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世界史要旨把握18中世ヨーロッパの変容(9)教皇権の衰退

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今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『世界史探究 詳説世界史』2022年検定済23年発行

P127(10行目)~P128(13行目)「教皇権の衰退」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/w-history

 

冒頭文

教皇の権威は、十字軍の失敗から傾きはじめ、・・・

冒頭文には、前の時代(単元)のほか、この単元内容の原因事象の説明も含まれている場合があります。
今回の単元は教皇権威の失墜ですが、その原因が十字軍の失敗にあることがこれから分かりますね。「十字」は、キリスト教の象徴かつ信仰対象です。

地理院地図に、ブログ主が黒い太字を書き加えたものです)

 

本文内容の要旨把握

繰り返し出てくる言葉をチェックし、その語群で文を作るだけです。

第1・2段落

王権 衰える
ボニファティウス8世 教皇権 イギリス フランス 国王
ローマ アヴィニョン

「王権が伸長した。国王たちが、教皇権をないがしろにした」

中世の西ヨーロッパの国際政治のメインテーマは、各国王とローマ教皇の力関係です。
中世前半は、ローマ教皇が各国王に対し対等の存在でした。宗教的には優位に立っていました。
中世後期になると、ローマ教皇は各国王の勢力下におかれます。

*「王権」「国王」

普通に考えると、王国の最高権力者は国王です。
しかし中世ヨーロッパでは、国王の力が弱くて、最高権力者ではありませんでした。
ただフランク王を継承するという伝統的な権威だけの存在でした。

もちろん力が弱かった理由として、偶然の事柄がありました。
軍事力が弱かったことです。
西ヨーロッパ各地を脅かした海賊ヴァイキングは、戦争のプロでした。
弱い軍事力では太刀打ちできませんでした。
これは歴代国王が努力して軍事力を育てていれば、防げたのです。

イングランド(イギリス)国王はその点では、軍事力がかなり強くて早くから王権を確立できていました。
イングランド王権の原型は、ノルマン=コンクエスト(軍事力による征服)でした。
イングランド国軍、イコール、ヴァイキング軍だったのです。

日本史の天皇の立ち位置と似ています。
天皇は伝統的な権威として日本政治史に常に存在し続けますが、その力は弱まったり強まったりの繰り返しです。
現代は国会と内閣が国政をリードしていて、天皇自体の力は弱まっている状態です。

*「衰える」

衰える勢力もあれば、栄える勢力もある。栄枯盛衰です。

勢力は、時代によって様々います。身分のほか、立場も見ます。
この中世ヨーロッパだと、皇帝・教皇・国王・諸侯・騎士・農奴・商人です。

中世日本だと、天皇・皇族・貴族・武士・農民、それに加え朝廷・社寺・幕府・御家人守護大名戦国大名・商人・キリシタンです。
現代日本だと、天皇・各政党・官僚・各地方・企業トップ・一般国民ですね。
アメリカだと、これに加え各人種(白人・黒人・ヒスパニックなど)でしょうか。

そういう諸勢力の時代による力の程度を把握しておくことが、重要です。

 

第3・4段落

正統
教会 大分裂
異端 審問
14世紀 ウィクリフ 聖書 批判
ベーメン フス
神聖ローマ皇帝 火刑
(フス)派 (フス)戦争

「教会も大分裂し、互いに正統性を主張し異端審問をやり合った。聖書を重視し教会を批判する人も現れ、皇帝や教会は火刑などで対抗。批判派が作られ、戦争に発展した」

ある勢力が衰えるときは、必ず内部紛争・対立・分裂の道をたどりますね。

*「正統」「異端」

何が正しくて何が間違っているとか、何が善で何が悪かというのは、その時代の状況や価値観によって大きく変わります。
特に政治関係では、政権に従うものが善で、政権に反抗する者が悪というレッテルを貼られることが多いです。
鎌倉時代後期に現れた「悪党」というのは、鎌倉幕府に反抗した人たちでした。
戊辰戦争の時は、新政府軍(官軍)に対し、旧幕府軍は「賊軍」と呼ばれました。これは勝てば官軍の言葉通り、旧幕府軍が勝っていれば薩長軍は賊軍になっていました。

この中世西欧のローマ=カトリックだと、正統派に反対・批判する人はみな「異端」とされ、悪魔・魔女呼ばわりされ火あぶりにされました。

(日本では魔女というとファンタジーですが)

*「分裂」

つまり2つに分解したわけです。何と何に分解したでしょうか。
フランス国王が推すフランス国内にいる教皇と、ローマにいる教皇と。

そしてどちらのほうが有力だったか?それともほぼ互角だったか?
これは教科書には書いていません。
詳しく書くと、フランス教皇側には、フランス国王とオーストリア公。
ローマ教皇側には、神聖ローマ皇帝イングランド国王がつきました。

さらに詳しく書くと、この2教皇に対し聖職者たちは3人目の教皇を選び、前の2人が辞めなかったため三つどもえになってしまいました。
まあどちらにしてもこの教会大分裂は、歴史的にはそれほど重要ではありません。

*「審問」

審問の言葉の意味は、容疑者に質問してその結果を審議する。
容疑者の弁明や弁護は、いっさい聞きません。だから疑われてこの場に引きずり出されたら最後、有罪確定です。

現代の普通の刑事裁判は、容疑者側にも反論が認められるし、担当の弁護士が自動的に配属されて反論します。

*「聖書」

ここの文脈、おかしいと思いませんか?
聖書はキリスト教聖典ですよね?その聖書を重視しろと主張すると教会批判になり異端とされ火あぶりにされるとか、ちょっと論理が破綻している印象があります。

中世のローマ=カトリック教会は、「教会が言うことが聖典だ」という立場でした。
聖書はラテン語で書かれていて、ラテン語は難しくて誰も読めないので信者は教会が言うことを聖書の内容だと信じるしかなかったのです。
ウィクリフが英訳した聖書は「悪魔の書」とされて、燃やされてしまいました。

(私も聖書を持っていますが、とにかく字が小さい(笑))

*「批判」「異端」「火刑(火あぶり)」

政権のやっていることを批判すると、政権から敵視され場合によってはブラックリストに載せられ公安警察に監視されることになるのは、現代日本でも同じです。
統制が厳しい国では、批判したら逮捕されて懲役刑や死刑になったりします。

当時のローマ=カトリック教会も、あの有名な贖宥状(免罪符ともいう。「お金を出したら救われる」)で巨額の利益を得ていました。
批判されてそれがなくなったら、利益を得てきた教会は大損ですよね。
既得権益を守るため、批判する人を死刑にするとはひどすぎます。欲望の塊ですね。

*「火刑」

古今東西、死刑の方法はいろいろあります。
現代日本は、縛り首です。
諸外国では、電気椅子とか、薬物注射とか、死刑囚になるべく苦痛を与えないようにしています。

逆に極端な苦痛を与えるやり方も、たくさんあります。それを公開処刑にして、民に見せたりします。
火あぶりのほか、磔(はりつけ)、八つ裂き、毒ガス、順々に傷つけていく獄門、織田信長がやった切れ味の鈍いのこぎり引きなど。
こういう残虐な方法を採る政権は、軍事政権や独裁政権が多いです。

 

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(日本でもお馴染みのフランス民謡のシャンソン版です。他にシャンソンの曲がいっぱい入ってます)