rekisitekishikouryoku’s blog

歴史的思考力を一過性でなく継続的に身につける方法

日本史歴史思考4近代日本史(3)地租改正

今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『日本史探究 詳説日本史』2022年検定済23年発行

P239(6行目)~P240(4行目)「地租改正」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/j-history

 

冒頭文で時代を特定

近代化政策を進めるうえで、・・・

前の単元の「・・・と並行して」やこの単元の「・・・うえで」という言葉が、時代の特定のカギとなります。

近代化政策。
廃藩置県や四民平等もそうですが、この後に出てくる殖産興業や文明開化もそれに含まれます。
むしろ後者のほうがメイン内容。
「先立つものはカネ」とばかり、ここに挿入したのでしょう。

時期は、1871年から1881年まで。
年代からすると、前の2単元と同時期かやや後、後の2単元と同時期かやや前といったところでしょうか。

 

本文第一段落の要旨把握と歴史的思考

財政 安定 政府 財源 年貢 藩 税 廃藩 債務 土地制度 税制

ここは、この単元の前振り的な箇所です。

地租改正というタイトルの「租」という語を見れば、租税の話だと想像がつきます。
「地」という語を見ると、土地に対する課税だと想像できます。
現代は税といえば所得や消費に対するものが思い浮かびますが、当時は土地課税が基本でした。
なにせ人口の80%強が、土地を耕作し作物を栽培する農民だったからです。
(なお現在でも、市町村のメイン課税は土地課税です)

水田

この繰り返し出てくる言葉たちで作文しましょう。
「財政の安定が課題だったが、当時の政府の財源は旧藩の年貢であり、しかも藩の債務まで引き継いでいた。土地制度と税制の改革が急務だった」

*「財政」

「財」はカネ、「政」は政治。
政治とカネの問題は今もなお解決が難しいのですが、この両者がこの言葉を作っているのです。
カネがらみのことと、政治とは、政治家たちの欲深さ以外で、いったい何の関係があるのでしょうか?

もちろんリアル問題として「政治をするにはカネがかかる」というのは、常識です。
欲の皮が突っ張った政治家は、この言葉を悪用して私腹を肥やしているだけです。
そのカネがかかる政治というのは、選挙活動や議員活動のことではなくて、国民生活を安定させたり近代化したりするその政策を意味します。(議員活動は間接的にこれと関係するかも)
橋を作るには建築業者を雇う必要があります。学校を作ったら教師に給料を支払う必要があります。警察官や軍人にも給料を支払う必要があります。
そこはボランティア精神を発揮しろよというかもしれませんが、タダ働きには限界があります。人は、有料で売っているものを食べないと生きていけませんから。

*「安定」

明治初期の政府の財政は、不安定でした。

うん?諸藩が徴収していた年貢を引き継いだのではないか?
年単位で入ってくるのだから、安定しているのでは?という疑問が起きます。

*「年貢」

「貢(みつ)ぐ」という動詞が出てきました。
下位の者が上位の者に対し物品を献上するという意味や、好きな人や推している人の気を引こうとしてプレゼントするという意味もあります。
いずれも何らかの見返りを期待してするのですが、その見返りがその場で与えられることはなくその時は一方的な行動となります。

ここでは、農民が前は藩に対し、今は明治政府に対し、物品を納めていることです。
その物品とは?

江戸時代の前半は、米や野菜、特産品など作物・物品そのものでした。
江戸時代の後半になると、それらを貨幣に換えて納めるのが普通になりました。
いずれにしても、農民が自然気象と闘いながら苦労して栽培した作物が貢物です。
そう、豪雨とか暴風とか大地震、火山噴火などがあると、作物は被害を受け場合によっては全滅します。これが、不安定の理由です。

*「債務」

前の単元で「公債」というのが出てきましたね。
債というのは、具体的にはカネの貸し借りを意味します。

だから債権は、カネを貸して支払期限に返してもらう権利です。
債務はその反対語で、カネを借りて支払期限までに返す義務です。

旧藩の債務とありますが、借りた先は江戸時代の豪商たちです。
江戸時代の諸藩は参勤交代(行列を組み旅行する)や幕府からの工事依頼(タダでやれ)などに莫大なカネがかかり、年貢だけではまかなえず借金しまくっていました。
権力の力(具体的には刀をちらつかせ脅し)で支払期限を先延ばしにして、明治時代に至りました。
なかには、借金を踏み倒す(チャラにする)藩もありました(薩摩藩長州藩など)。薩摩藩が借金を踏み倒すときの言い訳が「支払期限は250年後」でした(笑)。

余談ですが、カネを貸す側はカネを借りる人が信用できる人かどうかをあらかじめ調べてから、初めて貸します。
信用というのは、その支払期限に確実にカネを返してくれる裏付けのとこです。
返ってくるかどうか分からないのにカネを他人に貸すのは、非常に危険です。
その裏付けは、具体的には担保を取ったり、所有財産や借金額を知ることです。

担保というのは、いざ(カネを返してくれない)というときカネの代わりに奪う物や人(その所有物)のことです。(人の場合は保証人といいます)
あらかじめ、いざという時は奪いますよと契約しておくのが普通です。
無担保で貸すといっていても、実際は貯金額や借金額、家族の財産額を調べる審査をし、審査に不合格のときは貸しません。

江戸時代の豪商が諸藩にカネを貸したのは、諸藩の政治権力に期待したからでしょう。
薩摩藩が250年後といっても、鎌倉時代以来の薩摩藩が滅ぶことはほぼあり得ないという信用あってこそだと思います。

なお、国が他国にカネを貸すことを借款(しゃっかん)といいます。
このカネの貸し借りの理屈をよく覚えておくと、この後の帝国主義や経済の話がすっと頭に入ってきます。
また現代の大人生活の実態を知ることもできて、将来の生活像を思い描くのにも役立ちます。

 

本文第二・第三段落の要旨把握と歴史的思考

田畑 売買 地券 所有権 負担者 地主 自作農 交付(地租改正)地価 金納 税率 %

貨幣 農民 一揆

「政府は、まず田畑の売買を自由化したうえで、土地所有権者に税を負担させる制度改革を行い地券を地主や自作農に交付した。税率は、地価に対する割合となり貨幣納となった。農民は反対一揆をおこした」

江戸時代は、年貢確保の目的で土地の売買が禁止されていました。
明治時代のこの改革により自由化されたのですが、つまり「カネを納めてくれれば何でもいい」ということです。

*「売買」

土地を売るには、その土地の所有権を持っている必要があります。
契約上は他人の所有地も勝手に売ることができますが、契約後に土地を買った相手に引き渡す義務が発生します。つまりリアルには売れません。
現代では、土地を売るときは所有権の証明書を添えて土地を同時に引き渡すのが普通です。

家を買うときはこういう契約書を作る

ちなみに、このように契約上は何でもできることを、契約自由の原則といいます。
もちろん「あの太陽をおまえに売る」といった契約は、常識の範囲を超えているのでできません。

土地の所有権を公式に認める、その前提政策というわけです。

*「所有者」「負担者」

土地の所有者が土地税を負担するというのは、近代税制の大原則です。

この改革は、実は豊臣秀吉太閤検地とよく似ています。
当時は、一つの土地に農民・小領主・荘園領主と重なるように複数の所有者がいて混乱複雑状態だったのを、秀吉が整理し「この土地の耕作者はAだからAが、大名への年貢を負担すべし」としました。
秀吉は農民の土地所有権を認めず、土地は大名の所有物としていました。
これが、江戸時代も続きました。

版籍奉還廃藩置県により全国の土地はすべて朝廷がいったん獲得し、改めて農民に所有権を渡したという格好です。
事実上農民が所有している状態だったのを、公式に認めました。

これは、「権」利を認めるから義務を負えというアメとムチの政策でもありました。
現代の法律的にも、権利や自由は保障するが無制限には認めない、何かしらの義務を負うというのが、基本です。

*「地主」「自作農」

当時の農民には、所有土地の経営方法により2つの階層区分がありました。

自分で所有し自分で耕作するのが、自作農です。
所有はするが、耕作は他人に任せるのが、地主です。任せるときに土地ごと貸し、収穫物の何%かを地代(土地貸し料金)として納めさせます。
地主は自らは自作農のことも多く、要するに所有土地が広大ということです。
なお自分でいっさい耕作せず地代だけ取る地主のことを、寄生地主と呼びます。

この地主階層は、江戸時代村役人を務めていたことが多い上層農民です。
幕末に倒幕運動が起こったときは、この上層農民が下級武士を支援することも多かったのです。
明治政府を作った下級武士たちは、この上層農民を政権内部に取り込みたいと考えていました。のちの自由民権運動は、この地主階層が政界進出を目指した運動でもありました。

地租改正の結果、地主が農村を支配する体制が公認されました。

なお第二次世界大戦後の農地改革により、地主階層は解体され(無くなったわけではない)、農村は自作農メインとなりました。

*「税率」「地価」「何%」「金納」

とても分かりやすくて合理的に見えます。

しかしこのとき政府は、土地の価格を市場(売買の相場)価格ではなく、自分たちの都合で勝手に決めてしまいました。
まずそれまでの年貢の額を確定し、逆算して土地の価格を決めたのです。
逆算とは、非常に悪質なしわざですね。
給料に例えると「生活に50万円必要だから、会社は50万円の給料を出せ」と言っているようなものです。

このとき算定された地価はそのまま現代に受け継がれて、市町村の固定資産税の計算の基礎になっています。
(今では、市場価格に比べ安いですが)

あと「年貢の額を確定し」というところも、農民にとって耐えがたいことでした。
その年の自然現象に作物の出来が左右されるのに、「確定」つまり定額なんですよ?

実は江戸時代の前半は、自然現象に応じて年貢の税率が決められていました。
それが8代将軍吉宗の「改革」により、毎年同じ税率(収穫物の40%、のち50%、60%)になってしまいました。これを、定免(じょうめん)といいます。
何が改革だ、改悪じゃないか。財政が安定したので、幕府にとっては改革です。
江戸時代は、減税を求める百姓一揆が無い年が無いという時代でした。

 

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