝や国王ら世俗権力が聖職者の任命を行っていた」

どちらも、最初にこの単元の概略(教会権威の確立)を示しています。

そしてまず、教会組織が整備されたことをどちらも解説します。
『詳説』のほうが、より詳しく丁寧な説明です。「階層制組織」という歴史用語もきっちりと載せています。
できればヒエラルキーというカタカナ表記も欲しかった(現代社会の理解に発展する歴史的思考の可能性)ところですが、高校段階では少し難しいかもしれません。

一般農民と教会とのつながりの説明が、『詳説』にあります。
『詳説』も『高校』も「十分の一税」のゴシック太字の語が載っているので、『詳説』は少し詳しすぎると思います。

皇帝や国王による聖職任命はどちらも言及していますが、『高校』では聖職売買に踏み込んで教会とのより大きな対立を匂わせています。
『詳説』では、この点を次の段落に持ち越しています。
対立をより早く想起させる点では、『高校』のほうが優れています。

ということで、第1段落に関しては『高校』が普通で、『詳説』は少し難しいです。
ただ超(笑)難関大学入試対策や歴史的思考への発展では、『詳説』のほうがいいでしょう。

 

第2段落(教会権威の高まり)

『高校』

クリュニー修道院)改革
(グレゴリウス7世)叙任権 教皇
(ドイツ)(ハインリヒ4世)闘争 
破門(カノッサ)謝罪 屈辱
(インノケンティウス3世)

「改革が起こった。教会が聖職者の叙任権を確保し教皇権の確立をめざした。ドイツ国王が反対し、闘争となった。教皇が国王を破門し、国王は教皇に屈辱の謝罪をした」

『詳説』

聖職 売買
クリュニー修道院)改革
(グレゴリウス7世)叙任権 教皇
(ドイツ)(神聖ローマ)(ハインリヒ4世)闘争
破門
カノッサ)屈辱
(インノケンティウス3世)

「聖職売買の問題も起こった。教会が改革に着手し、聖職者叙任権を確保し教皇権の確立をめざした。ドイツ国王が反対し、闘争となった。教皇は国王を破門した。国王はやむなく教皇に屈辱させられた」

 

どちらも、ほとんど同じです。
『詳説』は、教会と世俗権力の対立問題をこの段落に持ってきていますが、見映え的には前の段落にあるほうがすっきりはします。

『高校』は、皇帝が教皇に謝罪の語で、印象的な分かりやすいシーンになっています。

『詳説』には、神聖ローマという名称が要旨として(繰り返し出てくる)載せられています。
『高校』にもこの名称は書かれていますが、要旨ではありません(1回きり)。
内容的には『高校』のほうが要旨がどこにあるかが明確ですが、難関大学入試対策や歴史的思考としては『詳説』のほうが優れています。
なお時系列的には、カノッサの屈辱時のハインリヒは国王で、この後、皇帝になります。ただ国王といっても、皇帝になる可能性が大きい国王という位置づけのほうが理解は深まります。

まとめとしては、要旨把握だけなら『高校』で十分で、難関大学入試対策や歴史的思考への発展という点では『詳説』のほうが良いということになります。
このブログは歴史的思考への発展がメインテーマなので、引き続き『詳説』教科書を参照・引用していきます。

ローマ教皇庁があるバティカン市国)

 

要旨語群から深みのある言葉を抜き出し、歴史的思考をする

深みのない言葉とは、固有名詞や歴史用語のようにその単元の時代だけの意味にとどまるものです。
深みのある言葉とは、現代でも普通に使われるいわゆる抽象語・普遍語のほかに、対照語や反対語が容易に想起される語を指します。歴史的思考は、まさにこの言葉たちから生まれます。
参照する教科書は、『詳説』です。

第1段落(教会組織と、皇帝や国王)

普遍的 権威 教皇 大司教・司教 階層 農民 皇帝 国王 世俗

*「普遍的」

これは、とんでもない言葉です。
全ての人にあまねくありとあらゆる分野で共通して、という意味だからです。
中世の西ヨーロッパではローマ=カトリック教会が普遍的な権威を持っていたという書き方ですが、本当にそうでしょうか?
こういう大げさな形容詞が出てきたときは、まず疑いましょう。

本文の内容を見ると、教会ないし教皇は農民の日常生活や聖職叙任権では普遍的、リアルの世俗権力的には普遍的でないと分かります。
教会は、世俗権力の上にリアルに立つことはなかったのです。
インノケンティウス3世はイングランド王ジョンを破門したり、神聖ローマ皇帝の継承に関与したり、十字軍を提唱したりしましたが、それらは全て宗教権威の振りかざしや黒幕的な暗躍でした。世俗普遍をめざしたかもしれませんが、無理でした。

なおキリスト教の権威を強調しすぎるのも、よくありません。
近代以降ヨーロッパ勢力が世界中を侵略し植民地化したことからそのバックボーンであるキリスト教が脚光を浴び注目され、植民地化の対象となった国々のイスラーム教徒からの反発があり、現代の宗教対立になっています。
しかしそれは後のことであり、この中世の時期のキリスト教は一地域の宗教でしかないことを理解しておく必要があります。

*「権威」

から連想されるのは、それを振りかざして上位に立とうとする者や、それを利用して権力を握ろうとする者(虎の威を借りる狐)です。
権威に使われるものには、伝統権威や宗教権威のほか、数の権威もあります。

ローマ皇帝とその継承者や、日本の天皇とその子孫は、伝統権威。
キリスト教イスラーム教、仏教などの指導者は、宗教権威。
数の権威というのは、知識量が豊富な学者や、財力が豊富な実業家などです。

また争って勝利したことによる権威もあります。(勝てば官軍)

*「教皇」「世俗」

宗教指導者が皇帝のような称号を持っていると、「世俗っぽいなあ」と不審に感じることがあると思います。
これは、宗教は純粋であり、世俗は汚れている、というような一般的な先入観的なイメージを持ちやすいからです。

しかし宗教教団も人間の組織であり、食べないと生きていけません。
だから宗教を語るときそれと対比する存在を「世俗」という風な言い方をするのは、ちょっとおかしいと思います。
ここは政治権力としたほうがいいと思います。

また中世キリスト教の権威がすごいと強調しすぎると、常識的な理解が遠のきます。
政治と宗教、どちらが上か?
普通(リアルな思考)だと、政治のほうが上です。軍事力というリアルの力を伴う政治が、宗教を支配するのが普通です。
このことから、後の「屈辱」という語の意味するところがさらに分かります。

*「大司教」「司教」、「皇帝」「国王」

本文中に比較対照可能な2つの語があるので、分かりやすいです。

前者は宗教組織の役職名で、つまり各教会の責任者が司祭、一定地域の教会をまとめるのが司教、その諸地域をまとめるのが大司教というわけです。
現代日本にもカトリック教会があり、日本には3人の大司教がいます。
中世の大司教は広大な領地を持つ大領主でもあり、国家を動かせる存在でした。

中世西ヨーロッパでいう皇帝とは、神聖ローマ皇帝およびビザンツ皇帝です。
国王は、イングランド・フランス・ドイツなどの各国の君主です。
東のビザンツ帝国は皇帝が実質的に支配する国家なので、国内に国王はいません。

西の神聖ローマ皇帝は、ローマ教皇が任命するキリスト教を保護する世俗の最高君主という意味合いの名誉称号で、各国王や各諸侯の中から選ばれて就任し、リアルの権力はその本来の国王や諸侯としての力によって有ったり無かったりです。
基本的にドイツ国王が選ばれていましたが、後にはドイツの諸侯であるハプスブルク家が代々選ばれます。
カノッサの屈辱を受けたハインリヒ4世は当時はドイツ国王で、後に皇帝になります。

(日本にあるカトリック教会)

*「階層」

という言葉だけで、いろいろな階層があることが分かります。
一般的にピラミッドに例えられるのですが、塔やダンジョンに例えても良いです。
ふつうは上下関係があり、上に行くほど少人数、最終的には一人になります。
現代にあるいろいろな組織も、だいたいこの構造です。

ピラミッド型の利点は、上意下達が容易で集団行動の指揮がとりやすいところです。
つまり短所は、下の意見が上に上がらないところ、横の連携が無いところなどです。
ただ通常は、横の連携を作ります。

*「農民」

と対比される語は、商人です。中世西ヨーロッパで商人はどこにいるのでしょうか?

古代ギリシア・ローマ時代は、商業活動が盛んで商人はそこら中にいました。
この中世に入ると、ノルマン人などの外敵の侵入に備え、防備を固め人々は農村にこもらされます。商業活動は衰退しました。
西ヨーロッパでは、そういう外敵であるノルマン人やイスラーム勢力が商業・貿易を担っていました。
東のビザンツ帝国は外敵の侵入が少なかったため、古代以来の商業・貿易活動が盛んでした。

しかし領主の保護下で農業生産が安定すると、食べる量以上に生産します。
余りを、町(大司教や司教の教会を中心に形成)に売りに出します。
町が、そういう商品でにぎやかになります。
こういうふうに次第に商業が盛んになっていきます。
そして商業を一躍大発展させるきっかけとなる事件が、起こります。

農業と商業は、実は表裏一体です。
ついつい分けて考えてしまいますが、農業の余剰生産物を売りに出すというふうに考えればいいです。
それがやがて「売るために農産物を作る」、「作られた農産物を加工して付加価値を付けて売る」に変わっていきます。

 

第2段落(教会権威の高まり)

聖職・売買 改革 叙任 闘争 破門 屈辱

抽象的な語は、歴史的思考のかたまりです。
いろいろな発想や連想が次々に思い浮かびます。もちろんそういうふうに思い浮かべるためには、前提となる基本的な歴史知識や現代社会への理解が必要です。
学力が高くない生徒には歴史的思考は難しいと思われているのは、こういうことが理由です。

しかし歴史的思考は、指導する教師が適切に導けば、実はとても容易です。

*「聖職」「売買」

この両者は、相反するという印象が強いでしょう?
聖なるものを対価を出して得るとは何事か?神への冒涜だ、恥を知れ!と。
理念は確かにそうですが、教会もリアルに生きていかないといけないので物資や金銭を必要とします。お布施や寄付だけではなかなかやっていけません。
ということで有力者つまり領主の保護を受けます。

領主の保護、具体的には領主が資金を出して教会の建物を建てます。
すると教会は、誰の所有物となりますか?
資金を出した領主の所有物です。
所有権というのはこの世で最も絶対的な権利です。自分の物だから、煮るなり焼くなり壊すなり自由にできます。つまり聖職に誰を任命するか誰に売るかも、領主の自由です。
教会には、こういう弱みがあったわけですね。

教会が聖職叙任権を主張したとき領主が猛反発した理由は、これです。

*「改革」

というと「良い方向」への改革だと思い込みがちで、悪い方向への改革と知ると「改悪」だと批判することが多いようです。
だから改革とか刷新などという語を見たら、誰が?何の目的で?誰にとって良い方向の改革か?を調べる必要があります。

この中世のクリュニー修道院主導の改革とは、主体はローマ=カトリック教会、目的は直接には聖職叙任権の獲得、究極目的は世俗権力の上位に立つこと、得をする人はローマ=カトリック教会です。

ちなみに日本の江戸時代の幕政改革は、将軍や老中が、財政再建目的にやったわけで、つまり政策は増税です。農民にとっては、改悪です。
明治維新は、全国の下級武士が、欧米列強に対抗する目的で廃藩置県したわけで、政策は徴兵・増税です。これも農民の日常生活にとっては、改悪です。

*「叙任」

職への任命(職に任じることを命令する)のことです。
任命をすると、上下関係と上司部下関係が生まれます。
部下になると、上司からの理不尽な命令に従う必要があります。命令に従わなければ、クビになるか、パワハラセクハラを受けるかになります。

*「闘争」

誰と誰が争っていて、何の原因があり、どの点で対立していて、具体的にどんな喧嘩をして、どちらが勝ったか負けたか、その後のわだかまりは?仲直りしたか?再燃したか?根に持っているか?
とまあ普通の喧嘩と同じように考えればいいのです。

その他の歴史上の紛争や戦争も、全てこのように整理すればいいです。

*「破門」

何かの修行で、師匠が弟子を破門するというのがあるでしょう。
多くは、師匠が弟子の素行に怒った結果です。
破門された側は、どうでもいいと考えるならそのままサヨナラだし、どうしても師匠についていきたいと思うなら謝罪して許してもらうことになります。

中世のローマ=カトリック教会での「破門」は、以後この者を異端として扱うなので、事実上の生活破綻です。
この中世では、キリスト教と国家とは互いに持ちつ持たれつの不可欠な関係にありました。国家無くしてキリスト教無し、キリスト教無くして国家無し。
ゆえにキリスト教から破門された場合は、同時にリアルの社会生活も送れなくなります。権力者の場合は、権力を奪われるか、その権威を著しく損ね誰からも相手にされなくなります。
破門を解いてもらうには、謝罪するしかありません。

*「屈辱」

とは、上(と意識する)の者が下(上の者から見て下と意識する)の者に屈することによる恥ずかしめです。
ゆえに、必ず上の者と下の者がいます。

この場合は、ドイツ国王がローマ教皇に屈したことを指します。
『詳説』教科書のP118の左上にある絵はカノッサの屈辱でよく出てくる絵ですが、国王がひざをついているその前に座っている人物はローマ教皇ではなくて、トスカナ伯マティルダ(マティルデ)と呼ばれる女性です。
彼女は、この時、ローマ教皇ドイツ国王に殺されると思い避難してきた)を城にかくまっていました。

彼女は、イタリア国王の臣下であるトスカナ伯です。女子にも継承権が認められていました。
イタリア国王は、ドイツ国王が兼任していました。
ゆえに彼女は、ドイツ国王の臣下です。
そう、この絵は主君が臣下の女性にひざを屈している図です。とてもかっこ悪いです。

この後のドイツ国王の心中は、悔しさと憎さがすさまじかったでしょう。
その後、このドイツ国王は味方を得て教皇に反撃し、教皇は逆に屈し教皇を辞めさせられてしまいました。

屈辱(相手からするととことん追い詰める)の後には、必ずリベンジが起きます。
赤穂浪士討ち入り仇討ちとか、報復の連鎖などです。
現在進行形でイスラエルパレスチナ住民を多数連行し虐待しているようですが、その屈辱からのアラブ側からの将来の報復が予想されます。
なぜそこまで、憎しみ合わないといけないのでしょうか?

 

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日本史歴史思考9近代日本史(7)反政府の動き

今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『日本史探究 詳説日本史』2022年検定済23年発行

P246(8行目)~P247(18行目)「政府への反抗」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/j-history

 

冒頭文

ありません。
日本史は自分の国の歴史ということもあり、このように論理的な文章でないことが多いです。
自国の歴史だからこそ客観的にとらえるべきだと思うのですが。

単元のタイトルも、よくありません。
「政府への反抗」まるで反抗することが意外なという印象を持たせています。
時の政権のやり方に対しては、賛成もあれば反対もあるのが普通です。
というか、反対意見のない状態は異常です。民を奴隷的に扱っている状態です。

出てくる年号で、時代を特定します。

1873年 1874年 1876年 1877年

今までの明治初期の単元とほぼ同じ時期で、最初の廃藩置県単元の後の時期になります。
今回の明治初期について7つの単元がありますが、1つめの単元が最初にあり、その後に2~7つめの単元が同時期に並行している状態になっています。

 

本文要旨の把握と歴史的思考

6つの段落があります。
1つめ(政変)が最初にあり、その後2~4段落(士族の動き)が並行し、ラストに6つめの段落(西南戦争)があり、2~4・6段落と並行して5つめの段落(農民の動き)があるという構造になっています。
政府が次第に特定勢力の独占状態になり、それに反発した維新の功労者である士族が反政府の動きを示し、いっぽう並行して農民が一揆をおこしているという状況です。

このように段落関係の読解を行うことが、重要です。


第1段落(政変)

(戊辰)戦争 政府(士族)不平(征韓論)(西郷隆盛)(板垣退助)       (後藤象二郎)(江藤新平)派(参議)(明治六年)政変 不満 批判

「戦争を経て政府が発足すると、政策への不平から諸派閥が発生し互いに対立し、ついに政変。敗れ下野した者たちは不満を覚え、政府を批判する」

とても分かりやすい変遷です。
戦争しているときは勝たないといけない(負けたら死ぬ)ことから、小さな対立は置いといて大きなところで団結するのが常です。
しかし平和になると、その小さな対立が激しくなり、やがて喧嘩して別れると。
喧嘩に負けたほうは悔しいので、リベンジを計画。まずは暴力的に反抗する。

*「戦争」

なるべくなら戦争はしないほうがいいというのは、人類普遍の考えです。
戦争をすると命を奪われます。日常生活が破綻します。有能な人材が失われます。
もし第二次世界大戦をしていなかったら、日本国は現在の2倍3倍の発展を遂げていたことでしょう。

しかしリアルには、無法な者がいます。
突然他国にミサイルを撃ち込んだり、兵士を送って侵攻したりします。
そういう侵略者に対しては、当然抵抗・防衛しないといけません。
この場合は、戦争もやむをえないのです。
こういう有事に備え、日頃から防衛に必要な軍隊を保持しておく必要があります。
軍隊の存在が他国に侵略をためらわさせる効果(抑止力といいます)を起こします。

平和は、自然に手に入るものではありません。
戦って、抵抗して勝ち取るものです。

*「不平」「不満」「批判」

政府の政策に不平不満を持つ者が出るのは、普通です。
なぜなら政府の政策は、完全に公平なものではないからです。

欧米列強に対抗するため機械工業を導入しようとすると、従来の手工業者が打撃を受けるのでその者たちがとうぜん不平不満を持ちます。
国を一致団結させるため身分をなくすと、特権階級だった元武士たちが不平不満を持ちます。

物価政策も同様で、高いので下げようとすると商業利益が下がるので企業が不平不満を持ち、低いので上げようとすると消費者が不平不満を持ちます。

どこにも不平不満の出ないようにすると、当たり障りのない何もしない月給ドロボー政府になってしまいます。

*「派(閥)」

特に政治の世界では、派閥が発生するのは普通です。
上記の通り政策が公平というのはありえないので、その一方に偏った政策に対し賛成・反対が生まれそれぞれの派閥が生まれるわけですから。

近年、派閥が金権体質の温床だとして派閥廃止の動きがありますが、その意味では逆に良くないと思います。
金権体質と派閥とは、次元が違う問題です。
お金を集めばらまく能力のある人が派閥の長になるのが問題であり、親分子分関係というプライベートな関係を公的な派閥と混同させるのが問題なのです。
解消するべきは親分子分関係であり、派閥ではありません。

*「政変」

という言い方は、あまりよくありません。
政治が安定し固定しているのが良いことで、変化するのは良くないというニュアンスを含んでいるからです。
政権交代と同義です。

歴史上の様々な政変の語が入っている用語を見ると、多くが、合理的な理由のない理不尽な、あるいは軍事力による非合法なクーデタを表しています。

この明治六年の政変も、征韓派を追放した後の大久保利通政権がその後、事実上の征韓を行っていることから分かるとおり、政策の違いによる政権交代ではありません。
大久保が「思うとおりの政治をやるうえで、こいつらはうるさい、追放」と権力を独占したいため判断した結果でした。
このとき追放された政権幹部たちは、西郷隆盛以外は全員、土佐藩肥前藩出身者でした。この政変の後、薩摩藩長州藩出身者が政権を主導します。

 

第2・3・4・6段落(士族の反政府の動き)

民撰議院設立建白書)(有司)(天下)(公)(民権)(佐賀)反乱(熊本)鎮圧
西南戦争

「政変後、各地で士族反乱がおこったが、政府に鎮圧された」

板垣退助民撰議院設立建白書は有名ですが、これはその後の自由民権運動のきっかけになったという意味だけで、それ自体にはそれほど意味はありません。
当時の士族の不満の火に油を注いだことになったので、士族反乱がその後、起こったのです。

建白書を平たく言うと
「同じ維新の功労者なのに、大久保利通だけ甘い汁を吸いやがって!俺にも権力をよこせ!」
ということです。
それだとあからさまなので、いろいろと理屈をこねたのです。
現に板垣は、その後大久保から「まあまあ、一緒にやろうぜ」と諭されると、ほいほい政権側についてしまいました。

*「反乱」「鎮圧」

歴史上の事件で「反乱」と書いてあるものは、全て鎮圧されています。
成功した反乱は、革命や政権交代、王朝交代という書き方になります。

反乱は、反抗とニュアンスが違います。
軍事力を伴うもので、その結果として多数の死者が出る戦闘になります。
先にも書いたとおり、人は普通死にたくない殺したくないので戦闘はできる限り避けようとします。
そのやりたくない戦闘をあえてせざるをえない状況に追い込まれているから、反乱を起こしているのです。

板垣退助後藤象二郎は反乱を起こしていませんが、江藤新平西郷隆盛は反乱を起こしました。
この違いは、どこにあるでしょうか。
これは単純な違いです。自己チューか、天下国家を憂えてのことか。
前者はとにかく権力が欲しかっただけで、後者は心から国を心配してのことでした。

西南戦争を起こし敗れた、西郷隆盛

*「有司専制(批判)」「天下公論」「民撰議院」

板垣が持ち出したこの理論が、なぜ大きな波を引き起こしたのでしょうか。

これには、幕末以来の政界の潮流が絡んでいます。
きっかけは、大老井伊直弼による安政の大獄です。
これに対し有力大名(雄藩)たちから不満の声が上がりました。
「井伊独裁をやめさせよ。雄藩の意見を聞け」
雄藩の代表者が徳川御三家のひとり水戸斉昭だったので、幕末大きな政治意見になり全国の武士の多くが賛同しました。

この雄藩勢力はその後、公武合体運動に変化し、その後の老中安藤信正を批判します。
いっそのこと幕府を倒せという急進派を抑える文久三年八月十八日政変を経て、一橋慶喜を代表者とする公武合体派が幕政を握ります。

その後、薩長討幕派が戊辰戦争を起こしましたが、全国の大名の多く(代表者は土佐藩山内豊信と家老の後藤象二郎)が諸大名連合の新政権を望んだ(公議政体論といいます)ため、妥協し五か条の御誓文を出しました。

明治に入って廃藩置県により諸大名の公議政体論を抑えることに成功し、藩閥官僚主導体制を確立します。
しかし士族の間には公議政体論がくすぶりつづけていました。
そこに有司専制(大久保独裁)と板垣の建白書が現れ、公議政体論が再沸騰し自由民権運動になっていきます。

 

第5段落(農民の反政府の動き)

徴兵(学制)農民 一揆 米価(地租改正)反対

「農民は、徴兵制や学校制度、税制などの新政策に反対し、各地で一揆をおこした」

*「一揆

と反乱は、どう違うのでしょうか?
反乱の目的は、政権奪取や革命で、武器を携行し戦闘をし死者が出ます。
それに対し一揆の目的は、生活改善(減税など)で、武器は必ずしも携行しません。
(せいぜい竹槍程度。竹林自体がとても少ないので、量は少ないです。農具が壊れると農業ができなくなるので、きほん農具は持ち出しません)
つまり一揆というのは、今でいう集団陳情のことです。
(現代はインターネットがあるので端末で自由に陳情できます)

一揆は、江戸時代の農民の日常の出来事でした。
それに対し、各領主は時には温情、時には厳罰と対応していました。

ただ今回の明治政府の政策は、ちょっと悪質過ぎました。
欲しい税額から逆算して地価と税率を決めるとか、さすがに農民も不満爆発ですよ。
(今も似たようなものです。福祉にこれだけ必要だから、その税額を確保するには消費税10%必要だというのは、まさに逆算)

(竹林)

*「徴兵」

農民にとって最大の問題が、これでした。
戦争・戦闘・殺し合いはこの800年間武士の仕事であって、農民の仕事ではなかったのです。
それを突然農民がやらないといけないとか、理不尽にもほどがあります。
しかも入った軍隊内では元武士が偉そうにしていて、パワハラセクハラの山でした。

古代ギリシアでは、市民全員が兵として戦争に参加していました。
しかしその代わり、市民全員に政治参加の権利が与えられていました。
そう、徴兵制イコール参政権なのです。
政治から排除しておいて戦争だけ参加させるというのは、不合理です。
こういう点からも自由民権運動がやがて、農民(特に地主)主導になっていったことがよく分かります。

 

広告(日常の定期試験対策には、いいでしょう。学校の定期試験の多くが、歴史用語や固有名詞そのものを問うてきますので。大学入試では歴史用語そのものを問われることは少ないです)

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